・事実の一つ一つを言葉に置きかえることによっていったん抽象化し、それらの言葉を作家の構想にそった文脈でつないでいくことによって、再び意味のあるリアリティを取り戻す。それが物語をつむぐ作業なのだと言ってもよいだろう。その作業においては、どのような言葉を事実にあてがい、それらをどのような文脈でつなぐのかが問われるのだ。
・記憶は、過去のものでない。それは、すでに過ぎ去ったもののことでなく、むしろ過ぎ去らなかったもののことだ。とどまるのが記憶であり、じぶんのうちに確かにとどまって、じぶんの現在の土壌となってきたものは、記憶だ。
・人が与える忠告というものは、大体において間違っていないし、本人も先刻承知のことがある場合が多い。しかし、忠告の正しさをわかっていながら、そうできないから悩むのが人の常。
河合隼雄氏
「100%正しい忠告は、まず役に立たない」
「ある時、ある人に役だった忠告が、100%正しいとは言い難い」
・モーツァルト「死は、生の本当の最終目標」
「死は(厳密にとてば)ぼくらの生の最終目標なのですから、ぼくはこの数年来、この人間の真実で最上の友人ととても仲良しになってしまったので、死の姿を少しも恐ろしいと思わないどころか、むしろ大いに心を安め慰めてくれるものと考えているくらいです」
・星野富弘
人は身体が不自由になった時、心で生きる。
人は身体が動かなくなった時、心で世界を見る。
心が身体のぶんまで生きる時、心は言葉に魂と投影させる。
だから、その言葉はいのちの響きを持つのだ。
・飛ぶことができるのは、心の底からそうしたいと願った者が、全力で挑戦したときだけだ。ルイス・セブルベダ著「カモメに飛ぶことを教えた猫」
・私は自分一個のためにもう充分苦しんだ。今はもはや自分のために苦しんでいる時でも喜んでいる時でもない。「生きがい」を探し続けた神谷美恵子
・大阪駅前の交差点でのこと。青信号が黄色になった時、盲導犬に引かれたかぼそい体の女性が横断歩道に入った。ゆっくり進む盲導犬と女性が横断歩道の半ばに差しかかったところで、信号は赤になってしまう。交差する道路に待機していた車やバイクが、一斉に動き出せば、彼女は巻き込まれてしまう。だが、<その時、車も行き交う人波も、すでにひっそりとその動きを止め、慌ただしい光景は一瞬生死画面になった>のだ。それから盲導犬と女性が横断歩道を渡りきるまでの緊迫した情景と、無事に渡り終えた時の群衆の安堵感の描写はみごとだ。いや、単なる情景描写でない、盲導犬と女性が寄り添いあって黙々と歩む姿に「生命の力」を感じ、無事に渡り終えた時の盲導犬のしっぽを振る姿に「生命の喜悦」を読み取る著者の管制の豊かさが、文章に投影されているところが素晴らしい。(「盲導犬」という題のエッセイ)に対して。
・人間は一人ひとりそれぞれに独自の価値があるのであって、他人との比較で価値が決まるものではない。五木寛之
・“他力“とは、目に見えない自分以外の何か大きな力が、自分の生き方を支えているという考え方であって、自分ひとりの力でやったと考えるのは浅はかなことだ。五木寛之
・仕合せならんと願うなら、まず学べ、苦しむ術を(ツルゲーネフ「散文詩」)
・仏教の慈悲の思想は「悲」の心の大切さを説いた。
・ユーモアの大切さ
お医者さん 「様子を見る」とは ちとずるい
効くらしい あの人三年 通ってる
腹割って 話してわかった 腹黒さ
・私は、りんどう四本と吾亦紅二本添えて、茎をやや短く切った小さな花束(病室にはあまり豪華な花束にしないほうがいいというのが私の流儀だった)を作ってもらって、K君を見舞いにいった。
「あ、吾亦紅。わたし、大好きなんです。なつかしいわ」と看護婦が入って来て言った。
「吾亦紅がなつかしいなんて、あなた、地方出身なの?」
私が聞くと、彼女はうなづいて、
「ええ、青森なんです」
「そう、独りで上京して頑張ってるんだ。東京の人間は地方出身の看護婦さんたちに支えられてるんですね。よろしくお願いします」
私は、彼女に親近感を覚えた。
K君は残念ながら、その年秋に旅立った。
半年ほど経って、私は用事があってS病院を訪れた。廊下で偶然にあの看護婦に出会った。私が声をかけて、K君と花のことを話すと、彼女は私のことを思い出してくれた。
「あなたは花が好きなんですね」
そう言うと、彼女は恥ずかしそうにして、
「図鑑を見たりして、一生懸命に覚えているんです」
「どうして?」
「患者さんはお見舞いの花を見て、心を慰めているでしょう。自分も花に愛情を持って話題にすれば、患者さんの辛い心に少しでも寄り添えるのではないかなって思うんです。あ、この間、花屋さんに忘れな草が出ていたので、思わず買ってしまいました」
「そうですか」
私の胸に熱いものがこみ上げてきた。
・ターミナルケアの三本柱
1)痛みなどの症状緩和
2)心のケア
3)人生の完成への支援
感想;
ヨハネによる福音書 1:1-18
「はじめに言葉があり、言葉は神と共にあり、言葉は神であった」
ヨハネの福音書の始まりの言葉です。
この言葉はlogoで意味との意味もあります。
言葉には力もあり、意味もあったのでしょう。
言葉により、支えられ、慰められ、元気を貰うことがあります。
ガンジーの言葉
「誇りは自分から投げ捨てないかぎり、誰もあなたから奪うことはできない」
この言葉にどれだけの力を貰ったことでしょう。
他にも好きな言葉があります。
「岩もあり 木の根もあれど さらさらと たださらさらと 水の流るる」甲斐和里子作
「見る人の 心ごころに 任せおき 高嶺に澄める 秋の夜の月」新渡戸稲造の愛していた古歌
「明日ありと 思う心の あだ桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」親鸞が9歳の出家の時に詠んだ歌
「憂きことの なおこの上に 積もれかし 限りある身の 力ためさん」熊沢番山作
「裏を見せ 表も見せて 散る紅葉」良寛が愛した句
・記憶は、過去のものでない。それは、すでに過ぎ去ったもののことでなく、むしろ過ぎ去らなかったもののことだ。とどまるのが記憶であり、じぶんのうちに確かにとどまって、じぶんの現在の土壌となってきたものは、記憶だ。
・人が与える忠告というものは、大体において間違っていないし、本人も先刻承知のことがある場合が多い。しかし、忠告の正しさをわかっていながら、そうできないから悩むのが人の常。
河合隼雄氏
「100%正しい忠告は、まず役に立たない」
「ある時、ある人に役だった忠告が、100%正しいとは言い難い」
・モーツァルト「死は、生の本当の最終目標」
「死は(厳密にとてば)ぼくらの生の最終目標なのですから、ぼくはこの数年来、この人間の真実で最上の友人ととても仲良しになってしまったので、死の姿を少しも恐ろしいと思わないどころか、むしろ大いに心を安め慰めてくれるものと考えているくらいです」
・星野富弘
人は身体が不自由になった時、心で生きる。
人は身体が動かなくなった時、心で世界を見る。
心が身体のぶんまで生きる時、心は言葉に魂と投影させる。
だから、その言葉はいのちの響きを持つのだ。
・飛ぶことができるのは、心の底からそうしたいと願った者が、全力で挑戦したときだけだ。ルイス・セブルベダ著「カモメに飛ぶことを教えた猫」
・私は自分一個のためにもう充分苦しんだ。今はもはや自分のために苦しんでいる時でも喜んでいる時でもない。「生きがい」を探し続けた神谷美恵子
・大阪駅前の交差点でのこと。青信号が黄色になった時、盲導犬に引かれたかぼそい体の女性が横断歩道に入った。ゆっくり進む盲導犬と女性が横断歩道の半ばに差しかかったところで、信号は赤になってしまう。交差する道路に待機していた車やバイクが、一斉に動き出せば、彼女は巻き込まれてしまう。だが、<その時、車も行き交う人波も、すでにひっそりとその動きを止め、慌ただしい光景は一瞬生死画面になった>のだ。それから盲導犬と女性が横断歩道を渡りきるまでの緊迫した情景と、無事に渡り終えた時の群衆の安堵感の描写はみごとだ。いや、単なる情景描写でない、盲導犬と女性が寄り添いあって黙々と歩む姿に「生命の力」を感じ、無事に渡り終えた時の盲導犬のしっぽを振る姿に「生命の喜悦」を読み取る著者の管制の豊かさが、文章に投影されているところが素晴らしい。(「盲導犬」という題のエッセイ)に対して。
・人間は一人ひとりそれぞれに独自の価値があるのであって、他人との比較で価値が決まるものではない。五木寛之
・“他力“とは、目に見えない自分以外の何か大きな力が、自分の生き方を支えているという考え方であって、自分ひとりの力でやったと考えるのは浅はかなことだ。五木寛之
・仕合せならんと願うなら、まず学べ、苦しむ術を(ツルゲーネフ「散文詩」)
・仏教の慈悲の思想は「悲」の心の大切さを説いた。
・ユーモアの大切さ
お医者さん 「様子を見る」とは ちとずるい
効くらしい あの人三年 通ってる
腹割って 話してわかった 腹黒さ
・私は、りんどう四本と吾亦紅二本添えて、茎をやや短く切った小さな花束(病室にはあまり豪華な花束にしないほうがいいというのが私の流儀だった)を作ってもらって、K君を見舞いにいった。
「あ、吾亦紅。わたし、大好きなんです。なつかしいわ」と看護婦が入って来て言った。
「吾亦紅がなつかしいなんて、あなた、地方出身なの?」
私が聞くと、彼女はうなづいて、
「ええ、青森なんです」
「そう、独りで上京して頑張ってるんだ。東京の人間は地方出身の看護婦さんたちに支えられてるんですね。よろしくお願いします」
私は、彼女に親近感を覚えた。
K君は残念ながら、その年秋に旅立った。
半年ほど経って、私は用事があってS病院を訪れた。廊下で偶然にあの看護婦に出会った。私が声をかけて、K君と花のことを話すと、彼女は私のことを思い出してくれた。
「あなたは花が好きなんですね」
そう言うと、彼女は恥ずかしそうにして、
「図鑑を見たりして、一生懸命に覚えているんです」
「どうして?」
「患者さんはお見舞いの花を見て、心を慰めているでしょう。自分も花に愛情を持って話題にすれば、患者さんの辛い心に少しでも寄り添えるのではないかなって思うんです。あ、この間、花屋さんに忘れな草が出ていたので、思わず買ってしまいました」
「そうですか」
私の胸に熱いものがこみ上げてきた。
・ターミナルケアの三本柱
1)痛みなどの症状緩和
2)心のケア
3)人生の完成への支援
感想;
ヨハネによる福音書 1:1-18
「はじめに言葉があり、言葉は神と共にあり、言葉は神であった」
ヨハネの福音書の始まりの言葉です。
この言葉はlogoで意味との意味もあります。
言葉には力もあり、意味もあったのでしょう。
言葉により、支えられ、慰められ、元気を貰うことがあります。
ガンジーの言葉
「誇りは自分から投げ捨てないかぎり、誰もあなたから奪うことはできない」
この言葉にどれだけの力を貰ったことでしょう。
他にも好きな言葉があります。
「岩もあり 木の根もあれど さらさらと たださらさらと 水の流るる」甲斐和里子作
「見る人の 心ごころに 任せおき 高嶺に澄める 秋の夜の月」新渡戸稲造の愛していた古歌
「明日ありと 思う心の あだ桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」親鸞が9歳の出家の時に詠んだ歌
「憂きことの なおこの上に 積もれかし 限りある身の 力ためさん」熊沢番山作
「裏を見せ 表も見せて 散る紅葉」良寛が愛した句