竹田城址から少し南下した所に 生野銀山跡がある。 開抗807年とかで 石見銀山や佐渡銀山よりもかなり早くからその存在を知られていた銀山。昭和48年の閉抗までのおよそ1200年の間稼働していたってすごいね。 そんなにも銀ってあるものなの?
とってもとっても銀がある山って・・・ ギンギンに光っていた?・・・わけないし。 しかし膨大な銀の含有量があったらしく生野という土地は初めから市だったと 村や町を通らずに市になった場所だと そのくらい栄えていて人工が多かったらしい。
織田 豊臣の時代を超え江戸時代には 銀山奉行を置き その後生野代官が置かれる。 金の成る木は誰でも欲しいと見えて明治22年には宮内庁御料局の所管となり 皇室の財産と成る。 はぁ~ 私も欲しい。
すぐに三菱グループに(三菱マテリアルかしら?)払い下げられ国内有数の鉱山と成る。
とここまで書いてみたもののどのくらい大きかったのかは実感として解らない。 観光坑道だけをみると佐渡の金山銀山の方が遙かに大きくも見えたけれどね。
掘り進んだ坑道の総延長は350メートル 深さは1000メートルって言うから やっぱりすごい。 説明を聞く足下は坑道でありの巣の様らしい。 どんと踏み抜きそう。
ヒカゲツツジの大群落にびっくり 鉱山と関係ないけれど 興味津々
まだ早くてつぼみが堅かったのが残念。
坑道内の展示はいくつかの人形や説明板を使ってわかりやすく展示されている。
しかし 近代のものは兎も角 江戸時代と思われる展示は 何となく心が重くなる。
狭い場所で 健康面への配慮も無く 働かざるを得なかった。 ついそう思ってしまうから
でも 本当は 普通の暮らしではお金を稼ぐことが出来なかった時代に ここでの仕事はきっと有り難い事だったんだろうね。 家族総出で働いているような展示もあった。みんなはたくさんの賃金をもらって生野の町に繰り出して・・・それを楽しみに日々働いていたんだろう。
言ってみれば日本の経済を支えた場所だった?
そうはいっても 狸穴と言われるせまくて身動きも出来ないような場所を 掘り進む様子はそれをみているだけでも 息苦しい。