昨日の下関続きで、時代はさらに遡りゴーマルサン以前の1コマです。
4:46南福岡始発の電車で乗り継いで下関到着後すぐ下り3番・4番ホームに行くと、
すでにEF81301が連結された旧客編成の急行つくし4号が発車待ちをしていました。
ガキ鐡に毛が生えた程度ですから(笑)、客車にはまだ興味が無く機関車側からの
カットしかありませんが、辛うじて次位のオハネフ12かオロネ10あたりの裾絞りがある
車両が判別できます。
電関人本人が撮影した、貴重な山陽路の夜行急行列車の写真です。
※昨日本記事をアップした際に「つくし4号」と書きましたが、何かの記憶違いで実際には
つくし2号が正しいのでここに訂正いたします。失礼しました。
1974年 山陽本線下関駅にて EF81301 215レ急行つくし2号
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今日は帰宅が遅く、手を抜くわけではありませんがEF58紳士録で・・・。
山陽ブルトレ仕業最晩年の1979年7月に下関で撮ったカットから、
143号機の表情です。
切り文字ナンバー、ヒゲ、ヘッドマークフォルダー、そして後部標識灯。
長い間、本線上で急客運用に就いてきた貫禄が滲み出ています。
この日もいつもと変わりなく15両もの客車を従えて宵の山陽路に旅立っていきました。
1979年7月 山陽本線下関駅にて EF58143号機
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なんだか今週は旧性能電車オンパレードですが・・・(汗)
湘南電車という異名を持つ80系電車。そのデザインの秀逸さもさることながら
本当に乗り心地の良い電車でした。
もともと準急や急行にも使われた車で、ドアデッキも備えており普通電車で80系に乗ると
とても得をした気分になっていました。
そんな優秀な電車なのに、保存車両がほとんど無いというのはちょっと寂しいです。
やはり金太郎塗装は185系ではなく、本家本元でないと・・・
そういう理由で、晩年飯田線にも入線していましたがゴハチ同様そんなローカル線には
全く似合わず、堂々と動脈本線を闊歩してしかるべき車両です。
余談ですが、思いっきり日の丸写真です(爆)。
1977年8月21日 山陽本線新下関駅付近にて
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先日佐倉さんからコメントを頂戴しましたので、
73系が辛うじて残っていた頃の横浜線の写真をアップいたします。
ちょうど先ネタの大糸線と旧国繋がりでもあるので・・・
一口に73系といってもいろんな顔が有って、電関人の場合はこの顔が73系です。
この頃すでに鶴見線・南武線にもカナリア色の103系(101系?)が投入完了しており、
73系はこの横浜線のみになっておりました。
午後には、クモニ13を併結した運用もありました。新聞輸送でしょうかね!?
横浜線にも103系が投入され始めていて、この後暫くして73系は居なくなったようです。
首都圏で最後の73系をカメラに収められて良かったです。
それにしても、見事なまでの日の丸写真ぞろいです(笑)。
1978年8月 東神奈川駅にて
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この週末は撮る気満々でしたが、
土曜の2レを撮ったのみでその後綺麗な夏空は雲に覆われてしまいました。
こうなると、すっかり写欲は薄れてしまい過ごしやすい気温も手伝って
土曜の午後からウダウダとして今に至っております。
雨ならまだしも曇りは昔から何かと撮影欲を一番無くしてしまいます。
晴れて大学入学が決まった81年の春、初めて訪れた安曇沓掛は曇天で、
美しい山々は裾の方が辛うじて見える程度の散々な天気でしたが、
ここまで来たのだからと己を奮い立たせ撮影しました。
1981年3月 大糸線 安曇沓掛付近にて
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