幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「人生なんてくそくらえ」丸山健二著 ”考えることに意味がある”

2018-02-20 10:05:38 | 本の紹介
・親がいたから自分が在るのだという、あまりに情緒的で、国家権力が大喜びするような道徳的な尺度からはひとまず離れよう。そうした考え方は、社会や伝統や国家や宗教や学校などによってもたらされた。個人の自由という最大の尊厳を著しく傷つける、悪辣で、えげつない洗脳以外の何ものでもないのだから。支配者に都合のいい形で集団をまとめあげ、それを維持するための方便としての尺度にすぎない、どこまでも他律的な価値観に、いい若い者がいつまでもしがみついているものではない。親が在っての自分という発想は、国家が在っての国民というとんでもない答えに直結する、最大の悪なのだ。そして、個人の自由を殺す猛毒なのだ。

・あくまで自分で決断し、自分で道を決め、自分の意志で家を出て行く。それこそが子としての義務であり、ほかには何も要らない。

・実家を離脱する行為は脱皮と酷似しており、ある種の苦痛が伴う。

・国家が国民のものであったためしなど古今東西ない。もしもかれらが本気で国家のため、国民のためを思い、本気でそれを願っているのなら、あんないい加減な日常は送らないはずだ。死に物狂いで奮闘しても追いつかないほどの激務にみるみるやせ細ってしまうはずだ。

・国民の人間としての質の低さが国家を正義や理想からどんどん引き離してゆく最大の原因なのだ。

・かれらは国民が暴動を起こさない程度のぎりぎりの範囲内で国民に奉仕し、あるいは、奉仕するふりをしてみせるが、けっしてそれ以上ではない。さもそれらしい言葉を連発しても、本音のところでは私利私欲の上にどっかりとあぐらをかいている。口癖になっている「国益」などという言い種は大嘘であり、偽善の最たるものであり、ペテン側の常套句以外の何ものでもない。

・権力や権威に一もなく二もなくひれ伏してしまうことがどれほどの悲劇を呼び込むことになるのかについてまったく同様だ。幻想にすがりついたまま、ぼうっとして生きてゆかれるほど甘い世の中ではない。易きに流れることで束の間の安息を得るために自由を自ら放棄した者には、立つ瀬がない生涯しかあり得ない。だから、自身のなかに強者を求める以外に生き延びる道はないのだ。その認識とその自覚をしっかりと持つことがこの荒ぶる世を生き抜く上での基本中の基本なのだ。

・国家の統治者たちの本音としては、国家悪の正体をたちまち見抜いてしまうような、あまりにも賢い国民であってほしくないのだ。

・テレビも一枚噛んでいる。国民をいつまでも愚かなままにさせておくために、娯楽番組と称するバカ番組をずらりと並べ、思考力を奪い去り、物事を深く考えない癖をつけさせ、その場が楽しければそれえでいい、誤魔化しであろうが何であろうがかまわないという気分にさせ、国家の巨悪から目を逸らさせる。

・弱い人間が強く生きようとするときに頼れるのは思考力の発揮しかない。理屈こそが最強の武器なのだ。

・主としての自力を頼りにこの世を生き抜くことにこそ生の本質と鍵が隠されている。そうした自己信頼の生き方を選ばない者がどうあがいてみたところで歓喜につらぬかれた日々にめぐり合うことはできない。

・寄付やお布施といった名目で信者から利益を吸い上げる仕組みになっているかどうかという、ただこの一点のみに的を絞って観察すれば、おのずと詐欺行為以外の何ものでもないことが判明し、要するにこいつらはネギを背負ったカモを集めていい思いをしているだけだとわかる。

・神仏なんぞという幻にすがりつかなくても、解決能力はおのれ自身のなかに等しく具わっているのだ。その潜在能力を積極的に用いようとしない者は、この世を生きる資格がないも同然で、また、この世を生きる醍醐味を知らず仕舞で一生を終えることになる。

・パワースポットなる場所をいくら訪ねてみたところで、生起が甦ったりしない。そんな暇があったなら、おのれの生活そのものを再点検するべきだ。仕事の中身、睡眠時間、食事の内容、対人関係、意識の在り方といったこまごまとしたことに改善すべきところがないかどうかをすべて洗い出し、それらのなかでどの部分が自分に無用なストレスを与えているかを突きとめ、改善の工夫を凝らし、そのひとつひとつを丹念に潰してゆくのだ。

・国家体制をどんなに変えてみたところで、不特定多数の人々の意識と認識とが根底から改まらないかぎりは似たような悲劇が延々とくり返されるばかりだ。

・間違っても国家におもねってはならない。国家を不必要に恐れではならない。国家を安易に信じてはならない。国家を牛耳っているのは、ごく普通の、いや、欲に長けた、生身の人間であるという事実を忘れてはならない。かられがあてがう飴を拒み、かれらが振るう鞭に怯まないという姿勢を貫いている限りは、かれらの思いどおりにはならないはずだ。

・人は考えるために生まれ、考えることで命を燃焼させ、考えるからこそ、存在意義を確保できる。

・誰しもが等しく潜在的に持っているさまざまな能力を自分自身で発見することは、おのれの人生を存分に充実させるために欠かせない、必須の条件だ。それができるかどうか、あるいは、それを探す気持ちがあるかどうかによって、生のための生になるか、死のための生になるかがくっきりと分かれる。

・六十数年間この世を生きてみて感じることは、絶体絶命、孤立無援、四面楚歌、万事休すといった窮地のなかにこそ、正真正銘の生の核心が秘められていて、その中で必死にあがく過程のなかにこそ正真正銘の感動が隠されているという確かな手ごたえだ。

感想
人生は”考えること”が大切だとのことです。
その考える場合、さまざまな視点があります。
当たり前だと思われていることを疑ってみて、考えて見ることが新しい発見につながるのだと思います。
その当たり前のことが、本当なのかと考えさせてもらえる本でした。