幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

クミコさんのブログ 「いのちがツナガル 」より ”非核三原則を守ることが亡くなった方のメッセージ”

2015-08-07 13:22:56 | 生き方/考え方
http://ameblo.jp/kumiko926/entry-12059080883.html?frm_src=favoritemail 2015-08-07 10:18:17
いのちがツナガル
舞台監督をときどき手伝ってくれる女性がいる。
ちょうど「INORI~祈り~」を唄っている頃。
広島でホテルへ帰ろうという道でだったと思うが。

「クミコさん、私広島出身なんです」
それまで、そんな話をしたことがなかった。
思い切って切り出した、という感じにもみえた。

そこで、彼女のオジサンの話を聞いた。
たしか、お父さんの弟さんだったか。
はたまたお兄さんだったか。
記憶はさだかでない。

でも、そのお話は、とてもショックなものだった。

そのオジサンが、子供の頃。
みんなで「かくれんぼ」をして遊んでいた。

8月6日の朝も、子供たちはそんなふうに「いつもどおり」遊んでいた。
彼女のオジサンである、まだ三つくらいの少年は、一生懸命隠れた。
ちょうどその頃、街のどこにもあったゴミ箱だったか、貯水槽だったか。

(石でできたそれらは、私の子供の頃にも、たしか残っていたと思う)
その陰に、少年は隠れた。
小さく身を丸めて、少年は待った。

だれかが、もういいよ、といってくれるのを。
ところが、だあれもこない。
しいいいいんんとしている。

しばらくして。
少年は立ち上がった。
ゴミ箱だったか貯水槽だったかの裏から表に出た。

そして、その世界が、これまでの世界とまったく変わってしまったのを見た。


この話を、おそらく彼女は、思い切ってうちあけてくれたのだろう。
広島の人たち(もちろん長崎も)は、原爆のことを簡単に話すことをしない。
簡単に話せるものではないことを、だれよりも知っている。

だから、もうそろそろ死が近づいているという時に、思い余って話す人もおられる。

何十年もココロにしまってきた思いの重さに、話されるかたも多い。

「オジサンが、サダコちゃんくらいなんですよね」
その舞台監督の女性が言う。

そうだった。
サダコちゃんは2才で被ばくでしている。
数えてみたら、ちょうど私の叔母くらいの年齢だ。
大昔の人の話ではないのだ。
「今」の人のことなのだ。

サダコちゃんの甥御さんの裕滋さん。
今年、お子さんが生まれるという。
予定日は、サダコちゃんの命日とか。

新しい命はツナガッテいる。

感想;
8月6日 原爆投下 本「いしぶみ 広島ニ中一年生全滅の記録」

慰霊碑より

”なぐさめの 言葉知らねば ただ泣かん 汝がおもかげと いさをしのびて” 

原子爆弾も戦争があったから、使われたのだと思います。

歴史は、戦争がもめごとの解決になるどころか、より悲惨な結果を導いていることを証明しています。いまだに戦いがあります。武器を提供している人々(国)があります。

TVで、被ばくされた英語の先生だった方が英語で海外の人に被ばく体験を話されていました。高齢なのと被ばくの影響が出て体調をくずされています。「私が死ぬと語り継ぐ人がいない」と言われていました。

戦争は二度と起こしてはならない、国間の問題の解決に軍事を使ってはいけないことが、亡くなって逝かれた方への私たちの役目のように思います。


首相、非核三原則触れず 被爆者・野党から懸念 平和記念式典 ”言葉にすることの大切さ”

2015-08-07 10:55:00 | 社会
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11903017.html?_requesturl=articles%2FDA3S11903017.html 2015年8月7日05時00分

 安倍晋三首相が6日、被爆70年を迎えた広島市の平和記念式典でのあいさつで、「非核三原則」に言及しなかった。安全保障関連法案の5日の参院審議では、核兵器の輸送も法律上は可能という政府の見解が示されたばかり。こうした安倍政権の姿勢が「国是」の揺らぎにならないかという懸念につながっている。

 安倍首相は平和記念式典のあいさつで「『核兵器のない世界』の実現に向けて、一層の努力を積み重ねていく」などと述べた。だが、核兵器を「持たない」「作らない」「持ち込ませない」とする日本政府の政策「非核三原則」には触れなかった。

 首相の式典出席が定例化した1994年以降で三原則に触れなかったのは初めてだ。安倍首相は第1次政権を含めて過去3回、式典に出席。いずれも三原則に触れていた。

 安倍首相は式典後、被爆者代表からの要望を聞く会では「非核三原則を堅持しつつ、恒久平和の実現に向けた努力をリードする」と言及した。式典では触れなかったことについて、菅義偉官房長官は6日の記者会見で「非核三原則はある意味当然のことで、全く揺るぎがない」と説明。官邸幹部は同日、「核への取り組みは変わらないと強く言っている。触れなくても同じことだ」と語った。

 だが、首相が式典で言及しなかったことに、疑念の声が広がっている。民主党の蓮舫代表代行は6日、「非核三原則の堅持は当然だから言わないでいいという思いであれば、安全保障関連法案と同じだ。何らかの形で担保しなければ、いつ変わるか分からないという不安が残る」と述べた。広島県の被爆者団体代表の一人は「いずれ日本も核兵器を持つのではないかという危惧につながってしまう」と懸念する。(村松真次)

感想;
核兵器を「持たない」「作らない」「持ち込ませない」とする日本政府の政策「非核三原則」には触れなかった。
トップが繰り返し繰り返し言葉にして発信することで、国民もそれを思い、国も対外的に発信します。
会社でも会社の方針をわかっていても、何度も口にすることが重要と言われています。
安倍首相が非核三原則も変えたい意向があるのかどうかはわかりませんが、言葉にして口にされなかったということは、非核三原則に重きを置いておられないことを国民に対外的に発信されたのだと思います。




「戦争と検閲 -石川達三を読み直す-」 河原理子著 ”歴史から学ぶ”

2015-08-07 03:07:07 | 本の紹介
石川達三氏が中国南京などを訪問した体験記から「生きている兵隊」を執筆し、中央公論で出版されました。当時は、言論弾圧があり新聞も含め出版物は全て規制されていた。
たとえば中国娘を殺害する場面、弾丸にあたって瀕死となった母親を抱いて無く続ける娘を、日本兵たひははじめかわいそうに思いながら、夜通し泣き続ける声に次第に苛立ってくる。ひとりの一等兵が銃剣を抱いて駆け出す。
「えい、えい、えいッ!」
まるで気が狂ったような癇高い叫びをあげながら平尾は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あたりを・・・・・・・・・・・・・・・・・。他の兵も各々・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・まくった。ほとんど十秒と・・・・・・・・・・・・。平たい一枚の  (空白の二文字は蒲団)のようになってくたくたと・・・・・・・・・・・・。興奮したへのほてった顔に・・・・・・・・・・・・・・・・・・むっと暑く流れてきた。

と検閲で問題になるか所は伏字として出版された。ほかにも、日本兵が慰安所に繰り出す場面などに、空白がある。
それでも発刊禁止なった。しかし、伏字のものが一部で回った。そのため、石川達三は召喚され取り調べを受け、禁錮四カ月執行猶予三年の罪になった。
罪は
1)瀕死の母を抱いて泣き続ける中国娘を受験で殺害する場面
2)砂糖を盗んだ中国青年を銃弾で殺害する場面
3)前線は現地徴発主義でやっているという話と、兵士たちが「生肉の徴発」に出かける話
4)姑娘が「拳銃の弾丸と交換にくれた」という銀の指輪を笠原伍長らが見せる場面

これらを記述し安寧秩序を紊乱する事項を問題とした。 

作家は戦時にあって如何にあるべきか、戦える国の作家は以下にあるべきか。(石川達三)
友人たちは誰も弁護してくれなかったと、達三は戦後、くりかえし話している。
「筆禍を蒙りましたときにも、私の友人たちは誰一人として私のために弁護してくれる人もなかった、それは弁護することができなかったのであります。」

「生きている兵隊」事件を最初に取り調べた思想検事の井本台吉は戦後公職追放になったが、1967年検事総長になった。二審を担当した八田卯一郎判事は静岡地家裁所長などを務め、定年後は国税不服審判所長となった。
組織を動かし制度を支え、法令を実行するのは、結局一人ひとりの人間なのだ。

敗戦のあと、菊池寛は「過去十数年に亘って、テロと弾圧とで、徐々に言論の力を奪われたのでは、一歩一歩無力になる外はなかったのである」と述懐している。
石川達三が講演で
一つは、検閲には長い道のりがあり、戦争になってからあわてても遅い、ということ。批判する自由を失っていたら、「自由を失っている」ということも言えなくなる
二つ目。新聞紙法は実に便利に使われてきたということ(政府の都合でどんな規制もできる法律だった)。
文筆家人生を振り返っている。
僅か10年に過ぎない私の文筆家としての生涯に若し意義ありとすれば、それは社会の不正に対する戦いであった。しかし私の戦いは殆ど常に何の役にも立たない私の独り芝居に終わった。中略 
敵はアメリカではなくて日本の社会の中にかくれて居るのでhなはないか。

米軍が駐留し、日本の言論弾圧の法律は全て停止されたが、
「アメリカが我々に与えてくれた『言論の自由』はアメリカに対して適用しないということもわかった。」
時の権力者の都合のよい言論統制がされる。

自民党の憲法改正草案に
第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は「これを」保証する。
(自民党の追加か所) 2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない
3 検閲は、「これを」してはならない。通信の秘密は、「これを」侵してはならない。
「これは」の部分は自民党が削除した文言である。

秩序とはなんぞや、というのが私(著者)の関心になった。「安寧秩序」がいあkに広く、融通無碍に適用されてきたかは、自分で調べてみて、得心できた。まるで何でも入る袋のようである。この歴史的事実は肝に銘じておかねがならないと思う。
白川静「常用字解第二版」 秩とは「つむ、順序よくつみあげるついず(順序をつける)の意味であり、(順序をつけてつみあげることから、秩序(物事の正しい順序、きまり)のように用いる)とあった。
なるほど、つみあげる人によって変わるのだ。

感想;
言論統制が時間をかけて行われ、気が付いた時には自由に発言できなくなってしまっている。秘密保護法もその一つではないかと思いました。国民に知らされないので国民は判断もできず、時の権力者の意向に沿って国民は戦争に行かされ、多くの人が亡くなって逝きました。兵士210万人、民間人80万人の犠牲がありました。国を守るために死んで逝かれました。国とは兵士も含めた国民の命ではないでしょうか?その尊い命がたくさん失われ、守った国とは、当時の権力者の命と意向だったのではないでしょうか。戦争責任者のA級戦犯が恩赦で助けられ、上官の命令で捕虜を殺害したC級戦犯が処刑されました。多くの犠牲者をだした不毛な戦いの最たるものといわれているノモハン事件、インパール作戦の責任者は責任も取らされずに戦後生き延びています。ノモハン事件で8.4千人が戦死、インパール作戦では、戦死:26,000人、戦病:30,000人以上(ウィキペデイアより)と言われています。
日本に唯一の被爆国として、武力による国家間の問題解決はしないとの戦争をしない道を引き続き歩むのが犠牲者の思いに報いる唯一の回答のように思います。
”集団自衛権”は戦争に巻き込まれるリスクを高めるだけのように思えてなりません。また憲法違反と多くの憲法学者が述べ、元最高裁判事も憲法違反といっているものを内閣の解釈だけで進めることは、ドイツのワイマール憲法が骨抜きになり戦争に突入していったのと同じのように思えてないません。