昨年の11月28日、大学鉄研の同期であるF君が突然亡くなった。
そのF君の趣味は幅広く、特に大手私鉄から地方私鉄、路面電車まで電車主体でとても造詣が深い。
F君がこよなく愛した電車たち。
彼の鉄道写真コレクションの大半を形見分けとして預かることになった電関人がF君になったつもりで故人の目線を紹介することとします。
私鉄を中心に全国を歩き回った膨大なコレクションですので、彼の足跡を確認しながら分かる範囲で解説していきたいと思います。
不定期にて「F君の目線」と銘打ってアップさせていただきますので宜しくお願いします。
その一回目は、彼も住んだことがある福岡を走る西日本鉄道のアルバムから。
筑紫車庫に佇む100形。
西鉄が1941年から木南車輌製造に発注した15.6m車でもともとは2両編成だったものを途中から3両編成(Mc+M+Tc)に組み替えた形式。
一部は1968年ノーシルノーヘッダー、や全面窓や上段窓のHゴム化などの体質改善を行う。
写真は体質改善した105F他で前面窓形状や乗務員扉など微妙に個体差があり、故人はその辺を見せるためにこのカットを撮ったのでしょう。
プリントに81年の刻印があり同形式の全廃が1984年ですから晩年の写真かと。
こちらは甘木支線で撮った200形。
こちらは100形より更に古い1937年製。
215-260-219のcM+T+Mcの組み合わせですが、ほかにcM+Tc、cM+Mc、cM+M+T+Mc、cM+T+M+Mcというバリエーションがあります。
もともと20形と称して単車だったのを改造した所以でしょう。
こちらも1989年の600形導入で全廃ですので晩年の写真でシールドビーム2灯化、前面窓一部Hゴム化などの改造が見られます。
形式を重視したF君のカメラアイ。少しづつ上げていけたらと思いますのでお付き合いのほど宜しくお願いします。
遺された銀粒子から故人の生き様に触れる事が出来たらなあと思います。
こうして陽の目を見る事を故人も喜んでいる事でしょう。
甘木支線、いつ頃の写真なのでしょうか。87年?
だとすれば福岡近郊にその時代まで、と感慨深く。
今は、弟さんが住む自宅へ形見を受け取りに伺いました。
彼らしく、整然とアルバムに整理されており特に電関人が
上京した頃、大手各社で元気に走っていた旧型車たちが
ぎっしりとファイリングされているのには圧倒されました。
これから少しずつ彼と会話するようにアップできたらと思います。
甘木線は一度だけ行きました。たまご型の3両編成という記憶しかなく(汗)
これからのアップ、故人も喜ばれると思います。
80年代のプリントで良く色が残っているということは、かなり良い状態で保存されているのでしょうね。
ご友人は几帳面な方だったのでしょうね。
これらの写真の中には、故人の思いが生きているように感じます。
鉄・バス・アイドル… どんな分野でも話題があるすごい人でしたね。
あいにく、葬儀には仕事でいけなかったのですが、向かっていたら笹子トンネルの崩落に微妙な時間でした。守ってくれたのでしょうか、そんなに気を配らなくてもよかったのに。
電車に造詣の深かった故人の思いを見るようです。
これからも楽しみにしています。
私が逝ってしまったら…(核爆)。
関東の大手私鉄各社の旧性能車など目を見張るものがあります。
電関人が不勉強な分も沢山あるので、勉強しながらのアップになります(汗)
故人は本当に几帳面で、ミニアルバムに整然と整理されています。
ただ、キャプションはないので電関人も撮影地などを調べながらの
アップになります。
学生時代に聞いていた話などを思い出しながら写真上で
対話ができそうです。
昨日、私もかしわ台の駅で一瞬出口を躊躇して遠回りな
出口から故人宅に赴きましたが、実はその途中の小学校の脇が
倒れていた現場だったとか・・・。なんだか因果を感じました。(合掌)
OSカー時代からの写真もあります。
そのうちにご披露いたします。
いやはや本当に素晴らしいコレクションだと思います。
大切に管理してあげたいです。