【永岡浩一さんからの通信】
TBSラジオ 荻上チキセッション(2023/1/26) 石井正則 ハンセン病の教訓を考える、ドキュメンタリーを見てハンセン病の当事者の実態に衝撃を受けて、スマホではなく大きなカメラで追跡した意味、長島愛生園の田村朋久さんとともにコロナ禍で繰り返された感染症の差別、間違いを今後してはならないものを追及する
永岡です、TBSラジオの、荻上チキセッション、メインセッション、探求モード、俳優の石井正則さんがハンセン病について語られました、パートナーは南部広美さんでした。コロナ以降、社会をどうするか、みんながみんなを支える社会のために考えるもの、ハンセン病は、皮膚、神経を侵すもの、しかし今は治療法確立で完治、それでも世界的に患者と家族は差別、信じられない差別があり、そしてコロナ初期に感染者、医療従事者が差別、ハンセン病の療養所が全国にあり、石井さん、その取材、写真撮影されて、石井さん、サーティーンのハンセン病の著書(https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784798701776 )もあり、きっかけはテレビ番組でハンセン病の療養所のドキュメンタリーでビックリ、2012,13年にそれを知り、その番組で、香川県の療養所のドキュメンタリーを見て、半年後撮影で香川県に行き、またそのドキュメンタリーの再放送があり、それを見ていくしかないという感覚になった。
チキさん、ドキュメンタリーを見て人生が変わったと説かれて、石井さん、かつての大きなカメラで撮影、今はスマホで写真撮れるが、こういう重みのあるものを撮るのにスマホでは役不足、自分がやるしかない、大きいカメラで撮影。チキさん、見ているものとして、取材により印象は変わると説かれて、石井さん、行くと年配の方も多く、写真館のカメラ、二眼レフでやると対象の方の印象も変わる。チキさん、療養者が語られると説かれて、石井さん、そのためにフィルム、確かな物になるもの、東京の療養所も行き、多摩のもの、近所の人が近道で自転車で行くもの、しかし空気は異なり、写真展を3年前にして、最初のものは、今感じた気持ちをフィルムに収めたものであり、その感覚は、街を歩いて通常の公園ではなく、隔離政策があり、そして反省に基づいて資料館があるもの、チキさん、敬意と圧倒があったかと説かれて、石井さん、三脚の必要なカメラでやり正解、スマホだと真正面からぶつかれなかった。チキさん、SNSに映える写真ではなく、ドキュメンタリー写真の意味を説かれて、そしてリスナーと前提を共有したく、ハンセン病は治療法があるのに、行政の隔離政策で差別が拡大されて、戦前の予防法から患者の隔離、家族も差別にさらされて、患者と家族への偏見の解消は必須。
石井さんの見たドキュメンタリーは、療養所で働く職員さんの息子さん、島を出て大学に行き、夏休みに島に戻り療養者と交流、その方は陶芸が趣味で、しかし故郷に帰れず、陶芸、手が不自由でしかしうまく作られて、自分の終の棲家、骨壺を作っているというもの、それを石井さん、今の日本でこんな差別があるのかという衝撃、教科書ではそれほど教えられず、かつての話、歴史上の出来事=今は無縁とされて、石井さんの中でも風化、しかし写真は今を残すもので、意味はある。
チキさん、隔離政策が廃止されても家族に拒否された方もいて、療養所の皆さんのドキュメンタリーの意味を問われて、石井さん、圧倒されたのは、石井さんは当事者ではないが、ドキュメンタリーに出た方、石井さんの会われた方は生きることに前向き、石井さんの予想と異なり、暗いというものではなく、全国に13ある療養所の、生活は命に満ちて、石井さんが元気をもらえるようなもの、だから、新しい写真を撮ることになり、暗い側面がメディアでは受けるが、そうではなく、多くの意味があり、写真集を出して、光をテーマにすると分かりにくいと反響もあったが、石井さんの取材は続く。
チキさん、療養所の中で差別、ハンセン病の方が作品を発表して、文学史の中で評価の動きもあると説かれて、本に詩を石井さん掲載、取った場所は、誰でも見学OK、コロナで今は制限あるものの、皆さんの行ける場所を石井さん撮られて、みんなに見てほしい、そして歴史を伝えるために、本人たちの言葉を入れて、当事者の発信のために詩を使ったもの、出して3年たち、出した時は読み手に反応はなく、しかし三部構成、導入は道の写真ばかり、療養所に入る道、導入部に詩、二つ目に隔離政策の苦しさを示した詩、最後に生きてきた強さを見せたもの。道、闇、光で構成、ハンセン病の療養所から、説明のために写真を使った。チキさん、石碑、差別の証拠、自然がありチキさんも感銘、そして石井さん、詩を朗読されて、金魚を閉じ込められたもののシンボルとしてのもの、そして現代社会に、鳥かごとして囚われたものがあり、そして切実、器の中のもの、体験を、苛烈な経験をしたものしか語れないもの、療養所の石碑に、地面の底が抜けたというもの、チキさん、日本社会で制度として患者は隔離、金魚がくちばしを鉢にぶつけて、そして差別のことを描写した意味を説かれて、石井さん、短い詩に意味があり、背筋が伸びて、他の言葉と出会ったものと異なる。
チキさん、こういう言葉は園の中にある、石井さん、ハンセン病の患者の本もあり、記録本を作っている木村さんのお話だと、書籍として詩は残らず、それら記録を残す意味は大きい。
石井さん、療養所の写真を撮られて、言葉を発信するための本、そして詩を紹介されて、重い歴史の中で生きた証言、石井さん自身、言葉は何かを指すもの、人に何かを伝えるのに苦労もあり、言葉の綺麗さより、何を伝えたいか、それを模索、石井さんの解釈も、写真集で表現、そこに絶望をうたうもの、様々なものがある。
長島愛生園の田村朋久さん(https://leprosy.jp/people/tamura/ )が電話出演、日本初のハンセン病の隔離施設、西表島も候補になったが、反対運動、飲料水の問題もあり、瀬戸内海で作ることになり、江戸時代池田藩のもの、国有地で、国が利用しやすい。石井さんもそこに行き、過去の歴史を伝えようというものになった。資料館に意味もあり、頭でではなく体で歴史を考えるもの。田村さん、ここは隔離の島、長島愛生園は田村さん、中学校で学び、橋も作られて、しかし遠い世界のものと感じて、田村さんの行った高校は愛生園の母校なのに、教えられず、今は積極的に教えられる。田村さんは愛生園の資料館で働くことになり、友人が愛生園で働き、そこに行くことになり、そして資料館を2001年に作ることになり、2001年は国賠訴訟判決が5月にあり、新聞報道も多く、見学者、研究者も多く来た。田村さんはここで働き、ハンセン病の歴史を学び、長島の中と外で感覚は異なり、ハンセン病の知識はそこから学び、地元の人間もハンセン病のことを知らず、自分のものではなく、他人事。2003年に歴史館ができて、最初の入所者の話を聞くものの、見学者は団体が多く、連れてこられた(ハンセン病に積極的関心なし)人も多く、無関心は問題。しかし優しい人が園の中に多く、人間的、文化的に優れた方が社会から排除はおかしい。そして、入所者のことを知るのに、質問も専門知識が必要、勉強は必要。
当初の展示は、ギャラリーもあり、入所者と、業者のコラボ、しかし基礎知識を伝えるのに、これを見てほしいという情熱が先行して、1年で展示内容の全面変更もあり、知らない人にハンセン病のこと、患者たちの苦労や差別を知ってもらうために、田村さんは予備知識なく、それで客観的展示を作れた。チキさん、10年前に行き、展示の変化を問われて、田村さん、療養所の方は高齢化して語れず、体験の伝承は課題。年間500団体コロナ前に来て、6割はリピーターのもの、継続に意味がある。チキさん、回復した方の反応を問われて、田村さん、自分たちのことを知ってほしく、それを支える必要はある。コロナ禍で、見学は瀬戸内市のコロナの状況により、緊急事態でないとお断りはせず、しかし見学者は大型バスで来られるので受け入れにコロナで問題もあった。見学者により関心を持ってもらい、患者を差別することはなく、人権問題など、正しい情報を知るのに関心は必須、ハンセン病について、しっかり学び、課題ちとして持ち帰ってもらう。
石井さん、この試みについて、場所に行き、見る、感じる、正しく理解するのに大きな意味があり、情報で頭でっかちになるのではなく、歴史資料館で見るのは、正しい理解のために必須。チキさん、連れてこられた人が差別にさらされて、大変であった、石井さん今はインターネットで家でわかるものがあるが、歴史館や資料館を直接見るのと違いはあり、写真は、看護師が年代で変化、重装備なら、変わってくるものは、資料館で見ると全く異なり、ぜひ行ってほしい。チキさん、回復者のことを知ってほしい。
田村さん、今後の感染症にもこの教訓を生かしてほしい、人間は誰も病気になりたくない、それもウイルスのものは差別になり、情報の錯綜があり、職場で、学校でコロナ感染の第1号になりたくない、これは差別に対する恐れ、そのため差別を恐れて隠し、すると感染になり、結核、ハンセン病など多数の感染症と人類は闘い、感染症に社会は寛容であるべき。そして3年前に、全国民にPCR検査を、感染者は隔離と言われて、それはハンセン病の際にもあったもの、正しい理解で、ハンセン病の間違いを繰り返してはならない。チキさん、石井さんがドキュメンタリーを見て感心を持ち、そして石井さんの本を見て知ってほしいと、石井さんも田村さんも締めくくられました、以上石井正則さんのお話でした。
なお、しんぶん赤旗の今日のものは、岸田政権の軍拡をメディアの人間が後押し、https://www.jcp.or.jp/akahata/aik22/2023-01-26/2023012601_01_0.html 読売、日経だけでなく、元朝日の船橋洋一氏もそれをしている始末、メディアが戦争推進は太平洋戦争と同じ、また、赤旗日曜版は、またぞろ自民と統一協会のいかがわしい関係が載ります。戦争とカルトにまみれたこの国、このままでは崩壊です。三浦瑠璃氏はテレビから追放ですがそれだけでなく、自民党の統一協会カルトたちを追放しないとこの国は破滅です。
TBSラジオ 荻上チキセッション(2023/1/26) 石井正則 ハンセン病の教訓を考える、ドキュメンタリーを見てハンセン病の当事者の実態に衝撃を受けて、スマホではなく大きなカメラで追跡した意味、長島愛生園の田村朋久さんとともにコロナ禍で繰り返された感染症の差別、間違いを今後してはならないものを追及する
永岡です、TBSラジオの、荻上チキセッション、メインセッション、探求モード、俳優の石井正則さんがハンセン病について語られました、パートナーは南部広美さんでした。コロナ以降、社会をどうするか、みんながみんなを支える社会のために考えるもの、ハンセン病は、皮膚、神経を侵すもの、しかし今は治療法確立で完治、それでも世界的に患者と家族は差別、信じられない差別があり、そしてコロナ初期に感染者、医療従事者が差別、ハンセン病の療養所が全国にあり、石井さん、その取材、写真撮影されて、石井さん、サーティーンのハンセン病の著書(https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784798701776 )もあり、きっかけはテレビ番組でハンセン病の療養所のドキュメンタリーでビックリ、2012,13年にそれを知り、その番組で、香川県の療養所のドキュメンタリーを見て、半年後撮影で香川県に行き、またそのドキュメンタリーの再放送があり、それを見ていくしかないという感覚になった。
チキさん、ドキュメンタリーを見て人生が変わったと説かれて、石井さん、かつての大きなカメラで撮影、今はスマホで写真撮れるが、こういう重みのあるものを撮るのにスマホでは役不足、自分がやるしかない、大きいカメラで撮影。チキさん、見ているものとして、取材により印象は変わると説かれて、石井さん、行くと年配の方も多く、写真館のカメラ、二眼レフでやると対象の方の印象も変わる。チキさん、療養者が語られると説かれて、石井さん、そのためにフィルム、確かな物になるもの、東京の療養所も行き、多摩のもの、近所の人が近道で自転車で行くもの、しかし空気は異なり、写真展を3年前にして、最初のものは、今感じた気持ちをフィルムに収めたものであり、その感覚は、街を歩いて通常の公園ではなく、隔離政策があり、そして反省に基づいて資料館があるもの、チキさん、敬意と圧倒があったかと説かれて、石井さん、三脚の必要なカメラでやり正解、スマホだと真正面からぶつかれなかった。チキさん、SNSに映える写真ではなく、ドキュメンタリー写真の意味を説かれて、そしてリスナーと前提を共有したく、ハンセン病は治療法があるのに、行政の隔離政策で差別が拡大されて、戦前の予防法から患者の隔離、家族も差別にさらされて、患者と家族への偏見の解消は必須。
石井さんの見たドキュメンタリーは、療養所で働く職員さんの息子さん、島を出て大学に行き、夏休みに島に戻り療養者と交流、その方は陶芸が趣味で、しかし故郷に帰れず、陶芸、手が不自由でしかしうまく作られて、自分の終の棲家、骨壺を作っているというもの、それを石井さん、今の日本でこんな差別があるのかという衝撃、教科書ではそれほど教えられず、かつての話、歴史上の出来事=今は無縁とされて、石井さんの中でも風化、しかし写真は今を残すもので、意味はある。
チキさん、隔離政策が廃止されても家族に拒否された方もいて、療養所の皆さんのドキュメンタリーの意味を問われて、石井さん、圧倒されたのは、石井さんは当事者ではないが、ドキュメンタリーに出た方、石井さんの会われた方は生きることに前向き、石井さんの予想と異なり、暗いというものではなく、全国に13ある療養所の、生活は命に満ちて、石井さんが元気をもらえるようなもの、だから、新しい写真を撮ることになり、暗い側面がメディアでは受けるが、そうではなく、多くの意味があり、写真集を出して、光をテーマにすると分かりにくいと反響もあったが、石井さんの取材は続く。
チキさん、療養所の中で差別、ハンセン病の方が作品を発表して、文学史の中で評価の動きもあると説かれて、本に詩を石井さん掲載、取った場所は、誰でも見学OK、コロナで今は制限あるものの、皆さんの行ける場所を石井さん撮られて、みんなに見てほしい、そして歴史を伝えるために、本人たちの言葉を入れて、当事者の発信のために詩を使ったもの、出して3年たち、出した時は読み手に反応はなく、しかし三部構成、導入は道の写真ばかり、療養所に入る道、導入部に詩、二つ目に隔離政策の苦しさを示した詩、最後に生きてきた強さを見せたもの。道、闇、光で構成、ハンセン病の療養所から、説明のために写真を使った。チキさん、石碑、差別の証拠、自然がありチキさんも感銘、そして石井さん、詩を朗読されて、金魚を閉じ込められたもののシンボルとしてのもの、そして現代社会に、鳥かごとして囚われたものがあり、そして切実、器の中のもの、体験を、苛烈な経験をしたものしか語れないもの、療養所の石碑に、地面の底が抜けたというもの、チキさん、日本社会で制度として患者は隔離、金魚がくちばしを鉢にぶつけて、そして差別のことを描写した意味を説かれて、石井さん、短い詩に意味があり、背筋が伸びて、他の言葉と出会ったものと異なる。
チキさん、こういう言葉は園の中にある、石井さん、ハンセン病の患者の本もあり、記録本を作っている木村さんのお話だと、書籍として詩は残らず、それら記録を残す意味は大きい。
石井さん、療養所の写真を撮られて、言葉を発信するための本、そして詩を紹介されて、重い歴史の中で生きた証言、石井さん自身、言葉は何かを指すもの、人に何かを伝えるのに苦労もあり、言葉の綺麗さより、何を伝えたいか、それを模索、石井さんの解釈も、写真集で表現、そこに絶望をうたうもの、様々なものがある。
長島愛生園の田村朋久さん(https://leprosy.jp/people/tamura/ )が電話出演、日本初のハンセン病の隔離施設、西表島も候補になったが、反対運動、飲料水の問題もあり、瀬戸内海で作ることになり、江戸時代池田藩のもの、国有地で、国が利用しやすい。石井さんもそこに行き、過去の歴史を伝えようというものになった。資料館に意味もあり、頭でではなく体で歴史を考えるもの。田村さん、ここは隔離の島、長島愛生園は田村さん、中学校で学び、橋も作られて、しかし遠い世界のものと感じて、田村さんの行った高校は愛生園の母校なのに、教えられず、今は積極的に教えられる。田村さんは愛生園の資料館で働くことになり、友人が愛生園で働き、そこに行くことになり、そして資料館を2001年に作ることになり、2001年は国賠訴訟判決が5月にあり、新聞報道も多く、見学者、研究者も多く来た。田村さんはここで働き、ハンセン病の歴史を学び、長島の中と外で感覚は異なり、ハンセン病の知識はそこから学び、地元の人間もハンセン病のことを知らず、自分のものではなく、他人事。2003年に歴史館ができて、最初の入所者の話を聞くものの、見学者は団体が多く、連れてこられた(ハンセン病に積極的関心なし)人も多く、無関心は問題。しかし優しい人が園の中に多く、人間的、文化的に優れた方が社会から排除はおかしい。そして、入所者のことを知るのに、質問も専門知識が必要、勉強は必要。
当初の展示は、ギャラリーもあり、入所者と、業者のコラボ、しかし基礎知識を伝えるのに、これを見てほしいという情熱が先行して、1年で展示内容の全面変更もあり、知らない人にハンセン病のこと、患者たちの苦労や差別を知ってもらうために、田村さんは予備知識なく、それで客観的展示を作れた。チキさん、10年前に行き、展示の変化を問われて、田村さん、療養所の方は高齢化して語れず、体験の伝承は課題。年間500団体コロナ前に来て、6割はリピーターのもの、継続に意味がある。チキさん、回復した方の反応を問われて、田村さん、自分たちのことを知ってほしく、それを支える必要はある。コロナ禍で、見学は瀬戸内市のコロナの状況により、緊急事態でないとお断りはせず、しかし見学者は大型バスで来られるので受け入れにコロナで問題もあった。見学者により関心を持ってもらい、患者を差別することはなく、人権問題など、正しい情報を知るのに関心は必須、ハンセン病について、しっかり学び、課題ちとして持ち帰ってもらう。
石井さん、この試みについて、場所に行き、見る、感じる、正しく理解するのに大きな意味があり、情報で頭でっかちになるのではなく、歴史資料館で見るのは、正しい理解のために必須。チキさん、連れてこられた人が差別にさらされて、大変であった、石井さん今はインターネットで家でわかるものがあるが、歴史館や資料館を直接見るのと違いはあり、写真は、看護師が年代で変化、重装備なら、変わってくるものは、資料館で見ると全く異なり、ぜひ行ってほしい。チキさん、回復者のことを知ってほしい。
田村さん、今後の感染症にもこの教訓を生かしてほしい、人間は誰も病気になりたくない、それもウイルスのものは差別になり、情報の錯綜があり、職場で、学校でコロナ感染の第1号になりたくない、これは差別に対する恐れ、そのため差別を恐れて隠し、すると感染になり、結核、ハンセン病など多数の感染症と人類は闘い、感染症に社会は寛容であるべき。そして3年前に、全国民にPCR検査を、感染者は隔離と言われて、それはハンセン病の際にもあったもの、正しい理解で、ハンセン病の間違いを繰り返してはならない。チキさん、石井さんがドキュメンタリーを見て感心を持ち、そして石井さんの本を見て知ってほしいと、石井さんも田村さんも締めくくられました、以上石井正則さんのお話でした。
なお、しんぶん赤旗の今日のものは、岸田政権の軍拡をメディアの人間が後押し、https://www.jcp.or.jp/akahata/aik22/2023-01-26/2023012601_01_0.html 読売、日経だけでなく、元朝日の船橋洋一氏もそれをしている始末、メディアが戦争推進は太平洋戦争と同じ、また、赤旗日曜版は、またぞろ自民と統一協会のいかがわしい関係が載ります。戦争とカルトにまみれたこの国、このままでは崩壊です。三浦瑠璃氏はテレビから追放ですがそれだけでなく、自民党の統一協会カルトたちを追放しないとこの国は破滅です。