幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

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阿川佐和子さん「サワコの朝 デヴィ夫人さん」 ”チャレンジすることが若さを保つ秘訣”

2018-02-17 08:16:08 | 生き方/考え方
社交ダンス、スキューバーダイビングに挑戦。
若さを保つ秘訣は一日に10回は感動する。
国内でファーストレディになった唯一の女性。
生命保険会社に勤め、かつアルバイトいろいろなところで働く。スカルノ大統領と出会う。

1曲目 滝廉太郎「荒城の月」。子ども心に聴いた曲は忘れられない。
大和言葉だけの素晴らしい。
西麻布で生まれて、戦争が激しくなって疎開した。今も消えぬ戦火の記憶がある。野を超えて竹やぶに逃げ込んだ。母は弟を背負っていて私は4歳で、いつも逃げ込むのが遅かった。周りの人から「お前たちのために敵に見つかる」と母に手をかけようとしていて、「止めて!」と叫んだら、一人去り二人去って行った。

父は大工だった。貧乏な人の家を建ててあげていたので、貧乏だった。近所の播き割りとか縫物するとかして手助けした。母の内職でカーネーションが来たりして季節を感じていた。

中学卒業する時に、進学か就職するか決めないといけない。母がお金を借りていた。千代田生命を受けて合格した。小さい時から英語ができていた。家の裏に進駐軍がいて英語で話していた。中学校の先生より英語はできた。そろばんも3級だった。人事秘書課に配属された。お昼休みは喫茶店。土日はコーヒー店で。夜は定時性高校に通っていた。

友だちと映画の帰り、帝国ホテルのクロニエのレストランにお茶で寄ったら、大統領が通られた。そしたら、一緒にお茶会に来ませんかと誘われた。当時、インドネシアについては何も知らなかった。地図見ても真っ白で、当時は蘭領インドネシアとしか知らなかった。二日後にまた誘われた。

それから文通が始まった。デアー なおちゃんと来た。髪の毛を解いていたら、あなたの髪の毛よりも私の愛は長い。とかロマンチック。
その時、アメリカ人などに求愛されていて、2人はお金持ちだった。
当時、日本の女性がパスポート作るのも珍しい時代。2週間インドネシアにご招待受けた。大統領の偉さに触れた。ドライブしていたら、子どもたちがいて、その子どもに算数を教えた。家が貧しくて、塩水を飲んで過ごした日もあったと聞いたりして、人間らしさを感じた。バリ島の別宅で二人だけになった。「あなたは力の泉になっている」と言われた。しばらく日本籍のままでいた。しばらくしてから日本の国籍を捨てた。すごいバッシングをマスコミから受けた。打ちのめされた。日本には二度と戻ってくるまいと思った。恨みは今は何とも思っていない。当時は編集室に行って火を付けたいと思った。
結婚して3年後にクーデターが起きて、身の危険を感じた。夜はズボンを履いて寝ていた。

2000年以降に美川憲一さんの縁で日本に来るようになった。ある時、新聞を見たら「タレント デヴィ夫人」となっていた。ショックで、でも、タレントになってやろうと思った。
皆さんに勇気づけられたら良いなと思っている。イルカに乗った。3日で乗ることができた。体当たりロケで大人気。あれだけは孫に自慢しました。ビデオを送った。大統領夫人は50年前。番組の為と言うより、自分への挑戦。挑戦することを失くすことが若さを失くすこと。イルカにまた乗りたい。南極にも行きたいと思ったが、70歳過ぎるとダメと言われた。

2曲目は奮い立たせてくれる。「ボレロ」。逆境に立たされれば立たされるほど勇気が出てくる。
闘いたくなるような曲(サワコ)。人生は闘いだと思う。闘って生きていかなければならない。勇気を与えて貰えました(サワコ)。

感想
スカルノ大統領を惹きつけたのは、美貌だけでなく、英語力や、生き方/考え方だったと思いました。
常に人生にチャレンジし続けて来られた方のようでした。
そして今も新しいことにチャレンジし続けておられます。