幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

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JOCカレンダーに中国選手 修正版配布、井村監督へ謝罪 "ミスはする。その後の対応が大切”

2017-02-11 14:50:44 | 社会
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170211-00000071-san-spo産経新聞 2/11(土)
 日本オリンピック委員会(JOC)が制作・発行した「2017年カレンダー」で、昨年夏のリオデジャネイロ五輪シンクロナイズドスイミングでメダルを獲得した日本人選手と誤って、中国人選手の写真を使用していたことが10日、分かった。JOCは差し替え版を配ったものの、競技団体関係者からは竹田恒和会長ら幹部の責任を問う声が上がっている。

 JOCは昨年暮れ、リオ五輪で活躍した日本人選手の感動のシーンをあしらった縦103センチ、横72・8センチの大型ポスタータイプのカレンダーを制作し、約1千部を競技団体やスポンサーに配布した。ところが、関係者からの指摘で、誤用が発覚。ミスを確認したJOC事務局は年明け後、リオ五輪日本代表の井村雅代監督に直接謝罪した。

 JOCは日本人選手の写真に差し替えた修正版をあらためて配布したが、その際、事情を伏せて発送したため、「なぜまた届いたのか」と首をひねる人が続出した。中国人選手の写真を載せたカレンダーは一部しか回収できていないという。

 カレンダーの制作を担当したJOC事業部は「こちらの人的ミス。大事な仲間の日本水泳連盟に迷惑をかけて申し訳ない」と謝罪した。再送時の説明が不足していた点については「配慮が足りなかったかもしれない」としつつ、隠蔽(いんぺい)は否定した。ただ、写真の確認を怠った日本水連側の落ち度も指摘されている。

 井村監督は「水着や顔つき、ばらついた演技で、日本ではないことがパッと分かった。信じられない間違い。JOCの事業が年内で終わっていたので、年明けに再び連絡をしたらすぐに謝りにきたが、『JOCにとってはそんなもんなんだな』と思った」と話している。

感想
ミスは細心の注意をしていてもしてしまうことがあります。
問題は、ミスを発見した時の対応です。
対応ミスをしないことです。

ミスを明らかにすることを避けたいために、ミスを伝えずに再度印刷して配送されたようです。
そこには、隠そうという気持ちが働いたからでしょう。
世間ではそれは消極的な隠ぺいと言うのではないでしょうか?

ある会社で入室のICチップが入った社員カードを配りました。
1週間後にその社員カードを回収しました。
回収理由は説明されませんでした。
実は有効期限が*月*月になっていました。
本来は*月*日が正しかったのですが。
自分たちのミスを公にしたくなかったのでしょう。
しかし、それは対応ミスをしているということに気付いていなかったのだと思います。

阿川佐和子さん「サワコの朝 雨宮塔子さん」 "リセットしてフランスへ、棄てる!”

2017-02-11 08:28:08 | 生き方/考え方
ニュース23のキャスターを務める。星さん(ニュース23のキャスター)に雨宮さんの仕事ぶりを尋ねたところ「大丈夫ですよ」とのこと。
答えづらいことを上手に引き出すサワコさんなので(雨宮さん)。
フランス帰り。半年過ぎた。17年フランスで生活していた。
1970年生まれ。22歳「動物奇想天外」「厨房ですよ」のアシスタントとして活躍。
入社から6年後退社してフランス生活。去年ニューススター23のキャスターとして復帰。
45歳でもう一度仕事。働く女性の覚悟にサワコさんが迫る。

あっという間だった。昔の報道番組は怖かった。今は怖くない。何度泣かされたか(サワコさん)。サワコさんも37歳の時、キャスターをしていた。目つきが悪いと言われた。黒目は白めの真ん中に置きなさいと言われた(サワコさん)。
体育会スキー部にいた。3年生の時に怪我をした。それで東京の病院に戻って、その時に就職のセミナーのチラシを見たのがきっかけ。バラエティ番組で人気者。体を張ったアナウンサー時代。先輩に言われたことをやるだけ。仕事場で泣かなかった。泣いた顔は誰にも見せたくなかった。私はTBSでしょっちゅう泣いていた(サワコさん)。

1曲目。フランスのバーで聞いた。「Luv(sic)pt3」日本人の作った曲。
すごくかっこいいなと。車を運転している時は今でも聞いている。29歳の時に辞めた。もう限界かなと。入社から6年でTBS退社。レギュラー番組3本持っていた時、特番が重なって1日たくさん仕事があることもあった。点滴打った時もあった。帯状疱疹が出たりした。そこで全てリセットした。フランスはずっとあこがれていた。最初は最低3年いようと思った。西洋美術を学びたいと。大義名分がないと辞められないと思った。逃げ道を残したくなかった。初めて本気で自分で決めて責任を取ってみたかった。

3年の予定が17年になった。結婚したのもあるから。31歳でパティシエの人と結婚した。そして離婚した。子ども2人と暮らしていたら、ニュース23の話が来た。こればかりは自分で決められなかった。自分では無理だなと思った。離婚していたので。最初は断ろうと思っていた。子どもたちにはすぐに話せなかった。一方、漠然と不安を持っていた。家賃をどう払って行こうかなど。収入もなかったし。子どもたちはパリにいたいと言うとわかっていたから。娘が「この仕事は絶対諦めたらだめだよ」と言ってくれた。決心がついた一方、それに甘えて良いのだろうか。子どもはお母さん大好きなので、ママの好きなように言うだろうなと思っていた。子どもを残して日本に戻ることは大変なので。それには元夫の協力がなければできなかった。親権の半分は元夫が持っていた。元夫の奥様の協力がないとできない。批判的に言われた時期があったけど?それは当然だと思う。日本人の友だちからは、「母親の仕事が優先だよね。」と言われた。フランス人からは「仕事よ」と言われた。その時は辛かった(涙声)。息子に限っては、元夫にいろいろ頼んでいたようだった。娘がスタジオを見に来た。働く姿を見学に来た。お弁当を二人で1つを一緒に食べた。最初から見学した。社会学見学。番組終わるまでいた。臨場感は伝わった。アットホームだねと。
取材で外に出たい。スタジオにいるだけだと不安になっていく。

2曲目。ミスター・チュードレン「Everything(It’s you)」 パリの子どもたちに思いを馳せる時に聞く。ダンナが返って来ないと言って離婚したのに、今は子どもたちをパリに残している。
最初の6年間と今の違いは?基本は変わっていない。ずれがないこと。そこは妥協できないところは変っていない。

感想
全てをリセットする生き方。
今持っているものを棄てる勇気とこれからの不安。
なかなかできません。

どちらかと言うと、女性の方がそれをやられる方が多いように思います。
棄てるからこと、新たにつかむのがきっとあると思うことはできるのですが。
家族を養う責任を考えるとできないです。

60歳で定年65歳より、5年早く退職しました。
その後の宛はありませんでした。
思いは、自分の学んだことを他の人に伝えたいでした。
一度だけの人生、やってみたいと思いました。
60歳まで働いてきたので、何とか暮らしはできるだろうと。
これまで学んだ知識と経験をHPを作成しUpしたところ、それを見てお仕事をいただけるようになりました。
早期退職しなければ得られなかった経験をしています。
辞めた時、仕事をする居場所がありませんでした。
家内から、「家で仕事しないで欲しい」と言われたので。
家にいると昼食も作らないといけないので気持ちはわかります。
図書館にずっといることもできない。
そこでNHK放送大学院に入学して、学習室でせっせとHP作成を独学でしました。
また、マック(電源サービスあり)などでノマド族としてもやりました。
棄てたからこそ、得るものがあることを日々実感しています。