幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「日本人へリーダー篇」塩野七生著 ”視点が新鮮、目からウロコ”

2018-02-12 07:55:00 | 本の紹介
・ユリウス・カエサル「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと思う現実しか見ていない」

・ローマの占領政策
 ・インフラ整備(道路と橋と下水道)
 ・自治を認めた=責任を持たせた(死刑以外の司法上の自決権まで認めた)
 ・地方自治体の有力者たちには、ローマ市民権を与えた(指導者格の人物には元老院の議席まで提供している)
 ・有力者の子弟の中でも十代半ばから二十代半ばの年頃の若者は留学生として(ただし自由に帰国はできない)と良家ホームステイ先でその家の子たちと机を並べて、明日の指導者に必要なことを学んだ。やる気のある若年層に対しては、ローマ軍隊への扉を開いていた。

・帰国のたびに私を絶望させるのは、日本のマスメディアにおける海外情報の貧しさである。とくに、人々に情報を伝えるうえでは最も力のある、テレビのニュースにこれが目立つ。

・「戦死者」と「犠牲者」
 イラク南部のナッシリアのイタリア軍駐屯地に対する自爆テロの死者は19人になった。当事者であるイタリア人が「戦死者」と呼んでいるのに、それがなぜ日本のマスコミを通ると「犠牲者」になってしまうのか。
「戦死者」(カドゥーティ)と呼んでいた。「犠牲者」(サクリフィカーティ)とは呼んでいなかった。

・日本の新聞に、自衛隊員は政治の駒か、題したものがあった。私なら、そう、軍隊は国際政治の駒なのですと答える。駒になりきることこそが、軍隊の健全さを保つうえでの正道なのです。

・勝者には大義があり敗者には大義がなかったからではなく、勝敗を分けたのはあくまで軍事力である。そして、敗者さえも納得する大義に変えることができるかは、主観的な大義を客観的な大義に変えることができるかである。

・(防衛大の卒業式の来賓あいさつ)世間ではよく、シビリアン・コントロールという言葉が使われますが、それは一級の武将がなかなかいないから、われわれシビリアンは危っかしくて、コントロールしなくてはと思わざるをえないからです。コントロールなど必要としない、一級の武人になってください。そうすれば、アレクサンダーもハンニバルもスキピオもカエサルも考えなくてすんだ最高の難問、戦争をしないでどうやって勝者でありつづけるか、という難問の解決への道も、自ら開けてくるのではないかと来します。

・いかなる分野でも共通して必要とされる重要な能力が、一つある。それは創造力だ。(マキアヴェッツリの言葉)

・ブッシュの犯した誤りの中で振り返ってみる価値があるのは、「テロは戦争であると規定した」とこである。戦争ではなく、犯罪とすべきであった。なぜなら、戦争だと規定すると、敵とされた側、この場合はイスラム教徒たち、を団結させてしまうからである。それがもしも、九月十一日のあの凶事を、凶悪きわまりないことは確かだがあくまでも犯罪である、としていたらどうであったろう。こうなれば「敵」は、テロを計画し実行した者のみにしぼられる。彼らはイスラム教徒でもそれ以外のイスラム教徒は無関係になる。
敵に勝ちたければ、それも効率良く勝ちたければ、分離し孤立したところをたたく、しかないのだ。「分離して支配する」とは古代ローマ人の政略だった。

・アマチュアがその道のプロさえも超えるのは、プロならば考えもしなかったことをやるときなのだ。それには、徹底した現状直視とそれまでの方式、つまり常識、にとらわれない自由な発想しかないのである。

・カッサンドラになる覚悟
 アポロンはカッサンドラに将来を予想する能力を与えられたが、誰もその言葉を聞かないとした。
 「カッサンドラ」になる覚悟でもって臨むのが本筋ではないかと思っている。

・「武器をもたない預言者は、いかに正しいことを言おうが聴き容れてもらえないのが宿命だ」(マキアヴェッリ)。カサンドラになりたくなかったら、権力を持つべきである。

・ヨハネス・パウエル二世死去の葬儀に各国が重量級の代表を参列させたが、日本は川口補佐官を送った。外務省は前例にならった、官邸で決定したというが、外務省が前例に囚われずに各国の情報を集めて官邸に報告しなければならない。結果的に官邸と外務省は状況判断に疎かったのである。

・ローマ人は「もてる能力の徹底した活用」をした。体力ではケルト人やゲルマンの民族に劣り、技術力ではエトルリア民族に劣る。自分たちの力のみでなく、ライヴァルたちのもつ能力さえも活用しないかぎり現実化できない、とい一事を頭に置きつづけ、しかも実行したからであった。

・(イギリス作家のケン・フォーレットがなぜ労働党を支援sるかという質問に、失業問題をより重要視しているのが労働党だからと答えた後で)「人は誰でも、自分自身への誇りを、自分に課された仕事を果たしていくことで確実にしていく。だから、職を奪うということは、その人から、自尊心を育む可能性さえも奪うことになるのです。」
眼からウロコとはこういうことかと、そのとき私は痛感したものだ。

・人間社会にとって何よりも重要な「バクス」(平和)さえも、社会の健全化なしには達成できなかったことを、私はローマ人から教えられたのであった。

・主導権欲しさに悪あがきしても効果なしとは、安保理常任理事国入りの一件でわかった。援助外交も効果なしということも、三十年にわたる経験でわかった。

・哲学科を出たにしては哲学的なことはたった一つしか学ばなかった。たった一つとは「何事も頭から信じないで疑うという」こと。

感想
いわゆるリーダー論の本と違って、リーダーとしての考え方や判断基準が新鮮でした。
また、歴史から学ぶことによって、より実践的だと思いました。

確かに、日本では海外のニュースはなく、貴乃花親方の話、不倫の話が大きく占めていました。
視聴率が稼げるからでしょうか?
そうだとすると私たちの問題かもしれません。