探偵シリーズの本です。
楽しめながら読めました。
この本は検察の偽造で無実なのに逮捕された村木厚子さんが、留置所で読まれた150冊の内の1冊です。
村木さんは、本を読んでいる時は、今の苛酷な状況を忘れることができる時間だったと述べられていました。
忘れる時間は必要なのでしょう。
そうしないと脳は勝手に悪いことばかり考えがちですから。
その中に、人生の選択についての記述がありました。
ロゴセラピーで、「こらかの人生を選択する自由がある」「とヴィクトール・フランクル(「夜と霧」著者)は考えました。
本より引用;
(兄と父を殺された少女ジルに、犯人を捜すよう頼まれた女性探偵ウォーショースキーがジルに言ったことば)
「祖先の罪の報いなんて私は信じないし、二十年ものあいだ復讐を抱き続ける人びとなんてのも信じない」
「そりゃあ、そういうことだってもちろんあるわよ。ただそれは、自分で望んで招くことなの。あなたのお母さんがそうだわ。不幸な人。違う?」
「お母さんが不幸なのはもしかしたら、三十年も前の事柄が原因かもしれない。
それはお母さんが選んだことなのよ。
あなたも同じ選択をしなきゃならないわ。
例えば、お父さんが何かの犯罪に手を染めてて、そのことがわかったとしたら?
辛いでしょうけど、それが恥ずべきスキャンダルとなってあなたの人生をみじめにするのは、あなたがそう望んだ場合だけなのよ。
あなたが何をしてても、あるいはあなたになんの罪もなくても、生きていれば多くのことが降りかかってくるわ。
お父さんとお兄さんが殺されたのも、その一例だけど、それらの出来事をどういう形で人生の一部に加えるかは、あなたが自分で決めること。
世をすねるもよし、といっても、あなたはそういう性格じゃなさそうだけど。
または、それをこやしにして成長するもよし」
感想;
生きているとどんなことに遭遇するかわかりません。
良いこともありますが、悪いこともたくさんあります。
もう人生終わりだと思って投げやりになるとその時点で終わりになるのかもしれません。
その辛い体験を一日一日過ごして超えると、その先には思いもかけないことが待っているかもしれません。
それを生かすか殺すかは、まさに選択であり、その選択の自由があるのだと、フランクルは言っています。
楽しめながら読めました。
この本は検察の偽造で無実なのに逮捕された村木厚子さんが、留置所で読まれた150冊の内の1冊です。
村木さんは、本を読んでいる時は、今の苛酷な状況を忘れることができる時間だったと述べられていました。
忘れる時間は必要なのでしょう。
そうしないと脳は勝手に悪いことばかり考えがちですから。
その中に、人生の選択についての記述がありました。
ロゴセラピーで、「こらかの人生を選択する自由がある」「とヴィクトール・フランクル(「夜と霧」著者)は考えました。
本より引用;
(兄と父を殺された少女ジルに、犯人を捜すよう頼まれた女性探偵ウォーショースキーがジルに言ったことば)
「祖先の罪の報いなんて私は信じないし、二十年ものあいだ復讐を抱き続ける人びとなんてのも信じない」
「そりゃあ、そういうことだってもちろんあるわよ。ただそれは、自分で望んで招くことなの。あなたのお母さんがそうだわ。不幸な人。違う?」
「お母さんが不幸なのはもしかしたら、三十年も前の事柄が原因かもしれない。
それはお母さんが選んだことなのよ。
あなたも同じ選択をしなきゃならないわ。
例えば、お父さんが何かの犯罪に手を染めてて、そのことがわかったとしたら?
辛いでしょうけど、それが恥ずべきスキャンダルとなってあなたの人生をみじめにするのは、あなたがそう望んだ場合だけなのよ。
あなたが何をしてても、あるいはあなたになんの罪もなくても、生きていれば多くのことが降りかかってくるわ。
お父さんとお兄さんが殺されたのも、その一例だけど、それらの出来事をどういう形で人生の一部に加えるかは、あなたが自分で決めること。
世をすねるもよし、といっても、あなたはそういう性格じゃなさそうだけど。
または、それをこやしにして成長するもよし」
感想;
生きているとどんなことに遭遇するかわかりません。
良いこともありますが、悪いこともたくさんあります。
もう人生終わりだと思って投げやりになるとその時点で終わりになるのかもしれません。
その辛い体験を一日一日過ごして超えると、その先には思いもかけないことが待っているかもしれません。
それを生かすか殺すかは、まさに選択であり、その選択の自由があるのだと、フランクルは言っています。