大学1年の冬休み。初めての鉄道クラブの写真分科会合宿で磐越西線と蒲原鉄道を訪れた。
同期だったF君も参加した思い出の合宿。
この時2度目だった大蒲原駅は鉄道名にもなっている蒲原が付きなんとも印象に残る駅だった。
2月の当駅は、まだ雪に閉ざされて真冬の観だが周囲に積もった雪は少しずつ緩み
どことなく少し春が近づいている気配を感じた。
雪の中の木々も、
ホーム上の踏まれて溶け出す雪にも、
駅本屋の屋根から落ちた雪の山も小さくなり、
電車が来ない静まり返った駅にはちょろちょろと雪解け水が滴る音が聞こえてきて
もう春が近づいているのを感じさせてくれた。
1982年早春 蒲原鉄道 大蒲原駅
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この駅も散々撮りましたが、毎回無意識に似た様なアングルで撮ってしまう事が多く、
違う人のアングルは新鮮ですね。そうだ、こんな駅だったと改めて。
初めての写真合宿で、磐西の翁島と日出谷それに蒲原を
廻ったようです。ちょうど大蒲原の駅のカットにホームで
モハ91をのぞき込む我が同期のM君と、F君が写っていました。電関人的には加茂や東加茂などの駅の写真が無く
惜しいことをしました。
今なら直ぐに写真が見られ,批評し合うことも出来そうですね。
蒲原鉄道は昔から写真を見て知っていましたが,ついに一度も訪問せず,惜しい事をしました。
蒲原とか片上、南部縦貫等、今でも残っていたらと思いを馳せる事があります。
撮影技術の向上もさることながら、やはり駅傍の宿屋に泊まって、
皆でワイワイガヤガヤと撮影行の思い出話に花が咲いたり、
駅から聞こえてくる列車の音に耳を傾けながら飲んだりするのが
とても楽しかったですね。
あれは屋根という機能より、雪除けのような存在だったのでしょうね。
雨の時などは、あの狭さだとほとんど屋根の機能は果たさなそうですものね。
そこから少し山に入るとこの大蒲原なのですね。
雪原のまっただ中にぽつんと駅があって、鉄道在りし頃を伝えてくれています。
地形図を見ると、線路跡らしき築堤記号や軌道敷を再利用した小径とがが見つかり、
来年あたり、少し早めに現着して蒲原鉄道跡を歩きたくなりました。
そうですね。電関人も廃止後の沿線を歩いてみたいです。
数か所に分けて、保存車両もあることですし。
是非、ばんものの撮影の際に・・・。