生野銀山を下りてから生野の町に入る。 ボランティアの地元の人が説明をしてくださるとのことで 銀山で賑わったであろう生野の町を歩く。
元代官屋敷があったところに建てられたこの碑は1863年の生野の変を後世に伝えるもの 勤王の志士と但馬の農民がいっしょになって代官屋敷を占拠した。僅か三日で破れその後明治まで生きた人はほんの僅かだとか 維新の魁と言われるらしい。 こんな小さな静かな町にも維新の嵐は吹き荒れていたんだね
あら? 可愛い洋館ねぇ・・・と思ったけれど 実はこの家地元の大工が異人館をまねして建てた左右対称の擬洋風建築。丸い警察の紋章とカタカナのイの字を組み合わせた町章が残っているけど わかるかなぁ?
それにしても 真似をして美しく作ってしまう日本人の力をすごいと思うべきか あらら? ぱくり? と思うべきか。。。 日本人も真似から入って 力を技術を学んでいったんだね?
今井邸を通って寺町通りに
そんなに長くない通りにたくさんの宗派のお寺が並んでいる。 お寺のデパートやぁ・・・って不謹慎かしら? 劣悪の環境の中で 鉱山従事者は短命だったらしい。その上全国から多雨さんの人がやってきているのでいろんな宗派が必要だったと言うと なるほど。。。と思う。
東西寺の塀には黒光りする綺麗なブロックが使われている。
なに?これ 黒曜石みたいだよ
カラミ石と言って銀の精製の課程で出る鉱物のゴミみたいなもの
それを固めて ブロック状にする。
初め ゴミのようにほうりだしていたものは 溶岩みたい やがて鍋に入れて固め そのうち四角いブロックにすることを思いついた。
なかなか味のある素敵なブロックだと思いませんか? とても重いですが。
金蔵寺では塀だけでなく階段の縁の敷石にもカラミ石が使われている。
教徳寺も美しい そして石畳にさえ カラミ石が使われている。 本当に良い感じ。
禅躁寺 所詮寺 本行寺
びっしりならんでいるでしょう? まさに寺町通り
寺町通りを過ぎて 道は町屋の方へ進むことにする。