幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

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「物語ポーランドの歴史 東欧の『大国』の苦難と再生」渡辺克義著 ”知らない東欧の大国”

2017-10-22 02:00:48 | 本の紹介
10世紀に産声をあげたポーランド王国は、14~16世紀に隆盛を極めるが、王朝崩壊後衰退にむかう。18世紀、ロシア・プロイセン・オーストリアによる分割で国家は消滅。第一次世界大戦後に束の間の独立を勝ち取るも、第二次大戦中にはドイツとソ連に再び国土を蹂躙された。冷戦下の社会主義時代を経て1989年に民主化を達成。

抵抗と挫折の国
1863年1月「臨時国民政府」と称し、蜂起宣言を発表した。
この時代にワルシャワに生まれ育った人物に、後年ノーベル賞を二度受賞することになるマリア・スクウォドフスカ(フランス人科学者ピエール・キュリーと結婚し、日本ではキュリー夫人の名で知られる)がいる。

ポーランド人の姓
-ski/-ckiで終わる姓は形容詞の語尾(~の)で全体の35.6%を占める。
-akで終わる姓は「***の息子」を意味し、全体の11.6%を占める。
-ik/-ykで終わる姓は、先祖の職業名に由来している場合が多く、全体の9.3%を占める。

国際共通補助語エスペラント語
ユダヤ系ポーランド人眼科医のルドヴィク・ザメンホフ(1859-1917)が創案し、1887年に発表した計画言語(人工語)である。

コルチャック先生
医師であり作家でもあり教育者でもあったヤヌシュ・コルチャックが運営する孤児院の孤児と一緒に殺害された。自分は逃げられたが孤児と行動を共にした。

カティンの森事件
1943年4月23日、ベルリン放送は、スモレンスク近郊のカティンで約3,000人のポーランド人将校の死体が葬られているのを発見したと報じた。当初はドイツが行ったと思われたが、実際はソ連の犯行であった。

カトリック系作家のゾフィア・コッサク=シュチェツカは人道的な立場からユダヤ人に救いの手を差し伸べるべきと主張した。
殺人を目の前にして黙している者は共犯者であり、非難しない者はこれを容認しているのある

ポーランド出身のローマ教皇
1978年10月16日、クラクフ大司教のカロル・ヴォイティワがローマ教皇に選ばれた。

連帯内閣の誕生
流血の惨事を経ることなくコミュニスト政府から政権を奪取した。

ポーランドの偉人
コペルニクス、ショパン、キュリー夫人

ワルシャワ(共和国の首府) 人口174万人
クラクフ(ポーランド第二の都市) 人口76万人 

感想
ポーランドのことを知らないことを知りました。
“反抗と挫折”の国との表現がなるほどと思いました。
西にドイツ、東にロシアの大国に挟まれて、国の消滅も経験していました。
何度も蜂起しても、失敗した歴史でした。

小学校の時、キューリー夫人の伝記を読みましたが、政治では難しい状況だったのを今知りました。