・テレジアの自叙伝に接して、何故私がキリスト教に入ろうと決心したのか、私自身にもわからない。何か大きな力が私の魂に働きかけたとしか言いようがないし、何か口に出せば、何と表現してみても、すぐそれだけではないという気がし、うそだという気さえしてくる。しかし何か後ろから私を押しあげてきた力に抗しかねて、もうこれだと決心する一つのきっかけとしてテレジアの作品が作用したことは否めないような気がする。テレジアという人は、学校は小学校しかでていない。15歳でリジューというフランスの片田舎の町にあるカルメル会修道院に入会し、二十四歳の若さで肺結核でなくなった人である。私は彼女に一人の聖者を、一人の宗教的天才をみつ思いがする。彼女ほど人間の弱さ、みにくさ、小ささを前提とし、それだからこそそういう人々を自分のふところへ迎え入れるのだという神の悲愛(アガベ―)を一節にうたいあげた聖者はいなかったのではないか。
・つい最近までのカソリック教会の神学校教育というのは、完全に一種の洗脳教育であったと思う。・・・。勉強中に私は何回も、トミスト(トマス主義者)にならなければ司祭になれないと言い渡された。・・・。確かに白を黒の如く行動せよ、という命令ならばこれをはたすことはできよう。しかし白を黒と思えという命令に、人は果たして従うことができるものなのだろうか。
・エチエンヌ・ジルソンの著書「レニール・エ・レニッサンス(存在と本質)」に接することができた。これは私の思想の形成の上では大切な出来事であった。・・・。彼の打ちだしている明確な「実存の本質への優位」という存在のとらえ方が彼にいう通りにトマスの哲学であるならば、少なくとも私はこのジルソンの考え方ならばある程度はしっかりとついていけるという自信が持てたのである。それはどうやら私にも司祭への道が開かれているという希望をあたえてくれるものであった。私は本当に嬉しかった。私は久し振りに晴れ晴れとした気分で、南アルプスの自然を眺めた。南アルプスの夕暮れは美しかった。
・私たちは夜空の星を眺めながら、あれはオリオン座、あれは北斗七星というふうに、星座に名前をつけている。しかしオリオン座とか北斗七星とかいう星座は、本当に客観的に存在するものなのだろうか。無数にきらめく夜の星空から。私たちが勝手に自分たちの見方で、無数の星を区分しているのではなかろうか。もし地球以外の天体から星空を眺めたら、その区分は当然変わってくるかもしれない。そうだとすれば、オリオン座という星座が存在するのは、地球からみられた視界のなかだけだということになる。
・同じ文化の流れの中で言語をしゃべっている人間同志の間では、あまりにも身近で気づきえない言語の持つ重みというものを、私自身が自分とは異質な文化の中で異質な言語をしゃべる文化集団の中で生きることを余儀なくされた結果、いやでも気づかされざるをえなかったということ、そしてそのことがその後の思索と相まって、「キリスト教と日本人」という生涯の課題へと私を追いやるもっとも大きな要因の一つとなっているように思えるからである。
・日本人は母音と子音とを区別なく言語中枢のある優位の脳(通常差半球)で聞いているが、印度ヨーロッパ語を母国語とする外国人は子音は優位の脳(通常左半球)で聞き、母音は劣位の脳(通常右半球)で聞いていることがわかった。・・・。大脳半球の働きの違いは、生後十歳位までの幼少年期に日本語か外国語かそのいずれかを話して成長するうちに、脳に刻まれた“記憶痕跡”によるもので、現在までの研究では“単脳言語”は日本語以外には見つからなかったという(後になって、ポリネシア語も)。日本人は動物の鳴き声に親近感を抱き、また虫の音に“秋”を感じて、もののあわれをおぼえる、つまり“噴流”な心をもっているが、外国人にはそのような心が乏しく、したがって日本文化は外国人には理解されにくいことが知られている。
・ある夜、寝る前に何気なく読んだ次の「ルカによる福音書」の十八章のイエスのたとえ話に、私は深い衝撃をうけたのである。
「ふたりの人が祈るために宮に上った。そのひとりはパリサイ人(びと)であり、もうひとりは取税人であった。
パリサイ人は立って、ひとりでこう祈った、『神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲(どんよく)な者、不正な者、姦淫(かんいん)をする者ではなく、また、この取税人のような人間でもないことを感謝します。
わたしは一週に二度断食しており、全収入の十分の一をささげています』。
ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った、『神様、罪人(つみびと)のわたしをおゆるしください』と。
あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人(びと)ではなかった。おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。
・学生時代、夏目漱石の作品を愛読していた私は、「こころ」のなかで作品の主人公である先生がいう「人間は善人でも誰でも、いざというまぎわに悪人になるんだ」ということばの重みを忘れることはなかった。
・深層心理学者であるカトリック司祭でもあるルイ・ベルネールは、「人間の徳の高さは精神構造に依存するか」という論文のなかで、自分自身に誠実なキリスト者であっても、その誠実さが立派な徳の高い外的な行為となってあらわれるためには、その人の精神構造が健全でなければならないと強調していた。従ってベルネールによれば、誰でも徳の高い立派な人物と称賛するような聖者と、自分自身への誠実さは抜群であっても、残念ながらそれがプシシズムの不健全さによって外的な行為への素直に伝達されず、たえず事故の至らなさを嘆くことしかできない聖者と、二種類の聖者がいることとなるのである。このベルネールの考え方に賛同せざるをえなかった私は、それまでの自分の人間に対する見方が如何に浅かったのかに気づかされざるをえなかった。人間の本当の価値を外面の行為によって判断することはできない。人間は人間を審くことはできない。人間の魂の深みをのぞきを見ることのできるのはただ神だけだ。これが深層心理学や精神身体医学が私に教えてくれた貴重な人間観であった。
・修道女たちが経営しているある病院から、国立病院へと移っていった患者の話「シスターたちは本当に親切にあなたたちの世話をしていると思うに、どうして国立病院などに移りたいのか」という友人の質問に対して、彼はこう答えたというのである。「この病院には愛がない。確かにシスターたちはよく面倒をみてくれる。しかしシスターたちがよく面倒をみてくれるのは、私たちを大切にしていてくれるからではなくて、彼女たちが天国に宝を貯えるためなんだ。私は彼女たちの天国遺棄の梯子にはなりたくない」。
・修道院がもうひっそり静まりかえった夜ふけ、よく私は独りそっと窓を開けて、三階の部屋から月の光をあびて美しい修道院の中庭を見下ろした。少し風でもあるのか、木々の新緑の上で、きらきらと淡く月の光がおどっていたときもあった。また何となく夜霧が一面にかかってしまっている夜もあった。ただ自然の調べが私の琴線の調べと一つになったよろこびを、その頃から何の躊躇もなしに私はしばしば体験しえたように思うのである。
・イエスの福音自体は普遍的なものであっても、そのイエスの福音を受けとり、それを生きぬいていく人間は、いつもある文化を背負いある時代を生きているはずなのである。・・・。キリスト教の普遍性とは、決して一様化にではなく、一致のうちにこそあるはずだからである。・・・。日本において日本・キリスト教が樹立されねばならず、また樹立されるはずであると思い至ったとき、大きな不安にとらわれつつも、ある方向にぐんぐん押し流されていく自分をどうすることもできなかった。
・遠藤周作氏から「僕たちはまだ誰も踏み入ったことのない森に入っていくようなもので、まねすればいいというような先人を持っていないんだ。自分たちの力で開拓していかなければならない。これは長い年月のかかる仕事だと思う。僕たちはただ次の世代の人たちの踏石にならなれればそれでいいんだ」。氏が「海と毒薬」を世に問うた直後のことである。
・和辻哲郎の「風土」に接したときは、正直いって私は、思わず和辻の天才的ともいえる直観のまえに脱帽せざるをえない気がした。風土というものが人間の形成に及ぼす影響というものについては、恥ずかしながら全く考えてみたことがなかった。
・私は神学校を卒業し、カトリックの司祭に叙階された。1960年の3月18日である。もちろん私が司祭になることについて、問題がないというわけではなかった。日本人は日本人としてイエスの福音を受けとるべきであるし、また受けとることができるはずであって、ヨーロッパ・キリスト教をそのままの形で日本人に押しつけることは無理だという私の考え方に対し、外人の教授たち・-といっても、当時カトリックの神学校では全員が外人の教授であった-の間で、このような考え方を持った者をカトリックの司祭にしてはならないという動きがあったらしいからである。らしいというのは、司祭認定会議の内容については秘密になっていて、学生にはしらされないからである。ただある教授から「あなたはすぐに神学校を去るべきだ」といわれたことは確かである。如何に私が司祭になることを熱望していたとはいえ、とにかく司祭になれたということに、私は今でも何ともいえないある種の不思議さを感じる。
・疑うということは反省することです。反省とはものを離れてものを見ることです。ものに即した智慧ではなく、ものに関する知識なのです。反省ということが分離の世界にあるということに気づきます。・・・。神を思うという場合、思う人が主であり、思われる神は客の位置にあるのです。・・・。思うとは判くことです。分別するということです。ものを彼か是かに分けるのです。
・トタン屋根だけでじかに外気に接している教会の冬の朝は厳しかった。枕もと置いた金だらいに水が、しゃりしゃりとかすかに音を立てる程度に氷っている日もあった。死を翌日にひかえて最後の晩餐を弟子たちとすごしていうイエスのまなざしを思いながら、毎朝一人で私はこごえる手でミサをささげた。
・ギリシャ語のプネウマには、風と息と霊という三つの意味がある。対象化しえない、従って「無」とか「空」とかしてしか人間理性にはとらええない「天然の風(プネウマ)」を、神の愛、神の息吹き(プネウマ)として示したのがイエスの教えでないかと気づいたとき、私にはそれまでの長い間形にならずにもやもやとしていたものが、何か次第に私の中で形をとりはじめてきたような気がしたのである。
・三十年近い歳月の後に、おぼろげながらようやく形をなしてきたものを、私は一冊の書物にまとめてみたいと思った。私の福音理解が日本人の心情に訴えることができるかどうか、「日本人とキリスト教」とい課題の解決への道を生涯の自分の役割として受けとめた私にとって、これは大きな試金石となるはずであった。
・ミケランジェロの傑作「最後の晩餐」が大きな壁一杯に描かれている雄大さと迫力は確かに見ごたえのあるものであった。しかしそこでもやっぱり私は、窒息しそうな重苦しさに、どうしても親しみというものを感じることができなかった。何故だろうか。「そうだ、あの聖堂の壁画には余白というものがないのだ。余白なくびっしりと壁一杯に描かれているイコンや壁画に、微を認めることはできても、どうしても私は重苦しさを感じてしまって親しむことができなかったのだ」。そう気がついたときに私は、この石庭(竜安寺)の魅力がまさに「余白」にあったことに思いついたったのである。
・イエスがもっとも大切にした「幼子の心」とは、この余白の風に、ふわっと目をつぶって委ね切る心に他ならない。一人一人の人生というものが、己れ自身を表出するものでなく、生きとし生けるものの余白をふくむ全体を表出するものであってみれば、己れの生命と役割を完全に往きぬくということは、逆説的のようであっても、己れを無にして余白の風をして己れの人生を吹きぬけしめることとなるはずである。聖者とは、まさに己れの人生において余白を輝きしめている人に他ならないのであろう。
・余白の風に無心に己れを委ねて生きぬくべきものだと思っていた。
人を愛するということか人を大切にすることであり、弱さや醜さやその人なりの考えをもそのままに受け入れることであるならば、言いかえれば余白というものが見えてきた人だけが、真の意味で人を愛することができるのではないだろうか。生きとし生けるものの余白の風に従って生きぬくとき、大自然はその美しさを輝かせる。
感想;
日本の文化で育った日本人が、イスラエルの北部ガリレア地方で生まれ、ローマで広がったキリスト教をどう理解していくか。
井上神父は東工大卒業後、東大の哲学科を卒業し、カルメル会の修道会など8年学び、さらに日本の神学校を卒業され司祭となられました。悩みながらもその信仰に至る軌跡を辿る本でした。
井上神父の真摯な生きて来られた軌跡はキリスト教を尋ねる道でもあると思いました。
こういう風にキリスト教を受け止めて考えることができるのだと、とても新鮮でした。
良寛が好きだった俳句
「裏を見せ 表も見せて 散るも紅葉」
紅葉は風に逆らわずに身を委ねて散る姿を自分の生き方に照らし合わせていたのでしょう。
キリスト教を理性で考えようとすると、いろいろ引っかかってしまうことがいくつもあります。いろいろな教会に通い、牧師さんのお話もたくさん聞きました。
三浦綾子さんの本もほとんど読みました。
犬養道子さんの「旧約聖書」「新約聖書」、遠藤周作さんの「沈黙」なども読みました。
それでも何かひっかかっていたことが、井上神父の本により、ストーンと心に染み入るようでした。
https://blog.goo.ne.jp/egaonoresipi/e/6bc191dd5750af7c7f905f28bcd8fe99
「私の中のキリスト」井上洋治著 ”悲愛のイエス・キリスト”
https://blog.goo.ne.jp/egaonoresipi/e/a9a0100ac95331444d6398837f7e8c35
「死海のほとり」遠藤周作著 ”イエスの最後の足取りと弟子たちの裏切りを辿る”
https://blog.goo.ne.jp/egaonoresipi/e/64730b89ed7b3d01539ad064f1753c04
「人はなぜ生きるか」井上洋治著 ”裏を見せ 表を見せて 散る紅葉”
https://blog.goo.ne.jp/egaonoresipi/e/89a63dba75b03bbd0a82850ef53738bd
「日本とイエスの顔」井上洋治著 ”日本の風土を背景にキリスト教を考える”