http://ameblo.jp/kumiko926/entry-12059080883.html?frm_src=favoritemail 2015-08-07 10:18:17
いのちがツナガル
舞台監督をときどき手伝ってくれる女性がいる。
ちょうど「INORI~祈り~」を唄っている頃。
広島でホテルへ帰ろうという道でだったと思うが。
「クミコさん、私広島出身なんです」
それまで、そんな話をしたことがなかった。
思い切って切り出した、という感じにもみえた。
そこで、彼女のオジサンの話を聞いた。
たしか、お父さんの弟さんだったか。
はたまたお兄さんだったか。
記憶はさだかでない。
でも、そのお話は、とてもショックなものだった。
そのオジサンが、子供の頃。
みんなで「かくれんぼ」をして遊んでいた。
8月6日の朝も、子供たちはそんなふうに「いつもどおり」遊んでいた。
彼女のオジサンである、まだ三つくらいの少年は、一生懸命隠れた。
ちょうどその頃、街のどこにもあったゴミ箱だったか、貯水槽だったか。
(石でできたそれらは、私の子供の頃にも、たしか残っていたと思う)
その陰に、少年は隠れた。
小さく身を丸めて、少年は待った。
だれかが、もういいよ、といってくれるのを。
ところが、だあれもこない。
しいいいいんんとしている。
しばらくして。
少年は立ち上がった。
ゴミ箱だったか貯水槽だったかの裏から表に出た。
そして、その世界が、これまでの世界とまったく変わってしまったのを見た。
この話を、おそらく彼女は、思い切ってうちあけてくれたのだろう。
広島の人たち(もちろん長崎も)は、原爆のことを簡単に話すことをしない。
簡単に話せるものではないことを、だれよりも知っている。
だから、もうそろそろ死が近づいているという時に、思い余って話す人もおられる。
何十年もココロにしまってきた思いの重さに、話されるかたも多い。
「オジサンが、サダコちゃんくらいなんですよね」
その舞台監督の女性が言う。
そうだった。
サダコちゃんは2才で被ばくでしている。
数えてみたら、ちょうど私の叔母くらいの年齢だ。
大昔の人の話ではないのだ。
「今」の人のことなのだ。
サダコちゃんの甥御さんの裕滋さん。
今年、お子さんが生まれるという。
予定日は、サダコちゃんの命日とか。
新しい命はツナガッテいる。
感想;
8月6日 原爆投下 本「いしぶみ 広島ニ中一年生全滅の記録」
慰霊碑より
”なぐさめの 言葉知らねば ただ泣かん 汝がおもかげと いさをしのびて”
原子爆弾も戦争があったから、使われたのだと思います。
歴史は、戦争がもめごとの解決になるどころか、より悲惨な結果を導いていることを証明しています。いまだに戦いがあります。武器を提供している人々(国)があります。
TVで、被ばくされた英語の先生だった方が英語で海外の人に被ばく体験を話されていました。高齢なのと被ばくの影響が出て体調をくずされています。「私が死ぬと語り継ぐ人がいない」と言われていました。
戦争は二度と起こしてはならない、国間の問題の解決に軍事を使ってはいけないことが、亡くなって逝かれた方への私たちの役目のように思います。
いのちがツナガル
舞台監督をときどき手伝ってくれる女性がいる。
ちょうど「INORI~祈り~」を唄っている頃。
広島でホテルへ帰ろうという道でだったと思うが。
「クミコさん、私広島出身なんです」
それまで、そんな話をしたことがなかった。
思い切って切り出した、という感じにもみえた。
そこで、彼女のオジサンの話を聞いた。
たしか、お父さんの弟さんだったか。
はたまたお兄さんだったか。
記憶はさだかでない。
でも、そのお話は、とてもショックなものだった。
そのオジサンが、子供の頃。
みんなで「かくれんぼ」をして遊んでいた。
8月6日の朝も、子供たちはそんなふうに「いつもどおり」遊んでいた。
彼女のオジサンである、まだ三つくらいの少年は、一生懸命隠れた。
ちょうどその頃、街のどこにもあったゴミ箱だったか、貯水槽だったか。
(石でできたそれらは、私の子供の頃にも、たしか残っていたと思う)
その陰に、少年は隠れた。
小さく身を丸めて、少年は待った。
だれかが、もういいよ、といってくれるのを。
ところが、だあれもこない。
しいいいいんんとしている。
しばらくして。
少年は立ち上がった。
ゴミ箱だったか貯水槽だったかの裏から表に出た。
そして、その世界が、これまでの世界とまったく変わってしまったのを見た。
この話を、おそらく彼女は、思い切ってうちあけてくれたのだろう。
広島の人たち(もちろん長崎も)は、原爆のことを簡単に話すことをしない。
簡単に話せるものではないことを、だれよりも知っている。
だから、もうそろそろ死が近づいているという時に、思い余って話す人もおられる。
何十年もココロにしまってきた思いの重さに、話されるかたも多い。
「オジサンが、サダコちゃんくらいなんですよね」
その舞台監督の女性が言う。
そうだった。
サダコちゃんは2才で被ばくでしている。
数えてみたら、ちょうど私の叔母くらいの年齢だ。
大昔の人の話ではないのだ。
「今」の人のことなのだ。
サダコちゃんの甥御さんの裕滋さん。
今年、お子さんが生まれるという。
予定日は、サダコちゃんの命日とか。
新しい命はツナガッテいる。
感想;
8月6日 原爆投下 本「いしぶみ 広島ニ中一年生全滅の記録」
慰霊碑より
”なぐさめの 言葉知らねば ただ泣かん 汝がおもかげと いさをしのびて”
原子爆弾も戦争があったから、使われたのだと思います。
歴史は、戦争がもめごとの解決になるどころか、より悲惨な結果を導いていることを証明しています。いまだに戦いがあります。武器を提供している人々(国)があります。
TVで、被ばくされた英語の先生だった方が英語で海外の人に被ばく体験を話されていました。高齢なのと被ばくの影響が出て体調をくずされています。「私が死ぬと語り継ぐ人がいない」と言われていました。
戦争は二度と起こしてはならない、国間の問題の解決に軍事を使ってはいけないことが、亡くなって逝かれた方への私たちの役目のように思います。