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前川前事務次官への圧力問題 文科省をはねつけた市教委の神対応に称賛の声  ”国はこんなことに税金を使って個人調査を”

2018-03-17 09:02:00 | 社会
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/前川前事務次官への圧力問題-文科省をはねつけた市教委の神対応に称賛の声/ar-BBKi1aY?ocid=spartandhp#page=2 AERA dot. 西岡千史 2018/03/16
 前川喜平・前文部科学事務次官が名古屋市立の中学校で授業をしたことについて、文科省が同市の教育委員会に対し、前川氏を招いた意図の説明や録音テープの提供などを求めていたことが、問題になっている。

 市教委の杉崎正美教育長は16日、「このような問い合わせは今まで聞いたことがない」とコメント。河村たかし名古屋市長も「(文科省は)やり過ぎ」と批判し、同省に問い合わせの意図を確認する意向を示した。

 永田町では現在、調査の実施に政治家からの要請があったのではないかと言われている。野党関係者はこう話す。

「こんな調査を文科省がわざわざやるとは思えない。外部から問い合わせがあったはずだが、電話があっても、『市教委に直接聞いて下さい』と言えばいいだけの話。となると、政治家か官邸の関与があった可能性もある」

 同日に行われた野党合同ヒアリングでは、同省の職員が経緯を説明し、「(文科省内で)調査を決めた」と語った。一方、事前に政治家からの問い合わせがあったかをたずねられると、「確認します」「(コメントを)差し控えさせていただきます」と、回答を避けた。今後、政治家の関与の有無が焦点になりそうだ。

 一方、別の意味で話題になっているのが市教委が同省に返信した“反論メール”の中身だ。最近では、役人が政権の意向を“忖度”し、国会や国民に対しては不誠実な対応ばかりが目につくが、市教委は同省に毅然とした態度で反論していた。

 そのメールの中身を紹介しよう。
 市教委に最初にメールが届いたのは3月1日18時。同省から「事実関係をご教示頂きたく」という文言とともに、15もの質問項目が並んでいた。そこには、交通費や謝金の額、動員の有無、講演録や録音データの提供要請などが記され、5日18時までに回答するよう要求していた。

 また、前川氏については「国家公務員の天下り問題で辞職」「いわゆる出会い系バーの店を利用し、そこで知り合った女性と食事をしたり、時に金銭を供与したりしていた」などと説明。「こうした背景がある同氏について、(中略)どのような判断で依頼されたのか」と、質問した。

 監督官庁からのメールでここまで強い調子の文言が並ぶと、市教委の役人がひるんでもおかしくない。ところが、そうはならなかった。

 天下り問題については「文科省ひいては国家公務員全体の問題であると認識」、出会い系バーには「バー云々については、良心的な目的であったことが報道されてい」ると反論。謝礼は交通費込みで5万円と通常の金額であったことを伝え、録音データの提供は「ご提供は差し控えさせていただきます」と拒否した。動員についても、学校内外の参加者人数を報告したうえで、「一切ありません」と回答した。

 また、「事前又は事後に保護者から意見や反応等はなかったのか」との質問には、「事前、事後とも、ポジティブな反応ばかり」と、バッサリ斬り捨てた。

 反省の色をみせなかったことに腹が立ったのか、同省は6日朝8時、再び市教委に質問のメールを送りつけた。今度は締切を翌日の7日正午に設定し、「必要に応じてこれ以外にも改めて質問をさせて頂く可能性」や「書面にて又は直接ご確認をさせて頂く可能性があります」と、“脅し”とも思える文言を並べた。

 だが、このメールも不発に終わる。同省は、2回目の質問でも、前川氏が天下り問題で「省全体の責任者」となり「本人自らの非違行為を理由として停職相当」の処分を受けたことを説明し、「校長はこの事実をご認識されていたのでしょうか」と詰問したが、市教委は「辞任されたこと以上のことは知りません」と、またもやゼロ回答。保護者や生徒の感想についても「ネガティブな反応はまったくなかったのか」と重ねて質問を浴びせてきたが、市教委は「まったくございません」と、2回目のカウンターパンチを浴びせた。

 監督官庁からの嫌がらせとしか思えない調査に、市教委が役人の矜持でキチンと反論したことに「教育の独立を守った」(別の野党関係者)と称賛の声も出ている。官邸ばかりを見て仕事をしている現在の霞が関官僚にとっては、信じられない反応だったに違いない。

感想
文科省は閑な組織なんだなと思いました。
こんなことに税金を使っていることに怒りを覚えます。
それと国が”要注意人物”と思った人を追跡していることにも恐怖を覚えました。
文科省の役人に比べ、その中学校の校長と市教育委員会の対応は素晴らしいしいです。
至学館大学の学長も少し見習われると良いのではないでしょうか?

2017年自殺者が減っていますが、20歳未満の若者の自殺者が増えています。
2016年も増えました。もっとそっちにエネルギーを使って欲しいと思います。
大切な税金をこんなことに使うのではなく、若者の自殺を防ぐことに使って欲しいです。

阿川佐和子さん「サワコの朝 ムロツヨシさん」 ”厳しい環境でも明るく生きて”

2018-03-17 08:30:00 | 生き方/考え方
ムロしゃぶ。昆布を入れている。大根をピーラーで削って。ブタを。
俳優。芸名を分かりやすくするためにカタカナにした。当時はベンガルさんくらい。
19歳の時、東京理科大中退。「ごちそうさん」朝の連ドラに人気に。
親戚に育てられた生い立ち。立ち回りを身に付けた。明るさを出すしかない。

ムロツヨシのイントネーションはどちらか? どちらでもよい。皆ムロツヨシと言う。カブトムシみたいに。今のテンション無理しているところがある。女性の年上が助かる。他には吉田羊さん。年齢非公表なので、上かどうかわからないが。女性に囲まれて育ったので。

1曲目は、預けられた親戚の家で小学生の時に聴いた曲。トンネルズの「雨の西麻布」。楽しいそうだなと思って聞いていた。本当に好き。トンネルズが好き。おじさん家はさかなやさんだった。叔父さんと叔母さんのおばあさん。4歳の時両親が離婚して父親が親権持っていたが、すぐに父親が別のところに。何で?と思った。叔母のところにも子どもが2人いた。姉貴は5歳上。姉は中学から不良になってしまった。それを見て、自分は不良になるわけにはいけないなと思った。この家では自分はどう振舞ったら良いかを身に付けた。楽しくなければと思った。

4歳の前の記憶は? 両親がケンカしている記憶がある。母がトランクに詰めたのを覚えている。おやじは新しい女と一緒に暮らした。その女性には子どもがいた。時々その家に呼ばれた。その後、親父はまた違う人と再婚した。親父から、呼び出されたら、女性と子ども2人がいた。しかし、おやじは嫌いでなかった。楽しいそうなおやじだと思っていた。大工をしていた。仕事場に連れて行かれた。かっこよく思った。大工道具の水平にするのを見て、そこに空気が入っているが、その空気が「右か左か言え」と言われたりした。母には逢いたいと思う気持ちがなんでかない。

その家庭環境で育って、ちゃんと働こうと思った。そのためには大学の方が飢餓必要だと思った。大学に入ったらやりたいことをあるために皆が入ってることに気付いた。皆やりたいことがあるんだと感動した。自分にはそれがなかった。その後直ぐに舞台を見て、役者をやりたいと思った。役者に理系の大学は必要ないと思った。おじちゃん一家とおやじ一家が隣りどおりに住んでいた。両方が琴線トラブルになり。やはり育ててくれたおじさんについた。

役者に直ぐなれると思った。根拠のない自信があった。お魚屋さんに働いていた。後2年か、下積みも悪くないなと夢を見続けたいた。そうしていたら舞台に立っても楽しくないのを感じるようになった。何で楽しくないんだろうと思って、一人舞台を劇場借りてやった。同級生が来てくれた。面白くなかった。やりたいことがわからない学生の脚本を書いたが、誰も笑わない。初めての一人舞台が悲惨なことになった。皆が「頑張れよ」と言ってくれた。「面白かった」とは言ってくれなかった。これから暗黒時代に。面白いとはなんだろう? 恐怖になった。それからマグロだけを運ぶことが1年半が続いた。

ある日、突然涙が出たんだろう。役者目指しているのになぜバイトを一生懸命しているんだろう? それから営業をする活動をしていた。それまでは役者は待つもんだと思っていた。それから出してください。使ってください。それをやり続けて、2年目に本広克行監督に出会って売り込んだ。ムロヒロシは、ムロヒロシはと売り込んだ。本広克行監督が名刺を整理していて思いだしてくれて使ってくれた。「ごちそうさん」ではちゃむちゃにやってよいと言われてやった。「大人しい役できるのですか?」大人しい役も暗い役もできるが、言われた役にプラスしてやっていた。

2曲目はウルフルズ「笑えば」。
ぴったりの、ムロツヨシさんの人生を表わしている曲ですね(サワコ)。そう言って貰えると嬉しい。
鍋奉行して人を呼ぶことは抵抗はない。掃除するために人を呼ぶ。女友だちを呼ぶ。「ムロさんの部屋臭い」と言われないために女友だちを呼ぶ。

感想
厳しい環境でも、明るく生きることができることを実証されて来られた方だと思いました。

人生からの問いかけに、小さい時から応えて来られたのでしょう。

画面からは明るい雰囲気が全開でした。