大正と昭和の戦前・戦後が、急行・準急・普通、茶色や青や、急行色や近郊色と・・・全てが綯交ぜに雑然が当り前に同居していたあの頃。なんだか愉快だったあの時代。1978年? 鳥栖駅
ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!
コメント利用規約に同意する
フォロー中フォローするフォローする
準急という言葉は懐かしい響きです。
車両を新造する金が無いというのもあるでしょうが、
古い物を大事に使い続ける事が当たり前の事として社会に許容されていたのかと。
私達はちょっと贅沢になり過ぎたのかも知れません。
ご指摘のように見えますね!
当時、探せばホームの表示や車両の中などに、「準急」や
「一等」などの表記の跡が見られました。
この頃は、旧型客車見たさにちょくちょく鳥栖まで出張っていました。
長崎本線、鹿児島本線、久大本線各線に客レの鈍行が存在して
終日楽しめました。