若かったからというか、結構無茶な撮影をいろいろ試みていたものである。
かいもんやながさきと共に最も身近だった旧型客車列車の一つが801・802レの夜行さんべである。
その下りさんべを狙った一連の写真を見ると、牽引機から始めて全て流そうとしていたようだ。
鳥栖の622号機がマニを次位に従えて・・・
客車の先頭はオハネフ12。
個人的には寝台側のサイドが好きである。
まぁ、ワインダーも付いていない一眼を手巻きで連続で振り回し、
良くここまで一コマ必中で止まっていることであると我ながら感心する。
寝台の三両目辺りからやや遅れてきて・・・。
とうとう二両目のハザを諦めて、SSを素早く切り替え静止撮りへ変更するも
ナハは後追いの絵になり・・・
最後尾のスハフ42であろうか・・・何とか木の陰に消える前に。
晩年はモノクラスだったが、49年までは合造車オロハネ10を繋いでいた渋い編成だった801・802レである。
終着博多を目の前にして寝台車の乗客が降車準備をしている様子が見て取れてちょっと気に行っている。
1977年初夏 鹿児島本線 福間~古賀 801レ
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10系寝台車と旧型客車で編成された急行列車は良いですね。絵になります。
それにしても、全車輌を流し撮りしようとは...チャレンジングですね。
なにかと高校に入って、写真部だったこともあって憧れていたプロの真似ごとのようなことばかり
やっていたような気がします。特に広田尚敬さんにはかぶれてましたから・・・(笑)
”さんべ”、、、関西人にはなじみの薄い列車でしたが、中3の春休みというか高校入学前の春、博多~出雲市で乗りました。
出雲大社に願掛けお参りに行くも、その後に見事に振られ。。。
青春時代の思い出が詰まった懐かしい列車です。
手巻きワインダーでこれをやったとは、いやはや凄い!!
庶民のクルーズトレインが雲のように消えてしまうとは夢にも思わなかったですね。
車窓からの眺めはウン十万円のそれより遥かに豊かだったと思いますが。
途中で失敗してますから・・・(笑)
雑多にいろんなものを繋いで走る姿は正に昭和の高度成長時代の申し子的存在だったと思います。
例の願掛けの際に乗車されたんですね。。。
電関人は数回乗車してますが、最初の時冬に軽量客車を選んで乗車したのですが、
隙間風が酷く窓側の席で寝られたものじゃありませんでしたので、
以来ナハ10系は敬遠するようになりました。
記念乗車を含め、10系寝台に2度ほど乗車しましたが朝を迎えて、収納梯子を畳んで網戸越しに入ってくる爽やかな風を
今でもよく覚えていますし、夜行列車の旅自体が今でもかけがえのない宝物です!
下りの夜行さんべだとすると、ホテル代わり&夜間移動ってことですかね!?
電関人の寝床はもっぱら山陰号でした。。。