【現代思想とジャーナリスト精神】

価値判断の基軸は自らが判断し思考し実践することの主体であるか否かであると考えております。

【永岡浩一さんからの通信】

2023-01-29 17:15:48 | 転載
【永岡浩一さんからの通信】


KBS京都ラジオ 久米村直子のスーパーデューパーサンデー(2023/1/29) 岡田涼子 彦根でのごみ処理施設の問題、微生物処理はいいもののそのままだと固形燃料が大量に出て結局二酸化炭素を大量に作ってしまい、環境保全のために分別をうまくするとリユースでお金にもなり有効なことを語る


 永岡です、KBS京都ラジオの、久米村直子のスーパーデューパーサンデー、リッスン・トゥ・マイ・フレンズのコーナー、KBS京都アクセスクラブの提供、彦根市のごみ施設、トンネルコンポストの問題について、原発要らんねん、おしゃべりウォークひこねの呼びかけ人の岡田涼子さんのお電話でのお話がありました。彦根は、雪は田んぼに残っているもの、水道管破裂は岡田さんの家で、台所で野菜が凍っている茅葺屋根のもの。

 トンネルコンポストの意味、家庭でもバケツに生ゴミを入れて微生物で処理はできて、それをごみ収集車で集めてコンポストでまとめて処理、古くて新しいもの、トンネルコンポストは利点もあるが、一か所に集めて、長所はごみを焼かずCO2や有毒ガスは出ず、短所は微生物発酵で70度の熱が出て、乾燥に使えて、後に固形燃料ができるが、それは結局燃やすのでCO2になり、固形燃料のためにプラスチックを大量に処理すると環境問題になる。有毒ガスは出ないが二酸化炭素は出る。

 そして、においは、70度の熱で殺菌、微生物は賢く、自分たちに有用なものにするので出ない。トンネルコンポストはどうして注目されているか、滋賀のごみ焼却施設の老朽化、各地で反対、彦根が候補、しかし子供たちのキャンプ場、農園もあり、古墳もある素敵な山で、反対の声は出て、しかしまずごみを減らそうという提案が議会に出て、しかし建設予定地は砂地で、土壌改良にたくさんの費用がかかり、そこで彦根市長から燃やさない、微生物処理が提案された。

 久米村さん、荒神山に建設は決定かと問われて、岡田さん、反対の声は強く、素敵な場所で、しかし他のごみ処理、燃やさないものを模索、しかし固形燃料ができて、微生物による分解はいいが、二酸化炭素減量をすべき、そのために、固形燃料を大量に出さないように、分別は必須。分別は大変だが、徳島県の上勝町でそれは行われて、各家庭に大きなごみ袋を用意、そこに洗った瓶、缶、生ゴミ以外を入れて、その袋を自分の都合のいい時にゴミステーションに置き、そこに40種のボックス、これは白いトレー、色付きトレー、乾電池とすると分別は楽。都合のいい時に捨てられて、缶、瓶の回収を市民もいい時にやれる。

 久米村さん、瓶など洗ってうまく分別と説かれて、岡田さん、80%はリユース、リサイクルになれて、上勝町では年間300万円の売り上げ、それを彦根で提案している。久米村さん、環境問題と財政の解決だと説かれて、岡田さん、リスナーに、子供、孫世代に二酸化炭素、放射能、毒物を残せず、しかし楽々分別のやり方はあり、気候変動をさせないものはやれて、しかし行政は燃やす発想になるが、燃やさないお手本はある。久米村さん、そのお手本を広げる時だと締めくくられました、以上、岡田さんのお話でした。



【TBS報道特集2023.1.28~現在社会の座標】

2023-01-29 12:57:11 | 政治・文化・社会評論
【TBS報道特集2023.1.28~現在社会の座標】

 連続広域強盗事件 

 最近の日本で連日報道されている広域強盗事件は過去にもあったのだろうか?犯罪組織の構造や広域を統合する組織の独自性は何か不明な虚像を連想させる。
 一方銃砲保持が法的に認められているのアメリカ。アメリカは多様な社会だ。暴動とそれと異なるデモ。個人の自由の広がりと国際的なコントロール制御と。国の内外を利用して詐欺と強盗を行う中心者が外国フィリピンから指令する。フィリピン政府や国に、日本人刑事犯容疑者は見栄と優越感をひけらかしている。経済犯罪も強盗行為も。まるで最近のDVDやテレビドラマを反復するように。
 取材の立場で、危険性を予想できる現場にでかけインタビューする様子を見て、報道人の大変さを感じる。ビッグニュースではない社会の犯罪事件に、日本社会の断層が投影されると感じた。

❷ 「不登校」をめぐる教育と政治の様相

 A県に住む女性教師は都内の任地。息子娘とあいついで
不登校になってゆく様子を数年間見ていて「はっ」とした。そこから女性教師は仕事をやめ子ども達と向き合おうと決意した。女性教師は、不登校の子どもたちを対象に学校の外に「フリースクール」を始めた。やがてフリースクールの取り組みはしだいに全国に徐々に広がっていった。自らフリースクールを主宰。奥地圭子さんの施設は東京シューレとして悩む親子の灯となっていった。
 全国的に教員に成り手がいないと報道された。学校現場実態が社会に反映されている。管理締め付けの中で学校現場職員の労務災害の第一は精神神経疾患で、産業職業のなかでも最も高い。子ども達は報道にあったように苦悩は救われていない。地味だが危機は日常的に進行している。
 教育の話題を考えているうちに、結局は家庭がわが子を見守ることが救いとならざるを得ない様相が見えてくる。問われているのは、個人の自立と世間と社会の共同体のフォローであり、それは教育と人格の再建の復活的発展だ。
 いま日本は、「みんなとおなじ」が無言同調圧力となっている。私はいまの教育問題において、大人も子どもも「意思表明」が成立される必要があると考える。
 同時に社会に困った人びとを地道に支援と援助をもうかなり長く続けている支援の人々がいることに、私たちは気づき何らかのかたちで連帯の言動を示していくことが課せられていよう。