【現代思想とジャーナリスト精神】

価値判断の基軸は自らが判断し思考し実践することの主体であるか否かであると考えております。

【国民的統一戦線への探求】 地方自治体選挙と国政選挙~大阪選挙区比例区選挙についての私見~

2015-12-18 23:35:11 | 政治・文化・社会評論
【国民的統一戦線への探求】
地方自治体選挙と国政選挙
~大阪選挙区比例区選挙についての私見~
                 櫻井 智志

 大阪府知事選・市長選で、日本共産党大阪府委員会が大阪自民党と共闘したことは、私は今でも正しかったと考える。

 参院選大阪で、民主勢力はどう闘うべきか。私は、おおさか維新と大阪公明党、大阪自民党と正面から闘う姿勢が適切と考える。

なぜか?
ひとことで言えば、ダブル選挙は地方自治体の選挙戦であるが、参院選大阪は国政選挙であるから、良識的な大阪自民党は、国政の自民党本部の指揮系統で闘うことが必然的であるからだ。

 大阪自民党は、以前の住民投票の大きな参謀格の大阪府連幹部が安倍・菅コンビによって唐突に更迭され、本部の言うがままでおおさか維新とも通底する人物が据えられた。そのため参院選に向けて、大阪自民党は早急に本部による改悪のてこ入れが進められ、参院選では自民党本部の言うがままに動く。

 参院選最大のポイントは、安倍政権が自民党、公明党、橋下徹氏とおおさか維新の勢力で参議院で三分の二を占めて憲法改定を正面突破することを狙いとしている。それを公約として正面から据えるかどうかは別だ。今までもアベノミクスを選挙戦の柱としながら、終わったら国会では戦争法案にのめりこんでいった安倍自公政権である。

 大阪の民主勢力と府民は、大阪自民党は独自のカラーを生かすことは自民党本部は認めないことを知るべきだ。選挙戦で「大阪」という冠はつけず、自民党とは安倍総裁のもとに一党独裁を志向するファシズム政党でしかなく、憲法改定のために公明党とくみ、先遣隊として橋下徹=おおさか維新を駆動させる。そのことをもとにして、

「戦争法を整備して憲法を改悪する連合」

それが闘いの対象であり、自公お維新の3党の候補を落選させるためには、生活の党・社民党・民主党・維新の党・新社会党・緑の党・無所属良識派などと連携して、自公お維新をともかくも落選させることだ。
「おおさか維新」と「大阪維新」は、一方は「大阪都構想」を大阪で進め、他方は東京永田町で「憲法改悪」を進めていく分業体制のようだ。大阪都構想は松井大阪知事が仕切り、「憲法改悪」の先遣隊は橋下徹が安倍総理のお先棒を担ぐ。
200%立候補しないと言っていた橋下は翌日シャアシャアと立候補した。大阪市長の任期が切れたことをもって政治家を離れる橋下は、当面よみうりテレビなどでニュースコメンテーターとしてお茶の間になじんで、七月の参院選には出馬する。おおさかか大阪か紛らわしいのだがオーサカ維新の国会議員当選はブームとなってフランス極右政党国民戦線のように大化けして、二桁当選の危険性さえ予想される。
安倍反動政権の上をいく極端なパフォーマンスで改憲勢力を全体的に右に引き寄せ、憲法改悪三分の二の自公お維新議席は、日本国の自殺行為となる。

その平和憲法抹殺の大衆的ブームをまきおこすか、阻止するか、まさに大阪共産党と民主勢力は、参院選という大阪夏の陣の最前線の闘争をになう。それはまさに1600年代の真田幸村の闘いに似ている。まさかNHKは大河ドラマで「真田丸」を放映するが、橋下徹のような個人的キャラクターは庶民受けするが、行った政治の軌跡は、A級戦犯として獄中に入れられた安倍晋三の祖父の発想のままだ。いわば「真田幸村争奪戦」となる。
日本共産党大阪府委員会は、日本全国の命運を握る選挙戦を闘う厳しさと栄誉とをになう。
JCP大阪から、現代のサナダ・ユキムラはきっと登場する。
JCP大阪そのものが集団的主体として真田幸村を体現する。

若者たちはゆく

2015-12-18 22:05:16 | 政治・文化・社会評論
♪若者たちはどうして眠れない
ひとりでいるのはきみだけじゃない
明日を信じてお休みよ
明日のためにお休みよ
(1971年 山上路夫作詞三番)
                   櫻井 智志


【孫崎享のつぶやき】
《学生たちよ。何を怖れるのか。2+2=4を見極めることより、権力が5というか3と言うか見て、それに従う道を選択しようというのか。》
2015-12-18 07:1210
昨日早稲田大学、大隈記念大講堂で「早稲田から安保法制を撃つ」ということで、講演会があった。
長谷部恭男、孫崎享、竹信三恵子、青井未帆,第2部 神田香織(講談「はだしのゲン」<第3部>山口二郎・ 福山哲郎・田村智子・高田健というメンバーであった。
安保法制を巡る動きで、反対の中心人物が多く参加した。
自民党推薦の参考人として国会に出た長谷部恭男早稲田大学教授が「集団的自衛権違憲」と述べたことで、一気に国民の中に、違憲反対の空気が広がった。
 山口二郎早稲田大学教授は、市民運動を学者の立場から引っ張った。
福山哲郎氏は国会での安保法制論議の中で、民主党の核になり、最も論戦に貢献した。
高田健氏は戦争をさせない1000人委、総がかり行動の事務局的活動をした。
青井未帆早稲田大学教授は女性憲法学者として、違憲論を情勢の中に浸透させるのに貢献した。
大隈記念大講堂の定員は1200名という。ぎっしり埋まり、立見がで、地下の小ホールにも人が入って聞いていたという。
ただ驚いたことがある。学生の姿がほとんど見えないのである。
1200名以上の人は、まさに国会包囲に参加したような人々が、今にもデモに参加するようないでたちで、多分都心の様々な場所から来たのであろう。でも早稲田の学生がほとんどいないのである。
私は、アエラの記事を思い浮かべた。
12月14日号アエラ掲載「本誌1030人調査でみる18歳の世論」
                 男子     女子
・安倍内閣を支持する     54.6%   33.6%
      支持しない    45.4%   66.4%
・原発の再稼働 賛成     66.4%   36.9%
 反対     33.6%   50.9%
安保法制   賛成     59.0%   36.9%
        反対     41.0%   63.1%
これは、18歳のアンケートであるが、多分、若者は同じ傾向を示すであろう。
この講演で、青井未帆教授は重大なポイントを指摘していた。
「安保法制で様々な決定をした。しかし政府が意図する軍事主導の体制はまだ作れない。憲法9条がある限り。どうしても違憲でできない点がある。今後憲法を改正する動きを行うであろう。その意味で次の参議院選挙は重要になる。憲法では特に非常事態条項に気を付けるべきだ」と述べていた。
事態は終わっていない。
今後の動きは国民にある。そしてその選択の重要な役割を若者が担う。
早稲田大学は若者の中で、審理を追及するなら最もふさわしい大学のはずである。
集団的自衛権を巡る動きは終わったのではない。これおからも正念場が続く。
少なくとも1200人以上の人々がいろんな所から事態がどうなるかを見極めようとして来た。
何故早稲田の学生は聴きに来ないのか。
2+2=4を見極めることより、権力が5というか3と言うか見て、それに従う道を選択しようというのか。
1946年の伊丹万作著「戦争責任者の問題」を思い出す。
「我々は、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。」
私には早稲田の学生は「騙される」道を選択したように思える。
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私見
 孫崎氏が指摘する早稲田大学の学生以外は、どうだったのだろうか?
SEALDsのリーダーがいる明治学院大やいわゆるエリート校で東京エリアにある東大、一橋大、慶応大は?
私は1970年の前後に高校・大学の学生だった。社会が激動期でアメリカではベトナム反戦運動で実践的な知識人たちの動きを当時家庭で購読していた朝日新聞の夕刊文化欄に、「ニューレフト」という言葉を初めて見たのが中三~高一の時期だった。朝日などマスコミで知識人たちは、世界の情勢を伝え若者たちに影響を与えた。
 しかし、進学高校に入った私は、生徒総会や自主ゼミを校内で開き自らの狭い知見を発信した。共鳴してくれる学生もいて、自主ゼミには教室がほぼ満員に近い参加者だった。だが大勢は受験一本槍で、冷笑する生徒もいた。
 現在もそうなのだ。卒業間際に「反体制的」な目で見られると、一流企業や就職内定先によく想われないかも知れない。森元総理は早稲田だが、雄弁会は軒並み自民党の幹部や首相になっている。SEALDsのホームページでのコメントを読むと、あまりに酷い誹謗中傷、女子大生のメンバーへの性的なニュアンスの野次や暴言など軒並み書き連ねる連中がいる。2ちゃんねるに個人情報を何度も何度も流し続ける世界がある。
 これが現実の一方なのだ。
 早稲田はかつて数十年前の私の学生の頃には、革マル派の拠点校とよばれた。いま自分の言葉で発言するSEALDsの諸氏のような学生は、東大や早稲田にどのくらいいるのだろう。
 それでも、私はSEALDsのような学生像に、現代日本に若者たちの希望を見出し、敬意を表する。同世代からSEALDsを輩出したことで、いまの大学高校生世代を国民の財産と想う。知らなければ、伝えればよい。いまの若者たちはかつて1966年頃からフジテレビで放送され、三部作映画ともなった『若者たち』を支持した青年たちと一部において類似したものがある。アエラのアンケートが、若者たちの意識におりていってともに生活を共有したなら、アンケートは変わる場面もあろう。
 口先だけうけそうな回答よりも、言葉に軽はずみに出さないが深く心のおもりとなって沈んでいるこころの声を聴き取ることが大切だ。