日時;2015年8月24日(月)14時45分~16時15分
場所;アミュゼ柏
今日喉を傷めてガラガラ声で申しわけない。皆さんが抱えている問題にズバット解決する話ではないが、先ほどは専門家としてのデータで、私は個別性、多様性、一般化できる話はできないが。自分の人生を大河ドラマと考えて、そのような長い人生の今抱えている問題は人生の一部と考えてみると、いつも上手く行くものでないと考えることもでき、少し客観的に見ることができる。
いのちの限りあるのを絶望するのではなく、残りをどう生きるか。
戦中生きてきた人は戦争があって、倒産もあって、自分の人生は何だったんだろう。振り返ると他の誰でもない自分の人生である。振り返って見るといろいろな反省もある。あの時ああしとけばよかったとか。だからこれからどうしようか。これからはこういう風に生きよう。末期でもこれだけはやっておこうと思う。
やりたいことを箇条書きにして、その中から選択して生きてみる。振り返ってこうだった人生ではなく、自分でこれから創って行く。日野原先生は常に創作していく。今日野原先生は104歳。103歳で新しく始めたのは、色紙に絵を描くことと俳句を始められた。
そういうことをして行けば納得感に辿り着くのではないか。
河合隼雄先生がよくおっしゃったのは「人生は物語らないとわからない」
カウンセリングでクライアントと長く付き合う。カウンセリングは助言を貰うものと勘違いしているが、生きる力を自分で見つけるために手助けすること。こころの問題を乗り越えるとはもっと苦しい問題を抱えることになる。楽になりたい、天国みたいな楽なことはない。生きるとは厳しいことでもっと大きな問題に直面することかもしれない。
紆余曲折、山あり谷あり、こんな風に生きて来て今こんな問題を抱えている。目の前の連れ合いにもう許せないと思う。物語として捉えると連れ合いに何で出逢い、一緒になったのかなど考えると、相手にもいいことがあったのだと思える。物語として見つめ直す。直面している意味がでている。正反対のことが正しいことになることもある。
小児がんの家族と付き合った。2年間闘病して。お兄ちゃん中学3年。お父さんは造園業で忙しい。お母さんは娘のことで精一杯。人間はいくつにもなっても優しくして欲しい気持ちを持つ。何で妹ばかり優しくして貰っている。お兄ちゃんは反社会的につっぱる。学校では不良少年になりチンピラ仲間に入ってのめり込んで行く。お父さんは怒る、お母さんは何やっているのよと言う。
妹が亡くなったら、お兄ちゃんはもっとひどくなった。不良行為をするのはお兄ちゃんの自分をもっと見て欲しいとのメッセージだった。息子(お兄ちゃん)がバイクを盗んで警察に捕まった。小児がんの子どもを持つ仲間にお母さんが訴えた(相談した)。その子だって寂しいのではないの?わかってあげてもよいのでは。とアドバイスと貰い、ハッとなった。息子ともまともに付き合って来られなかった。息子には自立しろ自立しろとだけ言ってきた。お母さんが畳に額を付けて、あなたの気持ちを見ていなかった。母親としても見てこなかった、ごめんなさいとわんわん泣いて謝った。
息子はバイクを盗んで叱られるとばかり思っていた。逆転の発想だった。
人の心にあるものを揺さぶる。月日が経つ内に、息子は学校に行くようになり、普通の高校に入るようになり、チンピラ仲間とも別れ、平凡な高校生活を送るようになった。そしてお父さんの仕事を継ぎたい。大学は行かないと。それから20数年経つが家を継いでやっている。人が変わるとの因果関係は目に見えるものではなく見えないものである。
高校生の娘が親の言うことを聞かない、母親がTV見ていても勝手にチャンネルを取って見る。娘を精神科に連れて行った。娘は何の問題もないお子さんですねと医者が言って、お母さんは通いませんか。お母さんは素直にそれから精神科に通いだした。1回/2週間×5年間。カウンセリングでは話すだけで終わることも多い。いろいろな文句をたらたらと言うが、カウンセラーもそうですかと言うだけ。カウンセリングは意味がないように思えるが、続けることに意味がある。娘さんは高校卒業して大学行かずに、心の病気にもならず自立していった。
ここのボタンを押せばなにかが出てくる。安易に答えを求め過ぎている。人がひたむきに生きていると、答えが向こうからやってくる。自分が答えを見つけようと思っていないと答えはやってこない。自分の価値感だけでいるとその答えは出てこない。
孫が引きこもりになった。孫におれはこうだったと正論を言うだけ。正論を言えば言うほど孫がひどくなった。今度は息子にお前の育て方が悪かったと言うようになった。そのような中は息苦しくて大変で、私(柳田邦男さん)が高校生なら家を出るだろう。
押してだめなら引いてみよう。その祖父が武装解除するしかない。
戦争が終わって、私(柳田邦男さん)の父親が直ぐに亡くなった。母親が家計を支えなければならなかった。自分で家計を手伝わなければならなかった。私は50代になった時に息子が心の病になった。その時、内観を受けてみませんか?と言われた。内観とは4隅に衝立立ててそこで2週間程、食事もそこで食べる。そこでとことん自分を見つめ直す。
自分に関係ある人のことと自分の関係を思い出す。
①していただいたこと、②その人にして返したこと、③その人に迷惑をかけたこと。
1時間ごとに担当者が来て尋ねる。誰のことを考えましたか?なかなか思い出せない。エピソードを思い出そうと努める。
二日目に小学校1年生の教科書を持って来られた。何か思い出すきっかけになるのではないかと。それをパラパラ見ていたら、不思議ですね、小学校の時の先生が全部浮かんで来た。友だちの顔も浮かんで来た。それがきっかけでふつふつと思い出した。母親との関係性を思い出していた。私は修学旅行に行かなかった。父が亡くなって2年。修学旅行に行くお金がない。それで欠席届を出した。先生が心配して家庭に来た。旅行より家で勉強したいと先生に言っていた。母親には修学旅行欠席をだしていたことを伝えていなかったので知っていなかった。当時は良いことは黙ってするもんだと。それを守っていた。修学旅行に行かない。母親が手内職をして自分が手伝っていた。修学旅行に行くお金がなかった。母にお金の苦労をさせたくなかった。子どもが修学旅行に行かないと言っている。母親は借金してでも行かせたかった。母親の立場からだと、母親には子どもを行かせられなかったのは恥ずかしいと思っていたと言うことがその時にわかった。
思わず涙を流してしまった。指導の人は評価しない。そうですか、そういうことがあったのですか。自分が良かれと思ったことがそれが相手にとって良いのかどうか。自分の価値感が正しいとは限らない。
ずっと内観していたら、曼荼羅模様(真ん中に釈迦がいて)が浮かんで来た。真ん中に自分がいて、その周りに世話になった人が光の中にいた。自分は自分の人生を拓いてきた。それを誇りに思ってきたが、自分は周りから育てて貰った。人間形成も周りの人との関係で出来てきた。自分一人で来たことがいかに独りよがりだったか。
視点の転換の瞬間がある。カウンセラーとは、たくさんの人の話を聴いて、時にはちらっとヒントになることを言い、引き出して行く。引き出しがたくさんできてくる。物語の引き出しが増えてくる。新しいクライエントが来るとそのたくさんの引き出しから、魂に込められたもの、響くものが伝えられるのではないか。
こんな素晴らしい医者の話を知る。人を救う弁護士の話を知る。それにあこがれる。感動することで目指すことがある。
科学的エビデンスはAという薬を与えるとこうなると。例えば20%効いた。これまで効果がなかった患者さんに効果が期待できる。普遍化すると薬として認められる。科学では因果関係が大切である。そして再現性があることが重要になる。
人間が生きるとは必ずしもそうではない。河合隼雄先生から聞いた話。
糖尿病の患者が煙草やお酒が止められない。血糖値が高くてもお酒を止められない。いくら医師が説明しても説得できない。ある日、その患者さんは土曜日は釣りをして釣れた魚でいっぱい飲む。ある日釣りをしていて大波が来て必死に岩にしがみついた。何とか助かった。俺は生きたいと思った。お酒を止めようとその時初めて思えた。
カウンセリングはいかに自分が気付くか。患者さんと付き合う時、血糖値が高いからとの話よりも、あなたが今亡くなったらどうなりますかね?そういう話を少しでもして欲しい。生きる話をして欲しい。1年後にまた呼ばれて行った時に聞いたのは、その岩をしがみついた話をしてくれた。これから波の荒い時に釣りに連れて行ってそれでデータを取って普遍的にしましょうが根拠のデータになる。
大事なことは会話をする。困っている事を自分で表現する。書く、しゃべる、聞く、読む、それらも言葉。人間のコミュニケーションで言葉は20~30%。言葉だけでなく、雰囲気や関係性から出来ている。お茶 と言えばお茶が出てくる。
ところが携帯、スマホは言葉だけのコミュニケーション。
ファミリーレストランに行くと、子どもが話しかけても、母親はスマホを見ている。食事時間に一緒に食べに来ているのに、各自スマホを見ている。それが、相手の気持ちを感じる以心伝心が育たない。だからネット虐めがひどい。友だち関係が日替わり。夜9時以降は携帯は見ないようにと言うとまじめな子は見ない。そうするとメールを送ったのに何故見ないのかとトラブルになる。昔は固定的な人間関係を把握できたが、今は人間関係が把握できない。
どんな力を生きる上で持つか。
信仰を持つ人からの学び キリスト教、仏教
原崎百子「わが涙よ わが歌となれ」
癌になりもう末期、在宅で迎えようと。
本人は信仰心が強い。クリスチャンが皆強いかというとそうではない、
私はこれまで信仰が深かったのになぜ癌になるのかと怒る人も多い、
生きる力を聖書から貰っていた。
妻が息苦しくなり、夫が末期だと告げたところ、妻が、「ありがとう、ありがとう、さぞつらかったでしょうね。私の人生はこれからが本番なの。これまではこれからのためにあった、リンゴの木を植える、二人の子どもの勉強の手伝いをしよう」と。
「例え明日地球が終わりであっても、私はりんごの樹を植える」マルチンルターの言葉
支えたのは言葉、信仰生活の中で凝縮したのがルターの言葉だった。
「私は子犬のようでございます。頭とこころで賛美歌を歌えます、感謝を言えます。
最後まで感謝の気持ちを忘れずに生きます」。
高田正園さん
和尚が亡くなって10年、今も一緒にいると思っています、例え死別で別かれても胸の中にその人がいます。和尚が亡くなって3年後乳がんとわかった、でも怖い気持ちはなかった、死は生きる通過点、
宗教の教えは名言名句となって人の心を支える、
日本は仏教的習わしの行事を行っているが、どれだけ仏教心が入っているかはわからない。
傾聴ボランティアなど聴いて貰う中で気が付くことがある。
ハンセン病患者の俳句人生村越化石さんが「籠枕」
化石は俳語 自分を投げ出したような
自ら化石と名乗ってから人生をより生きられた。
18歳でハンセン氏病になり、群馬の療養所に入れられた。
療養所で俳句の会
郷里の村人たちが、俳句人生を称えて句碑を建ててくれた
「望郷の 目覚む 八十八夜かな」
除幕式に呼ばれ、でももう目が見えなかった、
唇で掘られた文字を読んだ、温ったかいね、招いてくれた村人のこころ。
「菜の花を 心に灯し 帰郷せり」
「よき里に よき人ら住み 茶が咲けり」
きちんとことばにすることで、生きる力になる。
「除夜の湯に 肌触れあへり 生きるべし」
「涙また 涼しよ生きて ありにけり」
「忘れられ また蘇る 曼珠沙華」
言葉が人生の文脈の中で生きる力になる。
・自分の内面を表現する手段と持つことの深い意味
・理解し合える他者がいること
・続けること
人はつながることで生きていける
つながると決して独りぼっちでない。
傾聴の力
キクさんのタイムトンネル
徳永進「ホスピス通りの四季」
その人の人生に話を聴いてあげる。後どれくらいでしょう?
嘘は言えない、梅の頃か桜の頃か、そんなに持ちますか、桜が見られますか、
話を聴いて貰えて、お迎えを来て欲しいと少し笑みを浮かべながら、
しっかり耳を傾け、キクさんの言葉を受け止めたことでキクさんの気持ちが落ち着いたのではないか。
自殺寸前から生還した佐藤久男氏
不動産会社倒産、心身弱
こんな姿のまま死にたくない
死なない生き方を書いた
「あなたを自殺させない」
転機 良寛の言葉
「災難に遭う時節には災難に遭うがよく候、死ぬ時節には死ぬるがよく候」
・軽蔑されたらその通りです、
・冷たくされたら自分の方から声をかけよう
・馬鹿にされたら感謝しよう
と紙に書いて決心した。
当時、秋田は経営者の自殺者が多かった、
お金が回らなくなったらと言って死ぬのはおかしいのではないか、
経営者の心の相談室を設けた。
自殺から救われた方が多く出て来た。
どうどうと謝りにいきなさいようと。
不義理をしたお客さんに辛かったがお詫びに訪問したところ、お客さんから、
「挨拶に来るのは立派、これからもお付き合いをして行きましょう」と言われた。
分かってくれる人が一人でもいると生きる力になる。
その人のことを思い浮かべるだけで生きる力になる。
純子さん
電気やガスが止められるのは、生きることへの励ましの言葉、
生きるか死ぬかの選択でなく、誰かわかってくれる人を探す生き方、
コペルニクス的転換 最後のところで人の命を支える。
人間とは素晴らしいもの、それが見えなくなっている、
そのような危機を風で吹き飛ばしてくれるのは人の繋がり
どんな繋がりかは人様々、その人のそれまでの生き方による。
できるだけ多くつながっていく。
自分だけで解決しようとしない、
自分だけで悩まない。
「空より高く」作詞:新沢としひこ、作曲:中川ひろたか・スコットランド民謡 合唱曲
人は空より高い心を持っている
どんな空より高い心を持っている
だからもうだめなんてあきれめないで
なみだを拭いて歌ってごらん
きみのこころよ高くなれ 空より高くなれ
人は海より深い心を持っている
どんな海より深い心を持っている
だからもう嫌だなんて目を向けないで
見つめてご覧信じてご覧
君の心よ深くなれ
海より深く深くなれ
だからもうだめだなんであきらめないで
涙を拭いて歌ってごらん
君の心よ広くなれ
空より広く広くなれ
君の心よ強くなれ
海より強く強くなれ
新潮文庫
「僕は9歳の時から死と向き合ってきた」 柳田邦男著
(今回のお話に近いことが書かれている著書)