【現代思想とジャーナリスト精神】

価値判断の基軸は自らが判断し思考し実践することの主体であるか否かであると考えております。

【永岡浩一さんからの通信】

2022-12-09 16:01:19 | 転載
【永岡浩一さんからの通信】

TBSラジオ 荻上チキセッション(2022/12/8) 中絶をテーマにした映画「あのこと」をきっかけに考える現在の性教育、オードレイ・・ディヴァン監督、遠見才希子さん、高崎順子さんのお話、フランスでもカトリックの観点で中絶禁止から、女性、医師が声を上げて進めて、他方日本は中絶できても野蛮なやり方しかできず、アフターピルは承認されず、戦前の家父長的女性差別をなくさないと日本破滅を語る



 永岡です、TBSラジオの、荻上チキセッション、メインセッション、探求モード、中絶がテーマの映画「あのこと」(https://gaga.ne.jp/anokoto/ )、オードレイ・ディヴァン監督のものから、性教育について、産婦人科の遠見才希子さん、フランス在住のライター、高崎順子さんがリモート出演されました。パートナーは南部広美さんでした。

 あのこと、はベネチア映画祭で最高賞を受賞、望まぬ妊娠を描いたもの、他方アメリカでは中絶禁止、日本でコロナ禍、望まぬ妊娠、出産、死産が増えて、60年代のフランスは中絶が違法、今回は中絶の権利と性教育を考えるもの、遠見さんは10数年性教育講演を700回されて、中絶の映画が国際的に注目、遠見さんこの映画で中絶について考えてほしい。

 南部さん、あらすじを語られて、1960年代のフランス、主人公アンヌは貧しくとも大学に行き、しかし大切な試験の前で望まぬ妊娠、アンヌはたった一人で12週間の闘いと指摘されて、チキさん、映画は注目、原作者はノーベル賞受賞、映画には仕掛けがあり、ネタバレではなく、数字が増えて、主人公アンヌが追い詰められるもの、監督のディヴァンさんにもチキさんインタビュー、これを作る過程、原作本、ディヴァンさんも中絶を経験して支えるものを求めて、中絶は合法違法とも沈黙に包まれて、原作本から沈黙を破るもの、小説を読み、沈黙に包まれていても、中絶の合法と違法は全く異なり、小説で女性の自由、それを獲得するために女性の払わないといけない対価を問い、そして身体的な痛みと、心の痛みを表現、主人公アンヌは正直に、いやなものから目をそらさず、そしてそれ故に観客は理不尽も体験することになり、痛みを見せるのに、それには理由があり、痛みから最後の自由を手にすることになり、主演の方と意見交換して、共に人物像を構築、リハーサルは好まず、リハーサルを重ねると機械的になり、やり取りして人物像を模索して、撮影時に自由にしてもらい、リスクもあり、感情を伝えるのは容易ではなく、やってみないと分からず、感情を伝えるのは奇跡、それは起こらないかもしれない。映画では1週、2週とカウントアップして、主人公は追い詰められるもの、撮影の順番は、物語の時間軸で作るのは現実には困難、制約もあり、時間経過とともに撮影は困難、しかし物語のどの段階であるか、時間軸に沿って制作したようになった。チキさんも、感情を描くのに成功だと説かれて、ディヴァンさん、細かい、感情の高まりを描けた。チキさん、男性たちの描かれ方、セックスのみ興味、女性の体を考えないと説かれて、ディヴァンさん、これは実話が原点、男性も様々な人がいるとして、タチの悪い、無知、女性の妊娠を理解せず、しかしそれが理解して変化、最終的にアンヌを助けて、男性はこう、というステレオタイプではなく、男性は女性の妊娠を知らない60年代、女性も男性に知らせない空気。チキさん、当時日本もフェミニズムがなかった、そして映画作りで、社会の60年間の変化を問われて、ディヴァンさん、女性を男性が理解することは、フランスも、多くの国も変わっていないものがある。

 チキさん、アメリカで中絶禁止、日本だと男性の合意が必要な封建的なものを説かれて、ディヴァンさん、アメリカの最高裁判決は予想せず、映画を作り、若い女性の共感、命を落とす、同じ映画でも、観客により受け止め方は国により異なる。チキさん、映画で一人の人生を考えるきっかけになると説かれて、ディヴァンさん、日本の観客は、映画祭で一度上映したのみ、その後の観客の反応を楽しみにしていると説かれました。

 遠見さん、日本は1948年に中絶合法化でも女性の権利という視点は欠落、中絶は安易と事情を知らず、中絶=悪という反応を得たというもの、そしてディヴァンさんの60年間の変化なし、中絶の罪悪感を強めた教育があり、そして飲む中絶薬認可されず(以前、安田菜津紀さんとのジャム・ザ・ワールドで語られていました)、中絶はえげつない物理的なもので、女性に危機だと指摘されました。中絶の選択肢は、12週まで手術、アフターピルは海外だと30年前からOK、日本でも認可されるのに、女性の視点は無視。チキさん、映画の舞台のフランスについて、高崎さんの指摘を説かれて高崎さんは映画を全編引き込まれて見て、自分の体験に合わせて見ていたもの、60年代の大学生も知り、しかし時代を超えて訴えるものがある。チキさん、フランスでの評価を問われて、高崎さん、高い評価、ベネチア映画祭で評価、今の問題点も指摘。映画に評価はなくても、中絶問題を描いた面は評価されている。フランスでは中絶は犯罪、やることはおろか名前を言うことすらアウト、それであのこと、というタイトル。中絶は闇で年間30万人=命を落とした女性も多数、フェミニスト運動も60~70年代にあり、74年に中絶はOK、80年代に医療保険、ある年齢は無料、今は全年代無料、しかしそれも時間がかかった。

 フランスの中絶は飲む薬メイン。7週まで、76%であり、外科手術、産婦人科、妊娠14週まで、しかしこれは少数派、チキさん、医師もこれを手伝わないというシーンがあると説かれて、それほど厳しい刑罰かと問われて、高崎さん、刑罰は重かったが、刑罰は少なくなり、女性のレイプ、中絶を有罪なのを女性の弁護士がひっくり返し、有名な女性が自分も中絶したと名乗り、医療者も名乗り出て、それで社会運動になった。チキさん、当時の反発を問われて、高崎さん、フランスはカトリックで中絶アカン、カトリックから担当大臣に誹謗中傷、しかし自分の意志に合わないと断れて、別の医師の紹介は必要で、そしてカトリックの系統も同意した。

 チキさん、女性と医療者の声が動かしたと説かれて、遠見さん、日本には女性に望まぬ妊娠を避ける権利があるのに、それを伝えきれていない、そして中絶の方法、日本には飲む中絶の薬は認可されず、日本では子宮の中を書き出す超時代遅れで国際的な批判、中絶は産婦人科のみではなく、社会として女性の権利として定着させるべき。そして日本だと堕胎罪があり、それを母体保護法で何とかして、しかしやれる医師は限られて、閉ざされた問題、今関心も高まり、日本も中絶薬を認可させる必要がある。

 高崎さん、フランスでは緊急避妊薬、薬局でOK、25歳以下の女性は無料でアフターピルOK、そして妊娠確定の後の薬は診察が必要で、2015年まで2度受診の必要があり、しかしその後1度目で診察、2度目で中絶になり、薬、手術ともにやれる。2度の受診は当日でも薬だとOK。

 チキさん、アフターピルだけでなく、コンドームはどうかと問われて、高崎さん、コンドームは無料配布もある。遠見さん、フランスを聞いて、日本は遅れて、避妊の選択肢はコンドームか低用量ピル、アフターピルは薬局で買えず受診しても1万円かかり、コロナで女性は大変、今こそ変わらないとダメ。性教育は、15歳から、意図しない妊娠は起きるもので、それに対する対応は、若者は大切にされるべき、社会で支えるべきなのに、自己責任で片付けられて、避妊、中絶の選択肢は少ない。避妊法でパッチ、日本では認可されず、しかしホルモン剤のシールを貼り、それでコンドームより有効だが、遠見さんすら見ていない。高崎さんは見本は見たが、避妊はフランスでは公式サイトで示して、安全にできる。

 リスナーより、あのこと、見たもの、衝撃的、見ていて、妊娠させた男はどうなる、女性は大変と主人公を応援、しかし子供のことを考えないのは、出産経験のあるものとして、性教育が日本ではなっていない、嬰児遺棄事件のこともあるというもの。チキさん、先に性教育として、中絶の薬に否定的なものがあると説かれて、遠見さん、女性を管理するものはダメ、女性は自分の体を自分で決められる権利が日本だと大切にされず、遠見さんすらこれを確認したのは数年、望まぬ妊娠はししたらダメが今の性教育、しかし性教育は一人一人が、自分と他人の権利を守るべきもの、エライ人が上から目線ではダメ。高崎さん、フランスでの性教育は公教育の一環、フランスだと3歳から義務教育で18歳まで、読み書きだけでなく、他者の尊重が必須、性教育はこの他者の尊重そのもの、それがフランスで、日本の文科省に当たるものに示されて、望まぬ妊娠を救い、LGBT尊重、男女平等など、日本でもフランスのことを知ってほしく、包括的、多面的、医療、文化など、授業は生徒との対話で真正面から善意である。チキさん、フランスで他者の尊重が義務教育なのにビックリ!高崎さん、お子さんが10歳と13才、小学校だと触らせてはいけないのはどこ、生物学的に教えて、体の権利。性は中学で学び、今は知らなくていい、中学、高校だと、生物学の視点、教師の裁量が大きく、国は素材を提供、年間3回は性教育に特化してやっている。チキさん、最低ラインはフランスではあり、他方、日本は、して時間になりました。

 今、統一協会の性教育否定、文鮮明氏、韓鶴子氏は子供を産まないものはダメと、戦前の日本そのままを今も維持、しかし、杉田水脈氏のような差別視点を残した政治家も跋扈、つくづく日本は先進国ではなく、野蛮国であると認識させられました、以上、遠見さん、高崎さんのお話でした。