電車は編成をそう簡単には入れ替わることは無いけども、
特急型やキロを除いて全ての車両に運転台が備わる急行型気動車は様々な理由でその編成の組み換えがされていた。
もともと分割・併合の利便性からそういう設計にされたのであろう。
ある日の竹下区の昼下がり、偶然その組成作業に出くわした。
けして広くは無い竹下気動車区の構内で数名の手旗信号掛が車両に乗り込んで作業が進んでいく。
幹線系統の列車となると10両以上の編成となり、そのすべてにエンジンを搭載するのだからメンテも大変だったであろうし、
調子が悪いクルマは編成から抜いて代替車を繋いだりと。
黙々と淡々と組成作業をこなしていく職人の眼差しが印象的だった。
1977年10月 竹下区にて
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DCでも旧客でも、昔はこうして解いたり繋いだりが当たり前でしたね。
今の電車は固定編成で、それはそれでメリットがあるのでしょうが、昔の色も形式もバラバラのDC編成は魅力的でした。
この頃はすでに竹下に機関車が居ることは無くなっていました。
居るのはあさかぜの牽引機のED73と入替用のDD13のみで、
たまに臨客の牽引機が居るぐらいでした。
蒸気時代の記憶がないんですよね・・・。
それと、あと楽しかったのが貨物ヤードでの突放でした。
こんな風にやっていたんだと改めて。
穏やかな表情が印象的です。緊張を要する仕事こそ、心の余裕もどこかに必要だったのでしょう。
実家から比較的近くに南福岡電車区やその隣駅のこの竹下には
気動車区、客車区があって自転車であちこち覗きに行くのが好きでした。
特にこの竹下は82系をはじめ20系あさかぜも居て朝から晩まで
飽きることはありませんでしたね。
今は、長距離列車はもとより特急車もあまり見かけず
電車を含めて単純な車両基地と化して面白みに欠けます。
そして、その車両たちを人が動かしているという雰囲気さえ
乏しくなっているのが寂しいですね。