朝のパリ北駅
ヨーロッパの大きな駅は、美しいし、おしゃれです
利用するには甚だ不便ですが
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
スペイン ビルバオからパリに戻ってきたのは午後、家に着いたのは夕方
翌朝はまたまた6時に出発という慌ただしいものでした
プーさんも(ロンドン一泊だけ)一緒です
ユーロスターでロンドンへ移動ですが、ユーロスターは30分前に乗車手続きが終わっていないと、アウト‼️だと
チケット持っていても乗れないというので、タクシーで渋滞にかかるとヒヤヒヤでした
どうにか1時間前に到着
地上階からエスカレーターで上がり、長い列に並ばされ
ユーロ圏内住人ゲート、アメリカ・韓国・中国・日本のパスポート保持者用ゲート、その他の国のパスポート保持者ゲートに分かれていたようでした
さらに、チケットの種類でビジネスプレミア保持者は優先ライン
世の中どこもお金があれば、スムーズ(笑)
フランスからの出国の後、すぐにイギリスへの入国の検査があり、その後手荷物のセキュリティチェックでした
私はどちらのパスポートコントロールも簡単に通過出来たのですが、プーさんはビザも見せるように言われて、厳重だったとか
ホームの地上階へエスカレーターで降りて、乗るべき車両を探します
一番苦労したのは、2つの大きなスーツケース
荷物置き場に置いて、座席へ
今回は隣り合わせ
テーブルは大きく、上の小物入れは開けると鏡
モバイル用の電源は座席の間の下
定刻に発車して、まもなく朝食のサービスがありました
私たちのチケットはスタンダードプレミアなので、コールドミート
これに珈琲が紅茶のサービスは何回か
これがビジネスプレミアのチケットだと、ホットミールになるそうです
車内は暖房が効いているし、甘いパンとフルーツとジュース、熱い珈琲で十分でした
乗車時間は2時間半
ひたすら大地を下って下って走る感じです
ユーロスターでドーバー海峡を渡るのは2回目
車内では、昔プーさんと2人でイギリス旅行した時の話で盛り上がりました
それはプーさんが高校卒業の春3月はじめのころでした
高3の12月には大学も決まり、自宅学習という名目の休みになった年明け
アルバイトして貯めたお金が8万円ほどだったそう
私に、アルバイトしたお金でイギリス コッツウォルズに連れて行ってあげるから、一緒に行こう
と言ったのだとか(どんな経緯だったかは、私は覚えておらず)
それを聞いたトトさんがゴーサイン出したと
もちろん8万円では1人分の旅行費用にも足りないのに、プーさんは連れて行く気満々だったと
インターネットでB&Bのウェブサイトを閲覧して、メールかファックスで予約
レンタカーも予約
ヒースローでレンタカーを借りて、即出発
でも細かな地図がなく、一番最初のサービスエリアで地図とCD購入(今はカーナビが付いていなくても、スマホさえあればどこでも行けるのに、音楽もCDさえ必要なくなって)
高速道路を降りて、プーさんの地図読み案内で最初のB&Bに着いた時は、どっぷり日が暮れていました
コッツウォルズの小さな町3ヶ所ほどで泊まった宿は、全部B&B
夕食はB&Bで紹介されたパブ
まだ40代だった私は、レンタカーのハンドルを握り終日運転したし、高3のプーさんより英語もどうにかなっていました
ロンドンに戻り、安いホテルがとってあったのでそこに3泊
夫へのメールは、ネットカフェに入ってしていたので、携帯電話もメールが出来なかった時代だったようです
ハードロックカフェ1号店を探して見つけられず、タクシーに乗って連れて行ってもらったり
ショッピングの帰り道、ホテルリッツの前を通り、いつかはここでアフタヌーンティーしたいね、って話したり
レストランに入るお金をけちって、マークス&スペンサーでサンドウィッチやサラダを買ってホテルの部屋で夕食を食べた事も
その後は、トトさんが3泊ぐらいなら行けると言い出して、ベルギーブリュッセルで待ち合わせとなっていました
その時、ユーロスターでブリュッセルへ移動したのです
当時は、ウォータールー駅がユーロスターの終着駅でした
ついこの前の事のようですが、20年も昔の事😅
プーさん、当時のことを色々と思い出して、よくも厚かましくも連れて行くなんて言ったわねぇ、と苦笑い
でも20年の年月はすっかり立場が逆転して、私があちこち連れられて行くようになってしまって
昔の事を思い出しながらおしゃべりしていたら、あっという間にロンドン到着
駅はセントパンクラス
新しく完成した駅のようでしたが、よく見ると古い赤煉瓦の壁が見えるところも
古い建物を保存しながら大きな屋根を被せた駅舎のようでした(イギリスらしい)
電車を降りてホームへ、その後は入国の手続きなし(パリ北駅で一括で終わっていたと改めて実感)
Mちゃんと孫ちゃん2人とはピカデリーサーカスで待ち合わせです
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