同じ曜日に稽古している社中の一人から勧められた本です
著者の赤瀬川原平氏は、映画「利休」の脚本を書いた人
この「利休」は、1989年秋に公開された伝記映画だそうです
配役は、利休に三國連太郎、信長に松本幸四郎など
残念ながら、見ていません
が、スーパーモデルの山口小夜子さんがチャチャの役どころで出演したというのは、雑誌で読んだ記憶があります
赤瀬川原平氏に関しては、恥ずかしながら全く知識がなし
読み始めると、利休とは関係のない部分を読むのに苦労しました
前衛とは如何なるものか云々の下りです
トマソン物件とか😥
年齢を言い訳にするのは良くないけど、新しい概念を理解するのはなかなか大変と思いながら読み進める事も
でも、面白い、わかりやすい部分も沢山あり、一番面白く なるほどと思ったのは、
日本の文化は成熟すると縮小するという所
「縮小のベクトル」というところで説明されています
抜粋すると
ふつうはものはみな成熟すれば、肥大していくのが地球上生物、及び生物組織の常態である。動物も、植物も、家族という組織も、政党も、企業も、宗教も、大学も、いずれも成熟するごとに大きくなって、また大きくなることが成熟と見なされている。
しかし成熟即縮小という逆作用が、ICチップスを極点とする工業生産にはあるのであり、日本がそれをもっとも得意としている。そしてその発端が、安土桃山時代、千利休に主導された美意識に発生している。
(途中省略)
このようなものごとの縮小する証例は全世界に散見されていて、日本の特異性と発生言えないかもしれない
しかし、その縮小例が美意識となって、各種文化にまで達している例は、ここだけの事ではないか
(途中省略)
おそらく有限の壁を持つことにおいて、島国日本は先進国であったのだろう。だからあの時代、西欧的増大の波に触れたとたんに、この現在を予知するかのように、縮小のベクトルを美意識として持ったのである
利休の縮小の最大の例が、草庵茶室であり、2畳の茶室の待庵であり、色彩の無である黒楽茶碗だと
当時珍しかった朝顔がたくさん咲いていると聞いた秀吉が、利休の耳に入り、見せて欲しいという
利休は庭に咲き乱れていた朝顔の花をバッサリと切り取り、茶室に一輪だけいけてあったという(わりと有名な)エピソードにも触れています
咲き乱れる朝顔の美しさをたった一輪に絞り込むという方法に、日本の美意識の極まりを見る思いがするのである、とも書いています
この辺りは読んでいても、自分の経験や知識から他を想像しやすく面白いでした
そして、新しい茶の湯の形を生み出していかなければ、侘びやサビではないとなるのですが、茶人の端くれになりたいと思っている私なのですが、もうどんなに背伸びをしてもたどり着けない世界です
私の茶の湯は、最後までお稽古事なんだろうなと思いながら読んだ本でした
せめて見立ての道具で遊ぶぐらいはどんどんやっていかなければとも思っています
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昨日の夜ご飯はご飯は、手巻き寿司
2人だけの食卓で手巻き寿司をしたのは、初めて?かも
寿司飯は、銘々に分けました
秋田の甥っ子から送られてきた旬のじゅんさい
茹でてメカブと酢の物にしてみました
喉越しツルッとしていて、夏の食材ですね
ごちそうさま