最近はPM2.5や黄砂などで遠くの視界が霞んでいる。
そうなってくるとクリアな青空に浮かぶ名峰を撮りたくなったりととかく天邪鬼な電関人である。
とは言うものの、自然が相手なのでそうそう気安く撮らせてくれるわけもなく電関人のベストショットは今でも数えるほど。
長野の巨匠、32Countさんの足元には遠く及ばない。
1980年代初頭の山陰旅行の際捉えた日野川橋梁での伯耆富士とDD51貨物。
そしてもう一つ。
こちらは、正真正銘の富士山と八高線のホッパー列車。
実はDD51との重連なのだがそんなのそっちのけで富士山バックに超望遠で引き付ける。
美しい山並みがいつまでも撮れるように切望する。
2枚とも1980年初頭撮影(再掲写真)
※励みになりますので、左上のにほんブログ村鉄道写真ボタンをポチっとよろしくお願いします。
最新の画像[もっと見る]
八高線でもこんな風に富士山が見える場所があったのは知りませんでした。
関東平野に居ると、富士山、浅間山、男体山など、雪を頂いた山を見る事は出来るのですが、大きく入れて列車を撮れるところは少ないですね。
八高線で富士山は盲点でした。
名撮影地はさておき、こういうポイントを自分で発見できた時は、
めちゃくちゃうれしいですよね!
今の若者鉄には、そう言う努力をして欲しいものです!!
意外と高麗川~東飯能です!
排気に揺れる富士山、よくぞ探しました。
山陰本線は、初めて訪れた1981年当時、伯耆大山~知井宮間では既に電化直前で架線が張られた状態でした。こうして非電化時代の、しかもDD51貨物を大山バックで撮られているとは、何度見ても「恐れ入谷の鬼子母神」です。次位のレムが華を添えていますね。
そして、八高線のこの場所。
私にとってもホームグラウンドでした。
踏切付近で300~400mmのレンズで狙うとこの構図となるのですが、なんといっても先頭がDE10というのがミソですよね。
確かこの運用、総括制御されていなくって、力行と絶気の汽笛を聞くことができました。
私は撮れず仕舞いでした。
懐かしい写真のアップ、ありがとうございます。
大学1年の時だと思います。
八高線は1度行ったらハマってしまいました!
ココでもう少し撮ってみたかったです。
今日も撮影の際に話していましたが、電関人にとって
何といっても沿線の風景とのコンビネーションがまず大事だと
思っています。
自然相手だから光線も選ぶのは難しいしましてや山となると
見えるか見えないかはまさに運次第。
ココのこれが美しかったというのとこれがココを走っていたのだというのが双璧ですね。