・「この病気になってよかったとはけっして言えない。しかし、この病気のおかげで、それまで知ることのできなかった何かを得ることができるのだ。それでいいじゃないか。こんな心境に、僕は生きる望みを託してみることにした」
・医者から「人間は生まれながらにして不安を抱えている生き物です。生きていて不安がないのは坊さんくらいです。その意味で生きているかぎり不安は続く。不安を取り除くには死ぬしかないんですよ」。死ぬ思いをしてきた僕にとって、「死ななきゃ治らない」というのは痛烈な言葉だった。地獄の苦しみはこの先、死ぬまで続くのか。
病気がよくなってきたいま考えてみると、その医師が言いたかったのは。「生きているかぎり、どんな人も不安を抱えて生きているんだよ」ということだったのかもしれない。
・パニック障害。やっと、僕の病名がわかったのだ。耳慣れない病名を聞いて不安にかられるというよりは、安堵感の方が大きかった。今思い返せば、自分を苦しめている得体の知れない不安や恐怖がどこから来ているのか、その原因がわかない状況がいちばん苦しい時期だったかもしれない。
・医者から「円さん、倒れそうで倒れない。実際、倒れた人はいないんだよ。この病気で死ぬ人もいない。それがパニック障害です」
・この病気、誰がなっても不思議ではない病気だということだ。精神の強弱なんてまったく関係ない。「お前は精神が弱い」なんて口が裂けても言ってはいけないのである。心無い言葉に傷つき、症状を悪化させるだけだ。
・ヒポコンドリー性基調 http://mlog.xyz/hypochondria/
「ヒポコンドリー性基調」とは「自分の不快な気分、病気、死に関して、気にやみ取り越し苦労をする心情」のことです。
それで森田療法ではこの言葉に独自の意味を付して「ヒポコンドリー性基調」と名付けました。この「ヒポコンドリー性基調」は「生の欲望」とともに、神経症の方の大きな特徴なんです。
ヒポコンドリー性基調は「死への恐怖」
「生の欲望」を一言で言うなら「生きたい!」という言葉になりますが、「ヒポコンドリー性基調」を一言で言うなら「死にたくない!」という言葉になるんです。
つまり「生の欲望」はその言葉通り、「生きることへの欲望」ですが、逆に、「ヒポコンドリー性基調」の根本は「死への恐怖」なんです。
「死への恐怖」が根本にあるから、自分の体に異常が起こるのではないか、自分の今の状況が不利になるのではないか、何か災いが起きるのではないか、と心配してしまうのです。
・外へ出たくても出られない。その気持ちはよくわかる。そういう人にあえて外へ出る勇気を持てとは僕は言わない。しかし、せめて玄関へ出て新聞を取り込むところくらいから始めてみてはどうだろうか。僕の場合、本当に助けられたと思うのは仕事をやらなければならないという意志だと思うのだ。薬を飲んでも、何かに向かって1歩でも半歩でもいいから動き出すといアクションを起こさなければ、よくならない。それが僕がたどり着いた一つの結論めいたことだった。
・「あなたがパニック障害になるのはあたりまえなんだよ。なぜってね、ものを作ったりする人はよくこの病気にかかる。あなたは才能があるからパニック障害になった。それは仕方のないことなんだ。その代わりにいいものが作れるよ。悲観的にならずもう一度、よく自分の内面を見つめてみなさい」と言われた。一見すると、人よりも劣っているところばかりが目立つかもしれないが、必ず一つは希望が見いだせるはず。まず、そこからスタートするしかないのだ。
・「徹子の部屋」に出てパニック障害を告白したあと、視聴者から多数の手紙をいただいた。
・精神科の医師・黒川順夫先生(森田療法実践者)との対談で、「いやいやながらでも、必要なことをすることが大切だ」と言われ感銘した。ビクビク、ハラハラしてでも必要なことをやっているうちに、気持ちが少しずつ変わってくるとおっしゃっていた。「その通り」だと思った。「いやや、いやや」と言いながらも、薬を服用して仕事の現場に出ているうちに僕自身、おれくらい自信がついたことか。
・「行雲流水」 さまざまな不安をそのまま受け止め、雲が動き、水が流れるようにさらさらと生きていければ、こんなに楽なことはない。不安は不安のままでいいのだ。川の流れに身をまかせるように、不安も喜びも抱えながら生きていけばいいのではないか。それがこの病気を経験した、僕のいまの考えだ。
感想;
かなり苦しく、辛かったようです。
医者からお酒を飲まないように言われた時(薬を飲みだしたので)、置いていたお酒(数万円、主十万も含めて)すべて叩き割ったそうです。
パニック障害になる前も、激しいところもあったようで、奥さんが嫁入り道具で持ってきたタンスをのこぎりで挽いたこともあったそうです。
見た目ではわからないですが、とても繊細な方で、パニック障害がひどい時は、パチンコ80連勝だったそうです。
出る台が分かったそうです。
「夢想花」がヒットして印税がたくさん入ると、パチンコとお酒にほとんどお金を使ってしまったそうです。
全て仕事を休むより、ちょっとできる範囲で仕事を少しでもしていたことが、復活できたとのことでした。
パニック障害になってから、それまでたまにしか家に帰らなかったのですが、今は奥さんの手を握っていると落ち着くそうです。
・医者から「人間は生まれながらにして不安を抱えている生き物です。生きていて不安がないのは坊さんくらいです。その意味で生きているかぎり不安は続く。不安を取り除くには死ぬしかないんですよ」。死ぬ思いをしてきた僕にとって、「死ななきゃ治らない」というのは痛烈な言葉だった。地獄の苦しみはこの先、死ぬまで続くのか。
病気がよくなってきたいま考えてみると、その医師が言いたかったのは。「生きているかぎり、どんな人も不安を抱えて生きているんだよ」ということだったのかもしれない。
・パニック障害。やっと、僕の病名がわかったのだ。耳慣れない病名を聞いて不安にかられるというよりは、安堵感の方が大きかった。今思い返せば、自分を苦しめている得体の知れない不安や恐怖がどこから来ているのか、その原因がわかない状況がいちばん苦しい時期だったかもしれない。
・医者から「円さん、倒れそうで倒れない。実際、倒れた人はいないんだよ。この病気で死ぬ人もいない。それがパニック障害です」
・この病気、誰がなっても不思議ではない病気だということだ。精神の強弱なんてまったく関係ない。「お前は精神が弱い」なんて口が裂けても言ってはいけないのである。心無い言葉に傷つき、症状を悪化させるだけだ。
・ヒポコンドリー性基調 http://mlog.xyz/hypochondria/
「ヒポコンドリー性基調」とは「自分の不快な気分、病気、死に関して、気にやみ取り越し苦労をする心情」のことです。
それで森田療法ではこの言葉に独自の意味を付して「ヒポコンドリー性基調」と名付けました。この「ヒポコンドリー性基調」は「生の欲望」とともに、神経症の方の大きな特徴なんです。
ヒポコンドリー性基調は「死への恐怖」
「生の欲望」を一言で言うなら「生きたい!」という言葉になりますが、「ヒポコンドリー性基調」を一言で言うなら「死にたくない!」という言葉になるんです。
つまり「生の欲望」はその言葉通り、「生きることへの欲望」ですが、逆に、「ヒポコンドリー性基調」の根本は「死への恐怖」なんです。
「死への恐怖」が根本にあるから、自分の体に異常が起こるのではないか、自分の今の状況が不利になるのではないか、何か災いが起きるのではないか、と心配してしまうのです。
・外へ出たくても出られない。その気持ちはよくわかる。そういう人にあえて外へ出る勇気を持てとは僕は言わない。しかし、せめて玄関へ出て新聞を取り込むところくらいから始めてみてはどうだろうか。僕の場合、本当に助けられたと思うのは仕事をやらなければならないという意志だと思うのだ。薬を飲んでも、何かに向かって1歩でも半歩でもいいから動き出すといアクションを起こさなければ、よくならない。それが僕がたどり着いた一つの結論めいたことだった。
・「あなたがパニック障害になるのはあたりまえなんだよ。なぜってね、ものを作ったりする人はよくこの病気にかかる。あなたは才能があるからパニック障害になった。それは仕方のないことなんだ。その代わりにいいものが作れるよ。悲観的にならずもう一度、よく自分の内面を見つめてみなさい」と言われた。一見すると、人よりも劣っているところばかりが目立つかもしれないが、必ず一つは希望が見いだせるはず。まず、そこからスタートするしかないのだ。
・「徹子の部屋」に出てパニック障害を告白したあと、視聴者から多数の手紙をいただいた。
・精神科の医師・黒川順夫先生(森田療法実践者)との対談で、「いやいやながらでも、必要なことをすることが大切だ」と言われ感銘した。ビクビク、ハラハラしてでも必要なことをやっているうちに、気持ちが少しずつ変わってくるとおっしゃっていた。「その通り」だと思った。「いやや、いやや」と言いながらも、薬を服用して仕事の現場に出ているうちに僕自身、おれくらい自信がついたことか。
・「行雲流水」 さまざまな不安をそのまま受け止め、雲が動き、水が流れるようにさらさらと生きていければ、こんなに楽なことはない。不安は不安のままでいいのだ。川の流れに身をまかせるように、不安も喜びも抱えながら生きていけばいいのではないか。それがこの病気を経験した、僕のいまの考えだ。
感想;
かなり苦しく、辛かったようです。
医者からお酒を飲まないように言われた時(薬を飲みだしたので)、置いていたお酒(数万円、主十万も含めて)すべて叩き割ったそうです。
パニック障害になる前も、激しいところもあったようで、奥さんが嫁入り道具で持ってきたタンスをのこぎりで挽いたこともあったそうです。
見た目ではわからないですが、とても繊細な方で、パニック障害がひどい時は、パチンコ80連勝だったそうです。
出る台が分かったそうです。
「夢想花」がヒットして印税がたくさん入ると、パチンコとお酒にほとんどお金を使ってしまったそうです。
全て仕事を休むより、ちょっとできる範囲で仕事を少しでもしていたことが、復活できたとのことでした。
パニック障害になってから、それまでたまにしか家に帰らなかったのですが、今は奥さんの手を握っていると落ち着くそうです。