「幸せの公式」 シュテファン・クライン著 より一部引用
”後天的な無力感”
落ち込みは諦めから生まれます。
心理学者マーティン・セリグマンは犬を使ってはじめてこれを推論しました。
1965年、ペンシルベニヤ大学でごく簡単な実験をしたのです。
彼は犬たちを2つのグループに分け床に電気が流れる檻に入れました。
電気が流れてもショックがあるだけで害はありません。
ひとつめのグループの檻は、鼻で電気のスイッチを切ることができました。
それに対して二つ目のグループはの檻にはスイッチがなく、犬たちはただ耐えるしかありませんでした。
犬たちがそれぞれの環境に慣れたときに、セリグマンはすべての犬を新しい檻に移し、間に低い壁を作りました。
その壁を飛び越えれば不愉快なショックを避けることができます。
ひとつめのグループの犬たちがあっさり飛び越えたのに対し、
二つ目のグループの犬たちは、はっきりした逃げ道があったにもかかわらず、運命に甘んじたのです。犬たちは悲しそうに鼻を鳴らして床に横たわり、次から次へとやってくるショックにじっと耐えました。前の檻にいたときの無力感が深くしみこんだまま、新しい状況に持ち越されたのです。この犬たちは落ち込みの徴候をすべて示しました。餌の量も減り、交尾する気もなく、他の犬たちと遊ぶ元気もなくなったのです。
生きる勇気というのは、実際の状況より、それをどのように受け止めるかのほうにはるかに比重がかかっています。
これと似た実験が人間でも行われましたが、やはりおなじような結果が出ています。
感想;
臨済宗の言葉に、”人惑(にんわく)”があります。
これは、私たちが自分の考えだと思って自分を苦しめている場合があります。
その自分の考えだと思っていることが、実は小さい時に親から、先生から、周りから刷り込まれて信じ込んでしまっている場合があります。
例えば、嫁と姑は仲良くしないといけないと思い込み、それができない自分を責めて苦しくしている場合があります。元々、嫁と姑は仲良くできないものだと思うことができれば、仲良くできなくて当たり前、仲良くできたらそれは素晴らしいことだと。
何かあると直ぐに諦めてしまう傾向があるとしたら、それはそれまでの育ってきた環境によるのかもしれません。臨済宗では、人惑から自由になりなさいと教えています。
苦痛もそれがいつか軽くなると信じられると耐えられますが、その苦痛がずっと続くと思うと耐えられない苦痛に感じます。
いつかよくなると自ら信じることが、大きな力になるのだと思います。
自ら信じる ⇒ 自信 に繋がるのでしょう。