13日のモーニングバードで、むのたけじさんにインタビューされていました。
むのたけじさんは朝日新聞の記者として従軍記者も経験した。
負けていたのに勝っているとの報道してきた。政府から負けていることを知らされていなかった。
その責任を感じて、終戦日に退社した。
1)戦争は人類の大犯罪
2)政府は戦争をやるときは秘密に徹する。
「秘密保護法」が成立したが、まさに戦争の前夜のように感じる
3)70年間戦争をしなかった。戦死者をださなかった。相手も殺さなかった。
この幸せな時を続けるために、”集団自衛権”が必要との説明がわからない
女性100人を集団でレイプしていた。男性が倒れていたが妻をレイプから守ろうとして倒された。
戦争とはそういうことが起きてしまうのだ。絶対戦争はダメだ。
戦争になって一番苦しむ者が、どうするかを考えないといけない。
http://www.saitama-np.co.jp/news/2015/01/04/04.html
戦争責任を取る形で朝日新聞を退社したことで知られる反骨のジャーナリストむのたけじ(本名・武野武治)さんが1月2日、100歳の誕生日を迎えた。視力や足腰は衰えたが、大きく張りのある声を響かせ元気いっぱい。「人類が本気で愛し合えば戦争は起こらない。命ある限り声を上げ、平和を築くために最後の日まで懸命に生き続けたい」と力強く語った。
■責任者は俺自身
「こんなに長生きするとは思わなかった」
4年前から、さいたま市中央区で次男大策さん(61)と暮らすむのさん。1世紀を生きた記念日の朝、亡き妻美江さんの写真を飾り日本酒で乾杯。おせち料理を食べた後にテレビ局などの取材に応じ、夜は近所のすし屋でささやかな祝宴を開いた。
中学時代、片道8キロの道を毎日歩いた。「それが体を丈夫にした」。青年、壮年期も病気をしなかったという。
ところが80代半ばに病魔が襲う。眼底出血に加え、胃がんと肺がん、心臓には水がたまった。胃は5分の4を摘出。肺は3割しか残っていない。だがそれも乗り越えた。
「がん細胞も自分の体の一部だと思ったら気が楽になった。がんに『火葬場に行きたくなかったら暴れるな』と言い聞かせた。命の責任者は俺自身。今はノミに食われる痛みも感じない」とユーモアたっぷり。
■戦争を未然に防ぐ
むのさんは1915年生まれ。不況に苦しんだ秋田の小作農の出身。貧農と金持ちがいる矛盾を感じ、「社会の不平等をなくす役に立ちたい」とジャーナリストを志した。
新聞記者になったのが二・二六事件の起きた36年の4月。従軍記者として中国やジャワ島などの戦地を取材した。
「戦場は相手を殺さなければ自分が殺される場所。まともな人間でいられるのは3日まで。4日目から人間らしい感情が消える。国内も同じ。『命令に絶対服従』という軍の論理が全てを支配。その論理が社会にも家庭にも染み込む。親子、夫婦にもゆがみが生まれる。戦争は人類の大犯罪だ」
79年間のジャーナリストの経験から「戦争はハッと気が付いた時には手遅れ。私も戦争の事実を書けなかった。だから戦争を絶対に始めさせてはならない」と力を込める。
■愛が人類を救う
戦争はなくならないという人もいるが、むのさんは人類史をひもときながら反論する。
「人類が地球に登場したのは700万年前。農業が始まったのが約1万年前。それまでは互いに助け合い、生きてきたに違いない。もし人間同士が殺し合ったら、ほかの動物に襲われ絶滅していた。戦争が始まったのは富が権力を生んだ約5千年前。699万5千年間は戦争がなかった。5千年前に戻れないはずはない」
何が戦争を防ぎ、人類を救うのか。その問いにむのさんは「男女の愛だ」と答える。
「男女が愛し合い、子どもを産む。本気で愛すれば戦争に行かず、行かせまいとするはず。その愛を貫けば戦争はなくなる。私も命が終わる最後の日まで、『戦争を殺す』ために全力を尽くす。最後は笑顔で死にたい」
【むの・たけじ】
秋田県生まれ。報知新聞社を経て朝日新聞に入社。45年8月14日、新聞記者として責任を取る形で退社。48年、秋田県横手市で週刊新聞「たいまつ」を創刊、78年の休刊まで主幹として健筆を振るった。著書に「たいまつ十六年」(岩波現代文庫)、「戦争廃絶へ、人間復活へ」(岩波新書)など。
むのたけじさんは朝日新聞の記者として従軍記者も経験した。
負けていたのに勝っているとの報道してきた。政府から負けていることを知らされていなかった。
その責任を感じて、終戦日に退社した。
1)戦争は人類の大犯罪
2)政府は戦争をやるときは秘密に徹する。
「秘密保護法」が成立したが、まさに戦争の前夜のように感じる
3)70年間戦争をしなかった。戦死者をださなかった。相手も殺さなかった。
この幸せな時を続けるために、”集団自衛権”が必要との説明がわからない
女性100人を集団でレイプしていた。男性が倒れていたが妻をレイプから守ろうとして倒された。
戦争とはそういうことが起きてしまうのだ。絶対戦争はダメだ。
戦争になって一番苦しむ者が、どうするかを考えないといけない。
http://www.saitama-np.co.jp/news/2015/01/04/04.html
戦争責任を取る形で朝日新聞を退社したことで知られる反骨のジャーナリストむのたけじ(本名・武野武治)さんが1月2日、100歳の誕生日を迎えた。視力や足腰は衰えたが、大きく張りのある声を響かせ元気いっぱい。「人類が本気で愛し合えば戦争は起こらない。命ある限り声を上げ、平和を築くために最後の日まで懸命に生き続けたい」と力強く語った。
■責任者は俺自身
「こんなに長生きするとは思わなかった」
4年前から、さいたま市中央区で次男大策さん(61)と暮らすむのさん。1世紀を生きた記念日の朝、亡き妻美江さんの写真を飾り日本酒で乾杯。おせち料理を食べた後にテレビ局などの取材に応じ、夜は近所のすし屋でささやかな祝宴を開いた。
中学時代、片道8キロの道を毎日歩いた。「それが体を丈夫にした」。青年、壮年期も病気をしなかったという。
ところが80代半ばに病魔が襲う。眼底出血に加え、胃がんと肺がん、心臓には水がたまった。胃は5分の4を摘出。肺は3割しか残っていない。だがそれも乗り越えた。
「がん細胞も自分の体の一部だと思ったら気が楽になった。がんに『火葬場に行きたくなかったら暴れるな』と言い聞かせた。命の責任者は俺自身。今はノミに食われる痛みも感じない」とユーモアたっぷり。
■戦争を未然に防ぐ
むのさんは1915年生まれ。不況に苦しんだ秋田の小作農の出身。貧農と金持ちがいる矛盾を感じ、「社会の不平等をなくす役に立ちたい」とジャーナリストを志した。
新聞記者になったのが二・二六事件の起きた36年の4月。従軍記者として中国やジャワ島などの戦地を取材した。
「戦場は相手を殺さなければ自分が殺される場所。まともな人間でいられるのは3日まで。4日目から人間らしい感情が消える。国内も同じ。『命令に絶対服従』という軍の論理が全てを支配。その論理が社会にも家庭にも染み込む。親子、夫婦にもゆがみが生まれる。戦争は人類の大犯罪だ」
79年間のジャーナリストの経験から「戦争はハッと気が付いた時には手遅れ。私も戦争の事実を書けなかった。だから戦争を絶対に始めさせてはならない」と力を込める。
■愛が人類を救う
戦争はなくならないという人もいるが、むのさんは人類史をひもときながら反論する。
「人類が地球に登場したのは700万年前。農業が始まったのが約1万年前。それまでは互いに助け合い、生きてきたに違いない。もし人間同士が殺し合ったら、ほかの動物に襲われ絶滅していた。戦争が始まったのは富が権力を生んだ約5千年前。699万5千年間は戦争がなかった。5千年前に戻れないはずはない」
何が戦争を防ぎ、人類を救うのか。その問いにむのさんは「男女の愛だ」と答える。
「男女が愛し合い、子どもを産む。本気で愛すれば戦争に行かず、行かせまいとするはず。その愛を貫けば戦争はなくなる。私も命が終わる最後の日まで、『戦争を殺す』ために全力を尽くす。最後は笑顔で死にたい」
【むの・たけじ】
秋田県生まれ。報知新聞社を経て朝日新聞に入社。45年8月14日、新聞記者として責任を取る形で退社。48年、秋田県横手市で週刊新聞「たいまつ」を創刊、78年の休刊まで主幹として健筆を振るった。著書に「たいまつ十六年」(岩波現代文庫)、「戦争廃絶へ、人間復活へ」(岩波新書)など。