幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

阿川佐和子さん「サワコの朝 田中泯さん」 "場踊り”

2017-08-26 08:34:18 | 生き方/考え方
世界的なダンサー。注目の俳優。「龍馬伝」。30年前に山梨に移住。
昔昔静かな人。言葉の持ち合わせはない。
57歳の時、俳優で日本アカデミー賞最優秀助演男優賞・新人俳優賞を受賞した。
大河ドラマや朝ドラに出演。
72歳の今も現役のダンサー。一般的な概念からかけ離れたダンス。田んぼの中で踊ったこともあります。たまたま通った人が、「ご苦労様」と言ってくれたら、「やった!」と思う。

たそがれ清兵衛に出演したのが俳優を初めて引き受けた。ダンスと演劇の境界はどこだろうと興味を持っていた。山田洋二監督から誘われた。57歳で俳優デビュー。自分の踊りを続けて行くのに役立った。NHKの「まれ」で塩づくり職人を演じた。皆塩づくりをやるにはモデルの人がいた。その人を戦地に行かせないで欲しいと陳情した。その後、キムタクのお父さん役をやった。役を引き受けるのは、台本を読んで、その人の気持ちがわかるときだけ引き受けている。不器用なので。

1曲目、何が一番と振られるのは苦手。東海林太郎「名月赤城山」。父が警察官だった。よく歌っていた。父の方が上手かった。声が通っていた。何も語らない父だった。家には普段いなかった。台風などで人が亡くなった時、父に連れられて亡くなった人見たことがあった。生と死はすぐ近くにあると感じた。住民が皆で堤防に来て、土嚢を積むとかした。自分はまだ小さくてなにもできなくて、自転車でこいで電球を点けるとか手伝った。

真骨頂と言われている「場踊り」を始めた。その場で感じた空気や思いを演じる。その場で感じた空気を演じる。その場の振りは即興。絶えず動き回っている。踊るときはもっと熱中している。生きるというのを感じている。

中学校を卒業するまで背が低い方だった。存在感が薄かった。仲間と遊ばない子だった。一人で山にいたり。盆踊りの大人の中に逃げて隠れていた。盆踊りに夢中になった。踊りは芸術だと思った。大学生の時にバレエやダンスを習った。
踊りはどこから出てきたのだろうと興味が出てきた。文字文化を持たない人の踊りはすごい。言葉を持っていると、言葉が先にあって振りになる。言葉以前の思い、感情を演じれば良いと言われた。奥深くとはどこだろうと思った。大事なコミュニケーションの一つとして動きがあった。それは踊りと言ってもよいぐらい。人は感情で体を動かす。

裸でずっと踊っていた時があった。言葉を撥ねつけようと、身体に本当に感じることをもっとキャッチしたい。「裸」で踊り始めた理由だった。土方巽さんに踊りを習った。感情は混ざっているもので、一つの言葉で限定しない方が好き。踊りたいから踊る。
そこで踊ると周りの人が集まって見てくれる。「ご苦労様です」と言って貰えると「やった」と思う。

2曲目、ずっと憧れている井上陽水の曲。「決められたリズム」
井上陽水さんの曲で踊りたい。一度申し込んだが断られた。ぜひお願いしたい。

感想
この方を知ったのは初めてでした。
自分の信念を周りに影響されずに貫き通されているのが伝わってきました。
世界各国で「場踊り」をされて来られたそうです。
周りの目よりも、自分がやりたいことをやることの大切さを教えてもらいました。