http://ameblo.jp/kumiko926/entry-12136920100.html?frm_src=favoritemail2016-03-08
一日雨だったこともあって、部屋の中でずっと過ごした。
呼吸器官がやられるのが風邪だから、ずうっとぼうとしている。
カラダが弱ると、自分が可哀想な気がする。
けど、誰かに可哀想と思われるのはイヤだ。
自分で自分を可哀想を思うのはいいけど、他の誰かに思われるのはイヤだ。
まったく、こういうの何とかならないかと思う。
素直に可哀想がられてりゃいいじゃん、と思う。
でも、そうじゃないんだなあ。
きっとどんな状態でも、おそらく死の床でも、人は人に可哀想がられるのはイヤなんだ。
それが人のプライドってやつだ。
それをきちんとわかってないと、知らない間に誰かを傷つけてしまう。
以前、それこそ「死の床」に見舞いに行ったことがある。
その時、私はその人の手を取り、涙ぐんでしまった。
それが私には自然だったからだ。
でも、その時、その人は、私の手をあきらかに振りほどいた。
その驚きは、ずっと後を引いたけど、今ならわかる。
可哀想がられるなんて、絶対に絶対にイヤだったんだ。
そういう人だった。
凛と力強く生きた人だった。
今、老いた両親のことで色々あるけど、どんなときにも可哀想とは思わないでいようと思う。
それこそ、失礼きわまりない。
憐憫だけは、いかんのだな、そう思う。
憐憫。れんびん。
言葉の響きだけで、やるせないじゃないか。
感想;
人の気持ちを理解するのはとっても難しいのでしょう。
でも、理解しようと思う気持ちが大切なんだと思います。
それと少なくとも、自分が嫌なことはしないでいたい。
一日雨だったこともあって、部屋の中でずっと過ごした。
呼吸器官がやられるのが風邪だから、ずうっとぼうとしている。
カラダが弱ると、自分が可哀想な気がする。
けど、誰かに可哀想と思われるのはイヤだ。
自分で自分を可哀想を思うのはいいけど、他の誰かに思われるのはイヤだ。
まったく、こういうの何とかならないかと思う。
素直に可哀想がられてりゃいいじゃん、と思う。
でも、そうじゃないんだなあ。
きっとどんな状態でも、おそらく死の床でも、人は人に可哀想がられるのはイヤなんだ。
それが人のプライドってやつだ。
それをきちんとわかってないと、知らない間に誰かを傷つけてしまう。
以前、それこそ「死の床」に見舞いに行ったことがある。
その時、私はその人の手を取り、涙ぐんでしまった。
それが私には自然だったからだ。
でも、その時、その人は、私の手をあきらかに振りほどいた。
その驚きは、ずっと後を引いたけど、今ならわかる。
可哀想がられるなんて、絶対に絶対にイヤだったんだ。
そういう人だった。
凛と力強く生きた人だった。
今、老いた両親のことで色々あるけど、どんなときにも可哀想とは思わないでいようと思う。
それこそ、失礼きわまりない。
憐憫だけは、いかんのだな、そう思う。
憐憫。れんびん。
言葉の響きだけで、やるせないじゃないか。
感想;
人の気持ちを理解するのはとっても難しいのでしょう。
でも、理解しようと思う気持ちが大切なんだと思います。
それと少なくとも、自分が嫌なことはしないでいたい。