
(ガーデンズシネマのウェブサイトの画像拝借しています)
今日は鹿児島市へ
以前三越が入っていたデパートはマルヤガーデンズと経営者が変わり、最上階に小さな小さな映画上映施設があります
それをガーデンズシネマといい、座席数はわずか39席
このミニシアターで2週間限定の全国先駆けての先行上映となった「ちゃわんやのはなし」を観てきました
今月3日に島津別邸跡地仙巌園であった茶筅供養と茶会
その茶会で正客だったのが沈壽官さんでした
「私事ですが、ちゃわんやのはなしという映画に出演しています。私の他にも陶工が出演しています。ドキュメンタリーですが、よろしかったら観てください」
そんなお話をされて、この映画をご紹介くださいました
ミニミニシアターなので、チケットが完売になるともう観れません。
1日1回だけの上映で、他の日は上映時間が違って、鹿児島市外から出てくるには条件が合うのは週一回だけ
1時間近く早めに到着、ガーデンズシネマの入り口でチケットを購入すると、20番の番号札を渡されました
早く着いて良かった❗️と、安堵
少しだけ買い物をして、指定された20分前に入り口付近へ
①番から番号を呼ばれて、札を回収されて場内へ
座席は自由席でした
映画が始まりました
最初から薩摩焼きが映し出され、沈壽官さんも登場
学芸員や哲学者なども出演しています
ここで司馬遼太郎氏と沈壽官さんの深い交流が紹介されました
司馬遼太郎の「故郷忘じがたく候」のお話
本のタイトルは知っていましたが、読んだことはありません
400年前に朝鮮出兵して、秀吉が亡くなり半島へ行っていた戦国武将は撤兵します
その時に連れ帰ったのが、朝鮮人の陶工たちで、島津勢が連れ帰ったのが、薩摩焼きの始まりです
連れてこられた当初は海岸近くで暮らしていたそうですが、島津藩の当主の計らいで、苗代川(今は美山と呼ばれています)に移り住み、そこで朝鮮の文化を守り、祖国の名前を名乗ることを許されて、島津藩のために焼き物を焼き始めた
この程度のことは、美山に何回か行ったこともあり、沈壽官窯も見学したことがあるので知っていました
私の親は、考え方がとてもニュートラルでした
私たち姉妹の育て方も、それが反映されていて、民族や地域などによる偏見が世の中にはある事も教えられずに育ってしまいました
特に父はそれがはっきりしていました
父方の祖母は、私が幼い頃に昔話をする時に、「ばあちゃんの家は氏族だったから・・・」と何回か口にしていて、小学低学年でシゾクという言葉を覚えたのです
父にその話をすると、江戸時代の名残を言うなんてねぇ(笑)と、まるで馬鹿にしているような感じでした
高校卒業して、東京に出て初めて知った言葉と現実
両親に、鹿児島にもそういう集落があるのかと聞くと、初めて教えてくれました
でも、鹿児島にもある
教えてくれたのは、それだけ
家の裏にアパートが出来て、数年間朝鮮人夫婦が住んでいましたが、普通にご近所さんとしての会話もありました
どんな人でも、出自を気にして交わり方を区別するような親では無かったと思います
そういう育ち方をしたある意味ノーテンキな私と違うのが、ルーツが朝鮮半島にあるとはっきりわかっている沈壽官さんなのです
沈壽官家の人々が代々望郷の念にかられていた・・・映画の中に出てきます
その想いは13代、14代、当代と続いていて、念願叶い朝鮮の故郷の土を踏みます
当代沈壽官さんは早稲田大学を卒業し、イタリアの国立美術陶芸学校も卒業し、父の意向で韓国の陶芸大学の大学院へ入学することになります
その面接の時に、ここ(大学院)で400年の日本の垢を落としなさい、と言われて
その言葉が引っかかり、学び始めたものも大学院を飛び出してしまい、日本にも帰ることは出来ず、キムチや醤油などを保存する大きな瓶を作る工場で修行した
そんなエピソードが、韓国の修行した工場の親子なども出てきて話がありました
日本人であるということは、何なのか
民族とは何なのか
沈壽官さんの苦悩を受け止めてくれたのが、司馬遼太郎さん
映画は、有名な陶工の芸術的苦悩や模索などのドキュメンタリーだろうと、思い込んでいたのです
が、違いました
ここで取り上げたのは、映画の一部
内容はもう少し多岐にわたります
来年から全国で上映されていくそうです
私は、司馬遼太郎の「故郷忘じがたく候」を読んでみたくなりました