キリスト弾圧下、ローマで司祭になり、また日本に戻って隠れキリスタンを励まし続け、密告により捕まり殺害された。ぺテル岐部
サマリヤの女、エルサレムに着いた時の感動。それは教わっていた聖書の世界を見るたびでもあった。
充分な資金がなかったため、路銀を働きながら稼いだ。
例えば、駱駝を操れるようになったことで雇って貰えた。
ラテン語とポルトガル語を日本のキリスト教の学校セミナリオで学んだ。
ローマの泉で倒れこんでいるところをイエスズ会の神父が乞食と思ってお金を恵んで来て、この青年がラテン語で話したので驚いた。奇遇な出会い。
ローマまで歩いた距離38,000km 船旅は14,500km。それは一途にイエス様を信じていること、司祭になって日本人を救いたいとの熱き思いがあったからなのでしょう。
イエスズ会への入門試験
1)新約聖書のイエス・キリストについて、イエスズ会初代総会長イグナチオ・デ・ロヨロの著書についてどれほどの理解でもって黙想しているか
2)ラテン語の能力
3)ポルトガルの能力
4)イエスズ会に入会する熱意
について数人の試験官の問いに答えること。
試験は4日間にわたって行われた。
学べる幸せを感じるとともに、司祭になって日本に戻ってキリスト教を伝えたいとの強い思いが学びの力になったと思われる。
聖フランチェスコの伝記「小さな花」より
「おお、イエス。かのつらく苦しい受難の時、耐え忍ばれた苦痛を、この私も生きているうちに、わが体と魂で味わいつくすように。もうひとつ、神の御子であるあなたを燃えたたす愛、われら罪びとのために、よろこんで、この十字架の受難を忍ぶはかり知れぬ愛を、私にも出来るだけ、心に感じることができますように」
読み終えると、イエス・キリストを深く信じているかぎり、死はなにものでもなく、大きな喜びであると心の底から思い知った。
ローマとリスボンにおける年月を合わせて二年間の修練期間を終え、請願をたてる資格を得た。そしてついにイエスズ会士になった。
マカオには日本からのキリスト教徒の難民が多くなった。そこでシャム王国の首都アユタヤがキリスタンの難民の移住地と目されるようになってきた。
船が海賊に襲撃され多くの人が殺害され、海に飛び込んで陸地まで泳ぎ、大森林の中を歩いた。2週間さ迷った。42歳。人生50歳。まだ神父としての召命に応えていない罪の重さに苦しむ。
そこで、かつてマニラから日本への期間をこころみたことがあるという松田ミゲル神父が尋ねてきた。マニラからマカオへの渡航中、船が座礁し、明の警備隊に捕縛されて獄中に拘禁されてしまった。獄中では大変な辛酸を嘗めた。囚人は裸にされ大小便が垂れ流しの不潔さだった。10か月ほどで釈放された。二人はたちまち意気投合して、帰国の方法を相談した。
中古の船を買って修理して日本に戻ることにした。せっかく作った船が白蟻で水漏れがした。これも神様が私たちに与えてくださった試練と考え乗り越えた。
トカラ列島の中之島手前で沈没、坊津に上陸、長い航海で日焼けして伸び放題の髭の哀れな姿を見た役人はこやつはキリスタンではない、ただの承認じゃとみて、難なく上陸をゆロしてくれた。昼間は宿の奥に隠れ、日暮れになると宿を抜け出して、信者の家を訪問して回った。説教し、ミサを開き、秘跡を授けた。弾圧がさらに激しくなり、九州にいたのではキリシタン信者たちの信仰を守るのが難しくなったと情勢判断して京都に移った。畿内よりも東北がよいと判断して向かった。
仙台藩ではキリシタンを密告すると幕府の報奨金よりけた違いに多かった。
・伴天連(神父)の訴人 黄金10枚(銀子200枚)
・いるまん(修道士)の訴人 黄金5枚(銀子100枚)
・キリシタンの訴人 黄金3枚(銀子50枚)
この布告の立札が立てられたのは、仙台四郡、白石、三迫、水沢
キリシタンの密告で捕まった。52歳。江戸に送られて処刑。
感想;
キリスト教禁止下でも隠れキリスタンがいたこと。
そしていのちの危機があっても、信仰を優先したこと。
司祭になって隠れキリスタンの支えになりたいと思った人がいたこと。
信仰とは何か、生きるとは何かを教えてもらったように思いました。
そして”殉教者”がどのような思いであったかも少し知ることができました。
苦痛がそれが神様からの試練だと思える時、それを耐える、乗り越える力が沸き上がってくるのでしょう。
サマリヤの女、エルサレムに着いた時の感動。それは教わっていた聖書の世界を見るたびでもあった。
充分な資金がなかったため、路銀を働きながら稼いだ。
例えば、駱駝を操れるようになったことで雇って貰えた。
ラテン語とポルトガル語を日本のキリスト教の学校セミナリオで学んだ。
ローマの泉で倒れこんでいるところをイエスズ会の神父が乞食と思ってお金を恵んで来て、この青年がラテン語で話したので驚いた。奇遇な出会い。
ローマまで歩いた距離38,000km 船旅は14,500km。それは一途にイエス様を信じていること、司祭になって日本人を救いたいとの熱き思いがあったからなのでしょう。
イエスズ会への入門試験
1)新約聖書のイエス・キリストについて、イエスズ会初代総会長イグナチオ・デ・ロヨロの著書についてどれほどの理解でもって黙想しているか
2)ラテン語の能力
3)ポルトガルの能力
4)イエスズ会に入会する熱意
について数人の試験官の問いに答えること。
試験は4日間にわたって行われた。
学べる幸せを感じるとともに、司祭になって日本に戻ってキリスト教を伝えたいとの強い思いが学びの力になったと思われる。
聖フランチェスコの伝記「小さな花」より
「おお、イエス。かのつらく苦しい受難の時、耐え忍ばれた苦痛を、この私も生きているうちに、わが体と魂で味わいつくすように。もうひとつ、神の御子であるあなたを燃えたたす愛、われら罪びとのために、よろこんで、この十字架の受難を忍ぶはかり知れぬ愛を、私にも出来るだけ、心に感じることができますように」
読み終えると、イエス・キリストを深く信じているかぎり、死はなにものでもなく、大きな喜びであると心の底から思い知った。
ローマとリスボンにおける年月を合わせて二年間の修練期間を終え、請願をたてる資格を得た。そしてついにイエスズ会士になった。
マカオには日本からのキリスト教徒の難民が多くなった。そこでシャム王国の首都アユタヤがキリスタンの難民の移住地と目されるようになってきた。
船が海賊に襲撃され多くの人が殺害され、海に飛び込んで陸地まで泳ぎ、大森林の中を歩いた。2週間さ迷った。42歳。人生50歳。まだ神父としての召命に応えていない罪の重さに苦しむ。
そこで、かつてマニラから日本への期間をこころみたことがあるという松田ミゲル神父が尋ねてきた。マニラからマカオへの渡航中、船が座礁し、明の警備隊に捕縛されて獄中に拘禁されてしまった。獄中では大変な辛酸を嘗めた。囚人は裸にされ大小便が垂れ流しの不潔さだった。10か月ほどで釈放された。二人はたちまち意気投合して、帰国の方法を相談した。
中古の船を買って修理して日本に戻ることにした。せっかく作った船が白蟻で水漏れがした。これも神様が私たちに与えてくださった試練と考え乗り越えた。
トカラ列島の中之島手前で沈没、坊津に上陸、長い航海で日焼けして伸び放題の髭の哀れな姿を見た役人はこやつはキリスタンではない、ただの承認じゃとみて、難なく上陸をゆロしてくれた。昼間は宿の奥に隠れ、日暮れになると宿を抜け出して、信者の家を訪問して回った。説教し、ミサを開き、秘跡を授けた。弾圧がさらに激しくなり、九州にいたのではキリシタン信者たちの信仰を守るのが難しくなったと情勢判断して京都に移った。畿内よりも東北がよいと判断して向かった。
仙台藩ではキリシタンを密告すると幕府の報奨金よりけた違いに多かった。
・伴天連(神父)の訴人 黄金10枚(銀子200枚)
・いるまん(修道士)の訴人 黄金5枚(銀子100枚)
・キリシタンの訴人 黄金3枚(銀子50枚)
この布告の立札が立てられたのは、仙台四郡、白石、三迫、水沢
キリシタンの密告で捕まった。52歳。江戸に送られて処刑。
感想;
キリスト教禁止下でも隠れキリスタンがいたこと。
そしていのちの危機があっても、信仰を優先したこと。
司祭になって隠れキリスタンの支えになりたいと思った人がいたこと。
信仰とは何か、生きるとは何かを教えてもらったように思いました。
そして”殉教者”がどのような思いであったかも少し知ることができました。
苦痛がそれが神様からの試練だと思える時、それを耐える、乗り越える力が沸き上がってくるのでしょう。