幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

【衆院予算委員会】森友学園問題でも民進党ブーメラン 大西健介議員の追及が… "大切なことは今どうするかでは?”

2017-02-28 08:25:38 | 社会
http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e3%80%90%e8%a1%86%e9%99%a2%e4%ba%88%e7%ae%97%e5%a7%94%e5%93%a1%e4%bc%9a%e3%80%91%e6%a3%ae%e5%8f%8b%e5%ad%a6%e5%9c%92%e5%95%8f%e9%a1%8c%e3%81%a7%e3%82%82%e6%b0%91%e9%80%b2%e5%85%9a%e3%83%96%e3%83%bc%e3%83%a1%e3%83%a9%e3%83%b3-%e5%a4%a7%e8%a5%bf%e5%81%a5%e4%bb%8b%e8%ad%b0%e5%93%a1%e3%81%ae%e8%bf%bd%e5%8f%8a%e3%81%8c%e2%80%a6/ar-AAnukcS?ocid=spartandhp#page=2産経新聞
 民進党の大西健介氏は27日の衆院予算委員会で、学校法人「森友学園」の問題を取り上げ、安倍晋三首相や閣僚をただした。しかし、勢い余って、きれいなブーメランが大西氏に炸裂。旧民主党時代からの民進党の“得意技”に、いささかの衰えもみられないようだ。

 大西氏は、文部科学省が同学園運営の塚本幼稚園(大阪市淀川区)の教諭に優秀教職員表彰をしたとして松野博一文科相に経緯を尋ねた。
 大西氏「表彰の対象になったのは何回か」
 松野氏「2回表彰している。表彰者の決定は1回目は平成20年12月、2度目は24年12月7日だ」
 この答弁を受け、大西氏は「政権ぐるみで偏った教育方針を推進している幼稚園を後押ししたり、便宜を図ったりしているのではないか!」と攻め立てた。

 しかし、安倍晋三首相は「少なくとも一つは民主党政権時代じゃないですか?」と反論。確かに、1度目は自民党の麻生太郎政権時代だが、2度目は旧民主党の野田佳彦政権時代…。これ以上ない、お手本のようなブーメランが決まった瞬間だった。

感想
自民党、民主党時代に二度も表彰されたということ。
大切なのは今どうするかなのではないでしょうか?
この問題をこのまま嵐の過ぎるのを待つのは、一番避けなければならないと思います。
そうしないとまた同じことを繰り返してしまいます。

1)表彰の評価方法に問題があったのではないか?
 官僚主導でおこなわれたから、自民党でも民主党でも表彰したのではないか。
2)国民の資産8億円を実質200万円で譲渡したことが、適正に評価したと判断している今の官僚と政府に問題はないのか?
3)廃棄処理を業者に見積もりさせずに、内部で評価したのはどのような基準でだれがその責任者だったかを調査し、反省すべき点があればそれを次に生かす。
4)廃棄物が戻されたとのこと。土地全体が安全課銅貨を確認する。豊洲では大問題になっているのに、子どもを預かる学校ではあまり問題にされていないような?
5)教育基本法に抵触するかどうかの判断を行う。

ブーメランが返ってきたら、ぜひ、「総理、そうなんです。まさに今どうするかが問われているのです。何も対応しないのが一番問題なのではないでしょうか?」と返すくらいして欲しかったです。





「『べてるの家』から吹く風」向谷地生良著 ”精神科医に本当のことを話さない”

2017-02-28 02:34:58 | 本の紹介
「べてるの家」の当事者スタッフである清水里香さんは『べてるの家の「非」援助論』の中で「諦めが肝心」と題して、興味深い経験を述べている。
「“だめなままの自分を受け入れよう”ということにこだわることを止め、“諦めるしかない”と思い、今まで自分が必至にしがみついていた手綱を手放したとき、手放したことで自分にマイナスになるものが何一つないことが分ったのです。苦しむために悩んでいたわけではありません。しかし、悩めば悩むほどこんがらがってきてますます混乱する。でも、悩むことをやめたとたんに、失うものは何もない、悩まなくても失うものは何一つないことが分ったのです。“諦める”というと、すごく大切なものをいろいろ捨てるような感じがします。苦しんでいる時は、“だめな自分のままでいいんだ”ということを受け入れない自分に、無性に腹が立っていました。しかし、“だめなままの自分を受け入れられない”ので、悪戦苦闘の結果として“悩むことをすべて放棄する”ことにしたのです。・・・自分ひとりで散々悩み苦しんでいた時は“諦める”などということは想像もつきませんでした。・・・“諦める”それをべてるの家では、生き方の高等技術としてとても大切にしています。・・・」

「べてるの家」のメンバーで統合失調症の松本寛君は、講演でもだじゃれを連発することで有名である。彼がいつも口にするだじゃれのひとつに、「一旗あげようとがんばって、気がついたら白旗をあげていた」というのがある。

幻聴研究班」の中心メンバーに林園子さんがいる。彼女は大学時代に統合失調症を発病した。早矢仕さんは、強迫的な症状に“くどうくどうぎ君”とニックネームを付けた。”彼“とのつきあい方を仲間と研究して対処方法を編み出し、「自分の落ち着きのなさ」が、つかれと空腹感からきていることを見事に見極めた。

「たとえぼくい明日はなくとも」石川正一著
生まれながらに難病をかかえ、二十歳までしかいきられないと知ったひとりの少年が十四歳のときに書いた詩。
たとえ短いいのちでも
生きる意味があるとすればそれはなんだろう
働けぬ体で、一生過ごす人生にも
生きる価値があるとすればそれはなんだろう
もし生きr価値が社会に役立つことで決まるなら
ぼくたちはいきる価値も権利もない
しかしどんな人間にも差別なく生きる資格があるのなら
それは何によるのだろうか

べてるの女性メンバーからのメール
「自分は、今思えば、ものごころがついた時から、“鬱”だったような気がします。そして、漠然といつも死を恐れていました。・・・現実の死との向き合いを通してわかったことがあります。それは”生きよう!“ということでした。それも”死ぬために生きる“ということです。生きていなければ、死ねないことに気がついたのです。今のテーマは、究極は”死“です。”いかに死ぬか“ということは、”いかに生きるか“ということとイコールなのです。突きつめると、私自身は一生”当事者研究“の対象、一生求道者、一生病者であり、一哲学者-悩み尽きぬ存在であるだろうと思います。でもそれは決して悲観的なわけではなく、”一生情けない自分とつきあえる特権“とすら感じられます。」
「苦労や悩みの取り戻し」という作業のあとに出会う人生課題への「めざめ」の恐怖の根っこには、だれも避けることのできない「死」のテーマが横たわっている。だが、恐れていた「死」との出会いが彼女を生かしたのである。

ほんとうに変なんです。私は今まで超人間アレルギーだったので、一度、人を嫌いだとか、苦手だとか思うと、ずっとその人に対するアレルギー反応が続き、苦手なままできたんです。その人のことを思うことさえ拒絶してきたんです。だけどね、最近はその拒絶勘だとか嫌悪感が長続きしないんです。なんなに嫌いで身体も拒絶していたのに、そのうちに”この人はこんな良いところもあるんだ“とかいう考えがぐるぐる回ってきて、知らないうちにあいさつして、何もなかったように親しく話をするようになって・・・。会話しながら、”あれ、今までと違う・・・“ととまどう気持ちも現れるんです。本当に私はどうなってしまったんだろうって、怖くなるんです。人に対して表面的に愛想を振りまくようになったような気がして・・・。私、これ二重人格ですよね・・・。」

精神科医とのつきあいで、彼が大事にしてきたことは「決して本当のことを話さないこと」であった。これは会場の爆笑を誘った。なぜなら、放すと薬が増えてしまうだけなので。

星野富弘作

よろこびが集まったよりも
悲しみが集まった方が
しあわせに近いような気がする
強いものが集まったよりも
弱いものが集まった方が
真実に近いような気がする
しあわせが集まったよりも
ふしあわせが集まった方が
愛にちかいようなきがする

べてるの歩みを振り返り、幾多の出来事3を思い起こしたとき、この詩にこめられたメッセージが心に深く染み入る。

感想
統合失調症の方が浦河で集団生活をされています。
そこにはケースワーカーだった向谷地育良さんと川村先生(患者を治さない精神科医/薬をほとんど出さない精神科医)の二人の出逢いが大きかったようです。

ロゴセラピーでは精神、心、身体の3次元を考えます。
心と身体は病気になることがありますが、精神は病気になりません。

統合失調症として心を病んでいる(統合失調症も脳の機能の疾病との考えもあります)人は、精神を病んでいない。まさにロゴセラピーの実践の場でもあるようです。

心は本当に不思議です。
忘れようと思えば思うほど忘れられません。

寝なければと思うほど目が冴えてきます。
寝ることを諦めて、寝られなくても良い。楽しいことを考えようとしていると知らない間に寝ています。

統合失調症の幻覚や幻聴も心の持ち方で変わってくるようです。
薬で抑えるのではなく、上手く幻覚や幻聴と付き合う術を身に付けることが良いようです。