あまりの効率の悪さからとうとう現役時代には行けなかった日中線熱塩。
この駅のことは、旅と鉄道誌で知ってからとかく気になっていた駅。
Cタンクがミキストを牽いて朝晩のみ列車が通った終着駅。
小さな終点の駅舎にしては風格のある駅舎がかえって廃線の寂寥感を増幅している。
機回しの関係で、やや離れたところで突然線路が終わっている。
山深いわけでもなく、盆地の唯中に存在する熱塩駅。
記念館として整備される前の荒廃しきった駅舎と、保存用のオハフの対比が不思議な映像を作り出す。
ここへはもう汽車が来ない盲腸線終点の駅熱塩 1984年夏。
1984年7月 日中線熱塩(廃線跡)にて
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片側のホームで反対側には機回し用の線路が1本と、鄙びた終着駅でしたね。懐かしいです。
本日はお疲れさまでした!
日中線、現役時代に行っておきたかったです。
一度だけ喜多方で熱塩行きの列車に出会ったことがあっただけです。(磐越西線の列車内から)
牽引機はDE10に変わってましたが、鄙びた所でした。
朝の列車で乗り鉄したのみ。
撮影は、熱塩での止まりのみで。
その後は猪苗代界隈でED77や「あいづ」「あがの」なんかを撮ってました。
でも現役時と全く変わらなく見えたのは、現役時がもう廃線跡風だったから?と妙に納得してしまいました。
オハフもまるで発車待ちしているようです。
最悪なロケーションですが、ハマりましたねえ、この線には。何か不思議な魔力がありした。
ところで「1979年7月」は現役バリバリの時期ですよ!
現役時代に訪れられず。
修正しましたが、出かけたのは就職活動直前の4年生の
初夏でした。
この後マルヨで疲れてしまい、山都の鉄橋の真下の河原で爆睡してしまいました。。。
ご指摘の通り、5年間違えておりました(汗)
矍鑠とした駅の外装が廃止になったこの駅の裏悲しさを
強調していました。
今でも3枚目の写真は、電関人お気に入りの1コマで、
3枚とも本邦初公開です。
紹介記事の枕言葉でした。
性格なので今もあまり変わらないのですが、生来物臭なので、
面倒なダイヤ設定の路線は結構割愛する傾向がありました。
その結果、折角好い時期に生まれ育ったのに今から思うと
もったいないことをしてしまった未撮の線区の山です。