女の一生 一部 キクの場合
沈黙 と同じく、クリスチャンとは、生きるとは、を考えてしまう作品でした。
明治政府ができても、隠れキリスタンの迫害がありました。
キリスト教の禁止は続きました。
長崎周辺の隠れキリスタンを捕らえて転宗を奨めます。
それができないと拷問や食事制限などします。
それに耐えられずに転宗する人。
それでもキリスト教を棄てずに亡くなっていく人。
まさに沈黙のキチジローを思い出させる内容でした。
私がクリスチャンになったら、何度でも転宗するかもしれないなあと思ったり。
そしてまたキリスト教を信じて信仰生活を行う。
果たしてそれは問題なのだろうかと考えてしまいました。
転宗を拒む清吉を愛したキク。
お役人がキクに清吉を解放するためには、キクに要求します。
セックスとお金を。
キクは清吉を救うために身を投げ出してその要求に応え、そして遊女としてお金を稼いで役人に渡します。
役人はそのお金を清吉に渡すこともなく、清吉を解放するためにも使わずに自分の飲み食いに使います。
キクはとうとう肺病を患い、教会のマリア像の前で亡くなりました。
キクはクリスチャンではなかったけれど、マリア像に「なぜ助けてくださらないのですか」をことあるごとに、マリア像に話しかけ願いました。
その役人は後で、悔い改めてサチ子に自分のやったことを話します。
その時はクリスチャンになっていました。
女の一生 二部 サチ子の場合
戦争中の教会の苦悩。
修平とサチ子はクリスチャン。
お互いに好きで、一緒になりたいと思うが戦争がそれを阻止している。
修平は学徒出陣で特攻隊員になる。
キリスト教は人を殺してはいけないとの教え。
しかし戦争では人を殺さないといけない。
その苦悩に苦しみます。
牧師にどうしたら良いかと尋ねても答えは貰えず、「いのちを大切にしてください」との言葉だけ。
踏み絵を踏まない殉教者としての生き方、踏み絵を踏みまた信じる生き方。
殉教者として、死なないで、キリスト教の愛を伝える生き方は妥協の産物かもしれませんが、それもありかと。
沈黙の踏み絵を踏んだキチジロー。でも、キリスト教から離れなかった。
ひょっとしたら、戦争中の教会自体がキチジローだったのかも。宗教戦争。キリスト国家が戦争。ユダヤ人、反戦のポーランド人、ユマ人の大量虐殺を黙認した国民。キリスト教を多くの人が信じていたが、人を殺し続けました。
感想;
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は旧約聖書を聖典とする根っこが同じ宗教ですが、一神教のために他の宗教を認めてきませんでした。
ユダヤ教はまだ救い主が出ていない。キリスト教はイエスが救い主、イスラム教はイエスは預言者の一人でマホメットが最後の預言者と。
異教徒は悪魔に心を奪われているから、命を断ち、生まれ換わることがその人の救いになるとの考え方もあり、異教徒を殺害してきた経緯があります。
しかし、第二次世界大戦はキリスト教同士の国も戦いました。
映画「沈黙」が話題になっています。
神様の沈黙。それは神様の沈黙ではなく、私たちが“沈黙”して来たからなのではと思いました。義父は赤紙で集兵され、戦後シベリアで抑留されました。
抑留は過酷でなくなる人も多かったですが、まだ抑留の方がましだった。
戦争中はいつ敵が攻めてくるかわからなかった。
戦いよりも飢えと病気で多くの仲間がなくなった。
抑留はまだ食べ物と寝るところがあった。
まさか日本が戦争になるとは思わなかった。
戦争になった時はもう“戦争反対”は言えなくなってしまっていた。
教会も沈黙していた。
何も言えなくなっていたのでしょう。
共謀罪で戦争反対者を逮捕、共産主義者も逮捕。
新聞法などで国民に知らせる媒体に政府の検閲が入る。
大本営発表で国民に真実を話さない。
国民に真実を知る機会をどんどん奪い、気付いたら戦争に入っていた。
沈黙 と同じく、クリスチャンとは、生きるとは、を考えてしまう作品でした。
明治政府ができても、隠れキリスタンの迫害がありました。
キリスト教の禁止は続きました。
長崎周辺の隠れキリスタンを捕らえて転宗を奨めます。
それができないと拷問や食事制限などします。
それに耐えられずに転宗する人。
それでもキリスト教を棄てずに亡くなっていく人。
まさに沈黙のキチジローを思い出させる内容でした。
私がクリスチャンになったら、何度でも転宗するかもしれないなあと思ったり。
そしてまたキリスト教を信じて信仰生活を行う。
果たしてそれは問題なのだろうかと考えてしまいました。
転宗を拒む清吉を愛したキク。
お役人がキクに清吉を解放するためには、キクに要求します。
セックスとお金を。
キクは清吉を救うために身を投げ出してその要求に応え、そして遊女としてお金を稼いで役人に渡します。
役人はそのお金を清吉に渡すこともなく、清吉を解放するためにも使わずに自分の飲み食いに使います。
キクはとうとう肺病を患い、教会のマリア像の前で亡くなりました。
キクはクリスチャンではなかったけれど、マリア像に「なぜ助けてくださらないのですか」をことあるごとに、マリア像に話しかけ願いました。
その役人は後で、悔い改めてサチ子に自分のやったことを話します。
その時はクリスチャンになっていました。
女の一生 二部 サチ子の場合
戦争中の教会の苦悩。
修平とサチ子はクリスチャン。
お互いに好きで、一緒になりたいと思うが戦争がそれを阻止している。
修平は学徒出陣で特攻隊員になる。
キリスト教は人を殺してはいけないとの教え。
しかし戦争では人を殺さないといけない。
その苦悩に苦しみます。
牧師にどうしたら良いかと尋ねても答えは貰えず、「いのちを大切にしてください」との言葉だけ。
踏み絵を踏まない殉教者としての生き方、踏み絵を踏みまた信じる生き方。
殉教者として、死なないで、キリスト教の愛を伝える生き方は妥協の産物かもしれませんが、それもありかと。
沈黙の踏み絵を踏んだキチジロー。でも、キリスト教から離れなかった。
ひょっとしたら、戦争中の教会自体がキチジローだったのかも。宗教戦争。キリスト国家が戦争。ユダヤ人、反戦のポーランド人、ユマ人の大量虐殺を黙認した国民。キリスト教を多くの人が信じていたが、人を殺し続けました。
感想;
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は旧約聖書を聖典とする根っこが同じ宗教ですが、一神教のために他の宗教を認めてきませんでした。
ユダヤ教はまだ救い主が出ていない。キリスト教はイエスが救い主、イスラム教はイエスは預言者の一人でマホメットが最後の預言者と。
異教徒は悪魔に心を奪われているから、命を断ち、生まれ換わることがその人の救いになるとの考え方もあり、異教徒を殺害してきた経緯があります。
しかし、第二次世界大戦はキリスト教同士の国も戦いました。
映画「沈黙」が話題になっています。
神様の沈黙。それは神様の沈黙ではなく、私たちが“沈黙”して来たからなのではと思いました。義父は赤紙で集兵され、戦後シベリアで抑留されました。
抑留は過酷でなくなる人も多かったですが、まだ抑留の方がましだった。
戦争中はいつ敵が攻めてくるかわからなかった。
戦いよりも飢えと病気で多くの仲間がなくなった。
抑留はまだ食べ物と寝るところがあった。
まさか日本が戦争になるとは思わなかった。
戦争になった時はもう“戦争反対”は言えなくなってしまっていた。
教会も沈黙していた。
何も言えなくなっていたのでしょう。
共謀罪で戦争反対者を逮捕、共産主義者も逮捕。
新聞法などで国民に知らせる媒体に政府の検閲が入る。
大本営発表で国民に真実を話さない。
国民に真実を知る機会をどんどん奪い、気付いたら戦争に入っていた。