幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

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阿川佐和子さん「サワコの朝 由美かおるさん」 "出逢いを生かす”

2017-08-12 08:08:58 | 生き方/考え方
女優。熱中しているものがある。アコーディオン。最近は英会話も勉強中。
プロポーションは変っていない。50年前の服が今も着られる。
小額6年生の時に、西野バレー団に。16歳の時、女優デビュー。きっかけは石原裕次郎さんからの直接オファー。25年間出演した水戸黄門。入浴シーンは名物に。
これまで見せたことのない意外な素顔をサワコさんに。

水戸黄門卒業して7年。今までできなかったことをやっている。その時は5日/週拘束されていた。
1曲目、「11PM」で踊った曲。DORIS DAYの「Teachr’s Pet」
15歳でデビュー。京都生まれで宝塚に住んでいた。友だちに西野バレー団に誘われた。
先輩に金井克子さんがいた。3歳からバレーをやっていた。
西野先生から「金井さんのように、歌って踊らないか」と。
連日のハードなレッスンでピンチヒッターを金井さんにしてもらったことがある。先輩はありがたかった。

父親は京都の警察官だった。母と出会って、八百屋さんになった。父はきれいな人が買いに来るとただであげた。父親から11PMに出ることに「そんなに出るのは許さない」と。ハンガーストライクと、出るまで家に帰らないと言って、友達のところに泊まった。父から「途中であきらめてはいけない」との約束をした。父親は頑固だった、自分も頑固だった。

踊って歌う。そしてお芝居できるのが当たり前だと、西野先生から言われた。大変なことは「当たり前のこと」なんだと。

「由美かおる」は名前と名前。当時GMPがドイツを抜いて2位になった。
新幹線が通っていたので、由美ひかりとか新幹線と同じ名前になりそうだった。かおるがどこからきたかはわからない。由美は本名の由美子より。

映画で多くの人と共演した。仕事でイタリアにインタビューアーで行った。その時、イタリアの会社の社長からひとめぼれされ、イタリア語で歌を録音した。「イタリアに永住しなさい。大々的に売り出す」と言われた。日本の仕事が忙しく断ったが、それを選択していたら、違う人生があったかもしれない。

竹を割ったような性格。なのでお風呂のシーン、いいじゃないと引き受けた。
入浴シーンは意外なきっかけ。最初は黄門のいのちを狙う忍者で一緒にお風呂に入るシーンだった。当初はレギュラーではなかった。
ビニールシートでお風呂のセットを作っていたが、どうしても水が減るので、水着が見えないように苦労した。

演技は誰からも教わっていない。映画などを見て学んだ。
プロポーションは西野法呼吸法。スタジオでサワコさんと一緒に。一日20分くらいやる。これを35年ほどやっている。食べたいものをいただくことにしている。

欲しいと思ったものは素直に。出会ったものは勉強になっている。
パリでアコーディオンに出逢って、やりたいと思って習っている。コンサートで一度演奏した。ボロボロだった。ドキドキハラハラもよきもの。1年半ほど前から。

2曲目は、大好きなアコーディオンの曲。牧田ユキ「川の妖精たち」。
牧田ユキさんがアコーディオンの先生。
今気持ちがアコーディオンの方に。CDも出す予定。
同時にではなく、一つひとつ区切ってやらないとできない。

感想
出逢いを大切にされ、それを一生懸命されて来られたんだと思いました。
今、66歳ですが、アコーディオンを新しく学ばれています。
いずれ、アコーディオン奏者「由美かおる」ですが近い将来あるでしょう。
新しいことを学ばれているのですが、とても若々しい方だと思いました。
プロポーションの維持も日々されていました。