幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

トランプ大統領が安倍首相を見つめた理由 ”クミコさんのブログより、Look at me"

2017-02-15 18:15:40 | 社会
私を見て。http://ameblo.jp/kumiko926/entry-12247947280.html?frm_src=favoritemail2017-02-15

違う言語を理解するのって、ムズカシイ。
 
 
この前。 
トランプさんと安倍さんの会見で。
  
前にいる日本の記者が。
「こっちもお願いします!」と叫んだ。
  
こっちも見てくださいね、写真撮りますから。
ていう意味のことだ。
  
そういう声たちを聞いたトランプさんが、安倍さんに尋ねた。
 「なんて言ってるの?」
安倍さんは答えた。
「Look at me!」 私を見て。
  
そうしたら、トランプさん握手しながら、ずっと安倍さんを見ている。
見続けている。
安倍さん、なんだか照れてる。
なんとも不思議な空気。
 
「私を見て」って言っちゃったからだなあ、これ。
 
この場合、安倍さんはなんていえばよかったのかなあ。
「私たちを見て」っていえば、まだよかったかなあ。
とか、
「このカメラを見てください」
っていうべきだったか。
 
いずれにしても、安倍さんが、通訳にむいていないことはわかった。
つまり。
いうべきこと、核心の内容を、伝えることが一番大切なこと。
 
ああいう、ちょっとした出来事だからいいけど、これが重要な場面だったら大変だ。
だからこそ、通訳者がいるわけだけど、でも、それ以外では、こんな「すれ違い」が、きっとたくさんあるんだろう。
 
ああ、ほんとに言葉ってムズカシイ。
何年も英語の勉強しながら、サンキューソーマッチ、しか言えない自分の情けなさ。
その口惜しさで、ラジオの基礎英語を聴きはじめたのに。
たいした変化もない。
きっと何かあっても、またサンキューソーマッチっていっちゃうんだ、私。
 
百万回の授業より、外国の恋人。
これが語学には一番。
そんなことわかってるんだけどなあ。
出てこい、恋人!!

感想
昔、森元首相がクリントン元大統領に挨拶した時の話。

How you
と言うところを間違えて森元首相は
Who are you?

クリントン元大統領は、名前を知っているのになぜ尋ねるのだろう?
これはきっとユーモアなのだと思って、
I am a Hirary's husband.
と答えました。

そうしたら森元首相は
Me too.
と返しました。

それに匹敵するくらいでした。
それで、トランプ大統領は長い間、安倍首相を見つめていたのでした。
それを計算してわざとそのように言われ、蜜月ムードを発信されたなら、恐ろしい人物ですが・・・。



 

「アフロ記者が記者として書いてきたこと。退職したからこそ書けたこと」稲垣えみ子著

2017-02-15 08:52:28 | 本の紹介
コラムを書き始める時に、朝日新聞が2つの大きな「誤報」が出た後だった。何を書けば良いのか、何を伝えるのが良いか、悩んだ末に辿りついたことは、「自分のことを書く」ことだった。
原発の後、電気を使わない生活を始めた。毎月3000円だったのが、1000円以下になり、冷蔵庫も手放した結果、電気代は月200円を切った。

最終的に残った家電は次の4つになった。
・電灯、・ラジオ、・パソコン、・携帯電話

「電気のない生活」を通して手に入れたもの
一連の行為(電気を使わない生活)を通じて、私の中には一つのイメージが像を結び始めました。
それは、病院の集中治療室のベッドに横たわる重病人のイメージです。その人は生命を維持するため、たくさんのチューブにつながれています。栄養を入れるチューブ。薬を入れるチューブ。どれ一つとして外すことはできません。なぜなら、もし外したらその人の命がたちまち危機に陥るからです。逆に言えば、チューブにつながれている限り、その人は命を長らえることができるのです。しかし一方で、その人はベッドから動くことができません。
 便利に慣れきった私たちは、たとえて言えばこの儒病人のような存在なのではないのでしょうか。様々な必需品に取り囲まれて、あれがなければ、これもなければとても生きていけないと皆が口を揃えて叫んでいます。
 そして私がやってきた「節電」とは、おそるおそる、このチューブを一つずつ外していく好意だったのではないか。
 そうして結局、ほとんどのチューブが取れてしまった。
 その結果、何が起きたか。
 そう、私はベッドから起き出して自由に歩き回ることができるようになったのです。
 そう。自由。私は節電という行為を通じて自由を手に入れたのです。
 そう思った時、私の目はついに、最も太いチューブに向けられたのだと思うのです。
 そう。「会社」というチューブに。

感想
朝日新聞時代に担当したコラム+今思うことをまとめられた本です。
自由と思っていても、それは多くのことの前提での下での自由なのかと思いました。
チューブにつながれた例えはとてもよくわかりました。
そのチューブが一つなくなっただけで、とても心が囚われます。
それは自由でないことになります。
仏教での棄てること。
全てを棄てるからこその自由があるように思いました。
物事に囚われないように少しでもしていきたいです。