18歳で化粧品の顔に。ポスターが盗まれるほど。女優。68歳の今も現役のミュージカル女優。
20歳でマイク眞木さんと結婚。クロー眞木木さんを生まれた。7年後離婚。息子のために恥ずかしくない生き方をしようと思ったのがこれまでやってこられた原動力だと思う。
今日はこれから舞台。舞台は楽しい。身体を動かすのは良い。疲れは3日後に出るとか。孫が二人いる。
コーラス・ラインの中の「ONE」 人生を変えた舞台の曲。芸能界を辞めようかと思っていた時期。現役を退いてバレーの先生になろうとしている人の役。
頑張って稽古した。劇団四季が海外のミュージカルを初めてやる。これを落ちたら芸能界を辞めようと思った。そしたら落ちた。そこで稽古だけでも参加させてくれないか。浅利慶太さんが、「君のダンス力では無理だ。名前も通っているから恥をかく前に落とした」という気持ちだった。
役をもらったが、ダブル、トリプルキャストで、ダンスの上手い人がいた。どうしても舞台に立ちたくて。今でもその気持ちはある。
父はアメリカ人。母は日本人。父が帰るときに、母は祖父母を置いていけなくて、なくなく別れた。母は私を育てるために働き始めた。祖父は厳しく育てられた。小学校4年生のときにバレーを習いたい。バレーの世界に魅せられて。家にはお金がなくて。でもずっと見学していた。そしたら先生がやってみないかと言ってくれた。当時は金髪で差別を受けていた。でもバレーの世界では差別なく教えてくれた。バレーの練習が楽しく、居心地が良かった。“人に見られる”のは快感だった。台所のまな板で料理するより、ステージのまな板の上に立ったのが素晴らしいのを体感した。もちろん上がることもあるが、役柄と一体化していく。
結婚した理由があった。15歳の混血の子がとか言われた。早く芸能界を辞めて奥さんになろうと。そのときマイク眞木と出会った。全力で主婦業に打ち込んだ。家庭でパーフェクトでやろうと思った。そうしたら病気になった。“マイク眞木夫人”として芸能活動もした。歌ったり司会をしたりsた。夫は歌の先生で教えてくれた。”マイク眞木夫人“は借りてきた猫みたいで向いていなかった。調子が悪くなったときに、どうしても満足できない。自分から離婚を言い出した。27歳のとき離婚を決意した。父がいなくてとても辛い思いをした。離婚して子どもに辛い思いをさせたくなかった。会えなかった息子への思いがあった。マイク眞木から自分だけでは手に負えないから私に息子に会ってほしいと言われそれから会うようになった。息子への思いを舞台に注いだ。息子に恥ずかしいくないようにしたい。歌って踊ってダンスして。舞台「ステッピングアウト」の映像。還暦を過ぎても足を上げて踊っていた。還暦は自分で決めようと。健康には注意をとても払っている。筋肉トレーニングを40分、水泳を毎日など。すべて舞台のために。
ウエストに肉がどうしても付いてしまう。ウエストに肉を付かせない体操。壁に背を合わせて、両手を広げて上体を左右に動かす。35分~40分やる。
マイク眞木の「バラが咲いた」マイク眞木家と浜口家の家族みんなで歌った曲。そこに入れてもらった。向こうの奥さんとも仲良くしている。今の奥様がすてきだからできているかと思う。
息子が二人を合わせた結果。仲直りと言うより友達に。息子の力ですね。
感想;
劇団四季のオーデションに落とされても、何とかしがみついて道を切り開く。
バレーも諦めずにずっと見ている。
やりたい。やろうと思えば必死にやることなのでしょう。
必死だからこそ、周りが手を差し伸べてくれるのだと思いました。
20歳でマイク眞木さんと結婚。クロー眞木木さんを生まれた。7年後離婚。息子のために恥ずかしくない生き方をしようと思ったのがこれまでやってこられた原動力だと思う。
今日はこれから舞台。舞台は楽しい。身体を動かすのは良い。疲れは3日後に出るとか。孫が二人いる。
コーラス・ラインの中の「ONE」 人生を変えた舞台の曲。芸能界を辞めようかと思っていた時期。現役を退いてバレーの先生になろうとしている人の役。
頑張って稽古した。劇団四季が海外のミュージカルを初めてやる。これを落ちたら芸能界を辞めようと思った。そしたら落ちた。そこで稽古だけでも参加させてくれないか。浅利慶太さんが、「君のダンス力では無理だ。名前も通っているから恥をかく前に落とした」という気持ちだった。
役をもらったが、ダブル、トリプルキャストで、ダンスの上手い人がいた。どうしても舞台に立ちたくて。今でもその気持ちはある。
父はアメリカ人。母は日本人。父が帰るときに、母は祖父母を置いていけなくて、なくなく別れた。母は私を育てるために働き始めた。祖父は厳しく育てられた。小学校4年生のときにバレーを習いたい。バレーの世界に魅せられて。家にはお金がなくて。でもずっと見学していた。そしたら先生がやってみないかと言ってくれた。当時は金髪で差別を受けていた。でもバレーの世界では差別なく教えてくれた。バレーの練習が楽しく、居心地が良かった。“人に見られる”のは快感だった。台所のまな板で料理するより、ステージのまな板の上に立ったのが素晴らしいのを体感した。もちろん上がることもあるが、役柄と一体化していく。
結婚した理由があった。15歳の混血の子がとか言われた。早く芸能界を辞めて奥さんになろうと。そのときマイク眞木と出会った。全力で主婦業に打ち込んだ。家庭でパーフェクトでやろうと思った。そうしたら病気になった。“マイク眞木夫人”として芸能活動もした。歌ったり司会をしたりsた。夫は歌の先生で教えてくれた。”マイク眞木夫人“は借りてきた猫みたいで向いていなかった。調子が悪くなったときに、どうしても満足できない。自分から離婚を言い出した。27歳のとき離婚を決意した。父がいなくてとても辛い思いをした。離婚して子どもに辛い思いをさせたくなかった。会えなかった息子への思いがあった。マイク眞木から自分だけでは手に負えないから私に息子に会ってほしいと言われそれから会うようになった。息子への思いを舞台に注いだ。息子に恥ずかしいくないようにしたい。歌って踊ってダンスして。舞台「ステッピングアウト」の映像。還暦を過ぎても足を上げて踊っていた。還暦は自分で決めようと。健康には注意をとても払っている。筋肉トレーニングを40分、水泳を毎日など。すべて舞台のために。
ウエストに肉がどうしても付いてしまう。ウエストに肉を付かせない体操。壁に背を合わせて、両手を広げて上体を左右に動かす。35分~40分やる。
マイク眞木の「バラが咲いた」マイク眞木家と浜口家の家族みんなで歌った曲。そこに入れてもらった。向こうの奥さんとも仲良くしている。今の奥様がすてきだからできているかと思う。
息子が二人を合わせた結果。仲直りと言うより友達に。息子の力ですね。
感想;
劇団四季のオーデションに落とされても、何とかしがみついて道を切り開く。
バレーも諦めずにずっと見ている。
やりたい。やろうと思えば必死にやることなのでしょう。
必死だからこそ、周りが手を差し伸べてくれるのだと思いました。