世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

鬱になろう

2012年06月22日 | 苦境
時には鬱を演出してみよう。


思いっきり落ち込めばいい。



鬱なんて

気のせい、さ。



じゃあ

その気になることだってできるはず。




肩ひじ張って、突っ張って、

強がりいっていても


所詮人間、弱い生きもの。



この世のすべての不幸を背負っているかのように

項垂れて歩く。



「項垂れウォーキング」

時にはこんな行動もよい。




あまり

ネガティブにならないことにこだわると


かえってネガティブ感に襲われることがある。



前向きやポジティブという言葉が巷にあふれ

食傷気味になることだってある。




無理してポジティブを装うくらいなら

思い切ってネガティブ人間になり


鬱を装ってみると良い。



つまり

「良い人を辞めなさい」、


「良い人をやめると気が楽になる」


という論理と同じことだ。



「ポジティブ人間を辞めなさい」



「ポジティブを辞めると気が楽になる」





逆説的に考えることも

時には有効になることはよくあることだ。






これはボクの主観だが

薬に頼るのはなるべくやめた方が良い。



薬は体にとって異物だし、

副作用もある。



医者から

長距離の移動を禁じられているケースも聞く。


医者が

引きこもりを推奨しているようなものだ。




穿(うが)った見方だが、


患者を手放さないように

囲い込みをしているかのようにも取れる。

(あくまでも主観である。すべてとは言わない)



これではいくらたっても元気になりようがない。




外の空気を吸う、

太陽に当たる、


風に当たる、



環境を変えてみる。



この方が効果があるような気がする。




心の病は

気のせいが多い。




枷(かせ)を着せられ

行動を制限され、


薬をどんどん投与されてばかりでは



肉体まで蝕む危険性がある。





梅雨の合間の張れた日には

遠出してみよう。




少しずつでいいから

自分の行動範囲を広げていこう。



項垂れて歩き出してもいい。




自然の爽やかさに包まれて

見慣れない土地を訪れると、


自ずと顔が上を向いてくるから。




思い切って

小さな旅に出よう。



そうすれば、分かる。




「気のせいだったんだ」、って。






【追記】


酒飲みには休肝日がいいように、

休頑日をあえて作るのがいい。




頑張るのを休む日だ。

頑張りすぎる人が多すぎるから。


頑(かたく)なに張りすぎるのだ。





休息でなく

緩息日がいい。


意識してユッ~クリ息をすること。





今日は、鬱の日、と決めるて

思いっきり落ち込む日を作るのものもいいかも。




【お断り】

これは

真剣に鬱に悩む人を決して馬鹿にしたものではありません。



重篤な場合は

やはり薬の投与が必要でしょう。



ボクは医者ではありませんので

責任は持てませんが


軽い鬱病の方とか、

鬱予備軍の方
には

いいのかもしれないという


体験上の想いで書いてみました。




多くの人がそうであるように


何を隠そう

ボクも鬱予備軍なのですから。




鬱を怖がらず

鬱と仲良く付き合った方が


楽になるような気がするのです。



何事も

軽~く考えよう



深刻にならずに。




「山より大きな獅子はいない」


「地球より大きな悩みはない」

俺の人生、ウンコのうじ虫以下

2012年06月21日 | 苦境
「俺に人生、ウンコのうじ虫以下だ」


彼が友達に当てたメールに残ていた。



彼が会社から飛び出し、

いなくなって一週間が経過した。




彼の会社からの最後通牒は、

今週末で解雇にするということだった。



それまでに

会社に来て手続きをしなさいということだ。




母親もしきりと電話を入れるが

彼は出ない。


留守電にメッセージをいれているが何の返事もない。




何処にいるのか?




そんな時彼の会社から連絡が入った。



夜中に会社の寮に帰ってきて寝ている、と。


相部屋の同僚からの報告らしい。




まだ東京にいることは分かった。



彼は自暴自棄になっていいる。




週末で寮を追い出されたら

寝る場所を失うことになる。




所持金もさほどないだろう。



考えられることは

最悪の事態だ。




少し前になるが

ボクのホテルに


住み込みで働かせてくれという若いカップルが訪ねてきたことがある。



2~3日置いてやったが自分たちから出て行った。



数日後警察が訪ねてきた。


男性を強盗傷害で逮捕しているという。



お金が無くなって

通り魔強盗を働いたそうだ。



女性は妊娠していたという。


親が迎えに来て引き取ったとも。








彼はまだ犯罪を犯しているわけではない。


だが


住む家もなくなり

所持金が無くなれば



何をしでかすか分からない。




自殺ということも考えられる。




この状態で生きていくには

今の時代はあまりにも厳しい。




母親としては

今更帰ってきてもらっても困るという。




どうせ家でゴロゴロして、

働かず


小遣いをせびる日々になることは見えている。







実はもう一人

別の母親から相談を受けている男性がいる。




もうすぐ40歳になる彼は

高校卒業後ほとんど働いたことがない。



住む家があり、

小遣いを与え続けてきたためだ。



それがエスカレートし

金額も増額し、



与えないと暴力をふるうらしい。


その息子をどうにかしてくれという相談だ。




ボクの話は素直に聞く。



将来どうするつもりかと尋ねると、

働くつもりだと聞くたびにこたえる。、



それが親の前では豹変するという。



お金を与えるな、というと

暴力をふるうので怖いという。



その時は警察に、というと

みっともないから出来ないという。



いいなりにお金を与え続けていれば

解決の糸口さえ見つからない。



死ぬまでこの状態が続くだろう。







さて話を元に戻そう。


連絡がつかない息子をどうするか。



警察に身柄を保護してもらおうと電話をした。


未成年であり

行方不明者として。



猶予はあと2日。




母親に代わって迎えに行くことも考えている。




それまで

なんとか連絡だけでもしてきてほしいと願っている。








【追記】


いずれのケースも


根本の原因は


本人たちにあるのではなく

親にあるように感じる。



それをいっても始まらないので

とにかく今の現状を打開すべく何らかの手を打つしかないだろう。




子育てを一歩間違えば

親子ともども不幸の道を歩むことになる。




共通しているのは


本当の意味での

愛情不足ではないだろうか。




子供は


愛に飢えているのだ。




子供に限らず

人はいくつになっても



愛を求めている。




「愛」、「幸」 せといった


目に見えないものへの果てしない欲求を満たすことは


永遠の課題なのかもしれない。

すべては縁と選択、そして瞬時の判断で決まる

2012年06月20日 | 人生
自分の身の回りで

出会う人、起こる出来事は



すべて縁がある。



そのすべてにいちいち構っていたり

係わっていたら



とても時間が足りないいし

幾つ身があっても足りないだろう。



どれが重要か、

何処に時間とエネルギーを割くべきか



誰と親交を深めるか


常に迷いの中で判断している。




この判断を誤ると

どうでもいいことに悩んでしまい


無駄な時間を費やすばかりか


心まで蝕まれることがある。




問題や悩みの多くは

所詮どうでもいいことが多いのだ。



そうでなければ

テキパキと片付けてしまった方がいい。



いつまでも悩み続け

引っ張って時間を取られるのは愚かなことだ。




対人関係においてもそうだ。



気が合う仲間とばかり付き合うのは良いが

時にはそうでもない人が混じる。



友達や趣味の世界でもそうだが

こと仕事、ビジネスにおいては


嫌な奴とでも否応なくかかわらなければいけないときがある。




そのとき

この人は自分に利益をもたらしてくれる、

自分にとって役に立つ


つまり有益か無益かを考えて選択してしまいがちになる。



だが

それは往々にして間違いを引き起こす。



自分の利益のためだけに付き合うと

儲けに目がくらみ判断を誤るのだ。




それより

出会ったなら



この人のために自分は何ができるだろうか

と考えて接した方がいい。




何かしてあげることができるのなら

親交を深める必要がある。



何もしてあげられないと思ったら

手を引くべきか


もしくは深くかかわらないことだ。




それは

自分が判断するのではなく


相手が判断してくれる。



力不足であれば

相手は目の前から自然と消えていくだろう。






ビジネスも友情も恋も同じだ。


自分の利益だけを優先させて考えるから

軋轢が生まれる。



相手のことを思うなら

感謝されても


恨まれたり憎まれたりすることはまずないものだ。




誤解を与えることはたまにあるが。



しかし

それも本当に相手のことを想っているなら


時間が解決してくれる。


そのうち氷解するものだ。





出来事においても、然り。


良いことより嫌なことが多いのが世の常。




だが

同じ事象でも


嫌と思えば嫌になり

良かったと思えばイイことに変わる。




雨降って地固まるがよい例だ。



自然災害は嫌だが

本来自然に罪はない。



自然には自然の法則がある。



その法則に則って生きれば

快適に暮らせるはずだ。



問題は

自然に対抗し、


ねじ伏せようとする人間の驕(おご)りがあることだろう。





嫌と思えば、イヤ。


良いと思えば、イイ。




相手も、出来事も

自分を映す鏡と思えばいい。




これも自然の法則なのかもしれない。

ダメだし100連発

2012年06月19日 | 出版
意気揚々と臨んだ

出版企画書づくり、2日目。




何年もかけて練りに練ってきた。


みんなの前で発表した。






肩書き、名前

出版の目的


出版の内容


とホワイトボードに書いていった。




疑問点を次々にぶつけられる。


自伝は本にはなりません。

有名人だけです。




自己啓発書も売れません。


あくまでもビジネス書にこだわる。




切り口をどこにするか。


今まで手がけてきたビジネスのノウハウ本の方向性を示される。



ビジネスモデルとして描き、

こうしたらできますよというヒントを与えることができるのではないか。



読者が興味を示す裏技的なもの。


それを体系化して分類化する、云々。




分かったような分からないような。




体系化どころかますます焦点がぼけてくる。





そして後半、


いよいよ企画書づくりに入った。



今回は3つ。


タイトル

企画概要


そして、プロフィールだ。




タイトルでは


ギャップを演出して

到達点を示す。



数字を入れると出版社が喜ぶ、などなど

指針を示される。



タイトルで本の内容が一目でわかるか?

その本を読めばどうなれるかイメージできるか?


「えっ!」 「本当?」というフックがあるか?


キーワードや数字は入っているか? etc.




出版社に拾っていただくには

それなりの表現の法則がある。



それが

企画出版と自費出版の大きな違いだ。




ボクが最初にイメージした内容とは

大きく切り口が変わった。




それはダメ出しの連続だった。


全否定されたのに等しい。



人格さえも否定された気になって

奈落の底まで落ち込む。



落ちるところまで落ちたら

後は登るだけ。



どんなに蹴落とされても

這いずり上がらなければ死んでしまう。



ここは気持ちの切り替え場必要だ。



ヤケ酒飲んで、

思いっきり泣いた後にね。



また血の滲むような葛藤が待っている。



歯を食いしばって


また一から

いや、ゼロから出直しだ。





出版への道とは

かくも厳しく激しいものなのだ。






【追記】


ついつい出版することだけに目が行くが、



出版したがために不幸になった人がいっぱいいる。


公衆の面前に裸を晒すのだから当たり前だろう。



責任を取らされ

鬱になる人


自殺する人までいるらしい。




それはある意味有名人になることの代償なのかもしれない。



そこまでの覚悟、あるや。

出版実現セミナー

2012年06月18日 | 出版
東京の有名出版プロデューサーによる

出版実現セミナーがあった。






メルマガの購読で彼のことは知っていた。




彼は言う。



出版できるかどうかは、

「本気で出版したいと思って行動するかどうかです。


そして、

出版を実現するために正しい道順を知ることができるかどうかなのです」
 と。





そして

なぜこの出版実現セミナーの出版実現率が高いのかは、



「毎年、

年間50冊以上の本を15年以上作り続けたプライドに賭けて、


出版実現率にとことんこだわった内容になっているから」
と言う。





インターネットがこれほど普及した現在においても

出版業界は


残念なことに

地方に居ては不利なことには変わりないのが現状なのだ。




だから

東京まで訪ねてて行こうかと思っていたほどだ。




それを思えば

参加費1万円は激安だ。





彼が手がけて

10数冊を出版している売れっ子作家さんも一緒だった。



生の声が聴けた。




だからこれは

真剣に出版を考えている人のための

具体的に出版をするためのセミナー
なのだ。



興味本位や

遊び半分といった


生半可な気持ちではあまりにもったいない。





東京からの参加者もあった。



熊本の参加者はボクを含めて4~5人。






これを多いとみるか少ないと感じるか。





昨夜の懇親会を挟んで




今日も引き続きある。



パソコンを持ち込み

企画書を実際に仕上げるのだ。




その企画書を

出版プロデューサーが

出版社に持ち込む。




出版が決まるまでやる。




売れる本を出す。


だから

一冊だけにとどまらない。



2冊、3冊と出せる状態にする。





今日の企画書づくりには

白紙の状態で臨む。



さて

どんな企画書が出来上がり、



これで出版を決めることができるのか。




真剣だ。


賭ける価値はある。




出会いや縁、チャンスというもには

後ろ髪は生えていない。




これだと感じたものは

瞬時の判断で

グイと掴まなければ逃げ去ってしまう。




優柔不断は

命取りにもなりかねない。




今日も真剣勝負で臨む。



経緯については逐次報告しよう。



急激に面白くなってきた。

世界へ飛翔する若者たち

2012年06月17日 | 仕事
フリートークのリピーターで


来年、

総合商社マンになる若者がいる。




ボクもそうだったんだよ

というとビックリしていた。





どういう部署を選んだらいいのか、聞かれた。



たった6年間だけだったが

ボクの経緯を話した。






最初から営業希望だったが、



新入社員では

貿易業務の一般知識をつけたいと


財務部を希望した。




そして

一年間、「輸出外国為替課」で過ごした後


念願の営業に移った。




「鉄鉱石課」だった。


輸入一辺倒。


毎日が接待続きで、

営業とは名ばかりのクオーター制に飽き足らず、



さらに一年後、

ニューヨーク転勤の辞令を蹴って




「石油化学課」へ変わった。




ここでの経験が僕を大きく飛躍させた。



石油化学全般から

繊維、オイル、車関連業界などの裏側をつぶさに見ることができた。



中小企業から大企業の生態も知った。



国内取引から

輸出入、



合弁事業(ジョイントベンチャー)を任された。




そして

最後は人事、労務部の仕事。


人間の生態系まで知ろうとは。




お蔭で

経理以外はありとあらゆる職種を経験することができた。




6年後、

ベネズエラ転勤の辞令を破り捨て

辞表を提出した。






やり過ぎた。


営業が合面白く


専門でないことにまで首を突っ込み

いろんなことに手を出した。




新入社員の時から

興味あることについてことごとく提案した。





ありとあらゆることが出来るのもまた

総合商社マンなのだ。




ソーゴーショーシャ

当時から英語でも固有名詞になっていた。







アメーバ―のように

ビジネスになるところに



品を変え、形を変えてどんどん進出していく。




そして


スッポンのように

食らいついたら離さない。





与えられた仕事をこなすだけでは務まらない。


自ら進んで動くのが

総合商社マンの真骨頂だ。




だが皮肉なもので

そうすれば社内外から叩かれる。



なんで若造のお前がそんなことまでするのかと

悪口雑言を浴びせられる。




日本経済のため

世界経済のためと



自ら使命を課さなければ

巨大な組織に押しつぶされてしまう。





ボクは

総合商社マンが一番輝いていた時代を経験した。



花形満だった。


イヤ、花形だった。

(花形満を知らない人には通じないギャグ)




今と同じくらい幸せだった。


今と同じくらい輝いていた。




女房子供には逃げられてしまったが。

(ボクが輝くと、

いつも女房が逃げるのは、なぜ?)





もっと自由に

もっと勝手に


もっとやりたいことをやるために



もっと生きたいところに行くために




脱サラした。




それでも

いまでも

ボクは総合商社マン



30年前と気持ちは全く変わっていない。




ただ

時代は変わった。



総合商社といえど

厳しい立場に立たされているのは例外ではない。





先を読み

時代を知って



臨機応変に対応していかなければならない。




これもまた

アメーバ―の生態系であり宿命なのだ。




形を変えながら素早く動く。


餌のありかを鋭く嗅ぎ分けながら。



すべての五感と

第六感に身を委ねなければならない。





むかし、モハメド・アリが、

「蝶のように舞い、鉢のように刺す」と評されたが、




総合商社マンは

「アメーバ―のように動き

スッポンのように食らいつく」のだ。




そうしなければ

生きてはいけない。



生き残れないのだ。




サバイバル力こそが差を生む。






英語力と

国際感覚力。




そして

人間関係力。






総合商社マンには

文字通り



人間としての総合力が求められるのだ。








彼は目を輝かせながら聞いていた。



明日の日本を

明日の世界を背負(しょ)って立つ若者だ。



まだこんな若者が残っていたのだと

ホッとすると同時に、



ボクは当時の自分を彼に重ね合わせていた。





まだまだ

ソーゴーショーシャの活躍する場は



この世界ではいくらでもある。




日本を牽引し

世界を変えてほしい。




ボクもまだ

現役のソーゴーショーシャ・マンだ。





負けてるわけにはいかない。



日本が、

世界がボクを必要としてくれている。




そういう自負がある。




また

そう思わないと



楽しく、明るく、面白く

そして


自由に、好き勝手に生きていくことなんかできないから。




飛び出せ世界へ!


ソーゴーショーシャ・マ~ン!!

最悪のパターン

2012年06月16日 | 人間関係
この4月

一人の若者が


高校を卒業してめでたく社会人となった。




東京の会社に正社員として雇用されたのだ。



彼が高校2年生の時に知り合い

父親のいない彼に



影ながら支えになれればと思いながら接してきた。



東京へと旅立つ前に

何度か食事を共にした。



そのとき

社会人の先輩として



言って聞かせたことがある。




仕事や職場での人間関係の厳しさはもちろんだが


何といっても




「正社員」の重みを口を酸っぱくして言った。




今の学生たちに


社会人になったら何になりたいと聞くと



「公務員」か「正社員」 という答えが多いそうだ。





それほど

今の世の中



「正社員」という地位(?)は重く意味深いものなのだ。





彼が


入社試験に受かり



「正社員」という文字が入った雇用契約書にサインするとき



「スゴイじゃない」、と言い、


心から「おめでとう」といった。






そして


「辞めるなよ」

といった。




「せめて

3年は我慢して今の会社で働けよ」





「一旦辞めたら


二度と正社員にはなれないぞ」とも。




「正社員」という肩書(?)が


どれほど価値の高いものか。




君がもらった「正社員」という肩書を


どれほどの人が手に入れたいと思っているのか、と。





かれは


はい、はい、と素直に頷いていた。





その素直さが


ボクに一抹の不安を与えた。




この子は分かっていない。




高校時代

アルバイトの経験もなかった。




ボクが彼に何度もアルバイトをするように勧めたにも係わらず。





いつも母親のもとにお小遣いをせびりに来ていた。




仕事のなんたるかはもちろん、


お給料(アルバイト料)の意味さえ知らないようだった。





いいか、

この会社で生涯辞めずに働けとは言わない。




むしろ将来


独立して自分で事業を始めろ。





今はそのためのステップだと思え。


会社は良いもんだぞ。



学校と違って


お給料をもらいながら勉強させてもらえるんだから。




先輩から


学べ、


真似ろ、


盗め。






そしてその間に

自分が何をやりたいのかを見つけろ。



貯金しろよ。



少しでいいから

苦労かけたお母さんに仕送りしろよ。




一年に100万貯めろ。

三年で300万だ。




それを元手に事業を起こせ。




失敗したって構うもんか。



またやり直せばいい。

君は若いんだ。



何でもできるんだ。






いいか、

万が一辞める時は



次にするべきものを決めてから辞めるんだぞ。





いいか、

決してプッツンするんじゃないぞ。



自暴自棄になんかなるんじゃないぞ。



どんなに辛くたって

歯を食いしばって頑張るんだぞ。




キレたらいかんぞ。



すぐ辞めたら

2度と「正社員」はないと思え。









昨日、

彼の会社から電話がかかってきた。




彼が

上司に暴言を吐いて飛び出した、と。



居所が分からない、と。


出勤停止にしてる、と。







彼から母親のもとに電話が入った。


会社辞めた、と。



熊本に帰る、と。





入社して2か月足らず。

心配していた通りのシナリを


彼は実に素直に歩んだ。




だから

その素直さが怖かったんだ。





その後、連絡は途絶えたままだ。



とにかく一刻も早く


彼を探し出して会わねば。





まず彼の気持ちを聞きたい。




社会のトント入口でつまずいてしまった。


だが、まだ軌道修正は十分可能だ。




若者は得てして同じ道を歩む。


ボクも決して例外ではなかった。




親に迷惑をかけた。

親に心配ばかりをかけてきた。





人生は長い。

そして


矢のように時は過ぎていく。




早く

俺の前に姿を見せろ。




君に聞きたいことがある。




君の力になりたいから。