今も人気撮影地のジンボシンこと神保原~新町。
電関人が上京したての頃はアンダーガータのシンプルな鉄橋で寝台列車など長い編成も乗るので人気が高かった。
その現在の撮影ポイントの鉄橋の神保原側。
当時、ゴハチとこのロクニが主な被写体だった。
越前はアップで撮りたかったのでその線路端に構えることにしてセッティング中に後ろから不意を突かれた1枚。
アングルもなにもないのだが、ロクニ15号機牽引の当時は珍しかったタキの専貨。
ロクニが間合い運用なのか、まさかこのまま碓氷峠は超えてなかっただろうし倉賀野辺りまでの貨物だったのだろうが今となっては不明。
唯一、越前の前に5時過ぎに下ってきたのは確か。
そしてこのポイントのメインで再掲だが606レ越前。
この列車は高崎を5時26分発なので通過は30分過ぎだろう。
2列車とも、独特のC-C台車の独特なジョイント音を残して通過していった。
ロクニの時代。
1981年6月 高崎線 神保原~新町(旧橋梁時代) EF6215 列番不明下りタンカートレイン/ EF6221 606レ越前
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EF6221のエスコートする編成、他線区と比べると短めですが605・606レの場合碓氷峠を通過する関係で換算両数旅客36両貨物40両に抑えられている事を思えば現車9両換算36両は定数ギリギリですね(但し画面に見えるB寝台が2両ともスハネ16では無くオハネフ12なら換算1両、座席車がスハ43では無くオハ46・オハ47であれば、1両半、最後尾もスハフ42では無くオハフ45・オハフ46或いはオハフ33が使えればもう半車、合わせて3両分浮きますね)。そういえば北陸ローカルには結構ナハ・ナハフの割合が高く晩年もオハ47・オハフ46が結構いました。若しかしたらこの編成もスハ43よりオハ46・オハ47が主体だったかも知れませんね(^^);
62越前は、走行は浦和界隈で撮った位で、大宮と上野の停まりぐらいで(汗)
もう少し真剣に撮っておくべきだったと反省!
投稿ナンバーが「3543」って!!(笑)
どうやってこの時間帯にこの場所へ。
先日アップした九州のスハネ16も横軽対応車でしたが、
そんな換算輌数問題で敬遠されて遠く九州に島流しに
あったのでしょうかね?
電関人も、この時以外に信越山線で1回と赤羽界隈で
もう1回ほど、東海道で荷物列車も撮りましたが哀れで
見てられませんでした。。。
実はこのころ地方私鉄も含めてわが鉄研のU田川先輩が
車であちこち連れて行ってくださったのでした。
あとは、同期のM本君やK田君ですね!
しかも、旧客時代の「越前」を記録するとは、
脱帽です。
もう一度、C-Cのジョイント音、聞いてみたいです。
Oh!
4桁の数字が63-21(爆)。
ロクニはC-C台車という旧型電機に通じるものがとても
魅力で、上京後ゴハチの次に嵌った存在でした。
でも、上信越時代の写真は2、3度ほどで後悔してます。