・ジェーンは救急車の 中でも、痛みに耐えられずに絶叫していた。ジェーンをベッドに移すと、医師はベッドサイドの椅子に腰をおろした。注射ひとつしようとしない。医師はジェーンの手を握り、穏やかな口調で言ったのだ。
「あなたが、いま、一番してほしいことは何ですか」と
ジェーンは、しばらく考えると、「お父さんかお母さんに、ずっとそばにいてほしい」と言った。「それは簡単なことです。この部屋にもう一つベッドを入れれば、二十四時間付き添うことができますよ」。医師はそう言うと、両親のほうに顔を向けた。ビクター(父)はすかさず答えた。「私が泊まることにしよう。心配はいらないよ」「でも」と、今度はジェーンのほうがためらった。「お父さんがずっとここにいたら、仕事ができなくなるわ」。医師がすぐに言葉をはさんだ。「向こうの部屋に机を置きますから、お父様は必要があれば、どうぞそちらで執筆してください。ジェーン、心配しなくても大丈夫」
そんな会話が交わされるうちに、夫妻がふと気がつけば、絶叫するほどの痛みにもだえていたジェーンが、痛みを訴えないばかりか、穏やかそうな表情を取り戻していたのだ。痛みとは、時として精神的な不安や恐怖の、形を変えた表現であることが少なくない。医学的な対処にしか目を向けない医療者は、そのことに気づかないのだ。
・作家 高山文彦氏の渾身の作と言うべき「火花 北条民雄の生涯」
読み返すほどに、随所に新しい発見や感動があったが、一貫して伝わってくるのは<言葉は凄い>ということだった。
・人がいったん厳しい病気に襲われたり、重大な怪我によって重い障害を背負ったり、死が避けられない状態に陥ったりすると、書く動機が極めて緊迫感に満ちたものになってくる。
・逆境こそが、人間の密度の濃い真の「生」を生きる条件と言おうか。このパラドックスを生きているのが人間の業なのかもしれない。そして、そのパラドックスの究極が、人間は死を前にしてはじめて本当の「生」に気づき、それゆえに死を前にした言葉がいのちの叫びとも言うべき緊迫感に満ちたものになってくるということなのではないか。
・人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。
・人間をつなぎ合わせているものは、「人間関係」つまり信頼と愛である
(河野医師、ユング派心理学者の門をたたいた)
・一人の人間の精神的ないのちというものは、死では終わらない。旅立つことによって鈍化されたその人の永続的ないのち(それは魂と呼ぶにふさわしい)は、家族や友人たちの心の中で生き続けるのだ。しかも、愛する人の生きた証しを心の中に抱擁した人々は、その永遠のいのちの止むことなき語りかけによって、逆にあたたかい生のエネルギーをもらうという不思議が生じる。
・ハンセン病患者の隔離施設で、非人道的に疎外され未来も奪われた状況の中で、患者たちは身も心も崩れていったのだが、数少ない人達は文芸や宗教などの精神的な生きがいを持つことによって、いきいきした人間らしいものを保ち続けた。神谷美恵子さんは、そのこと「精神化」と名づけた。
・がんのために亡くなった精神科医 西川喜作氏が、死を前にした自らの心理の動きを精神科医ならではの心の眼で克明に記録した「輝やけ我が命の日々よ ガンを宣告された精神科医の10000日」
・10年ほど前のこと、私は次男を亡くしてからしばらくの間、離人症的な精神状態に陥っていた。仕事をする意欲が湧いてこないだけでなく、街に出ても、風景が無機質なモノクロかせいぜいセピア色一色の静止画像のようにしか見えない。混雑する駅頭で談笑する若者たちを見ても、活気や温もりなどはまるで感じられない。その時、私の中に二つの異質な時間が流れていたのだ。一つは、私だけが個人的に直面している現実と結びついた「一人称的な時間」。そして、もう一つは、主観的な感覚や意識に関係なく、誰の上にも共通に流れている客観性を持った「三人称的な時間」である。同時に学んだのは、人間が生きるうえで決定的に重要なのは、「一人称的な時間」の中で、「生きられた瞬間」を持てたかどうかということだった。
・生きがい療法の基本方針五項目の中で特に注目したいのは次の三つだ。
1)今日一日の生きる具体的な目標を自覚して、全力投球すること。
2)今日一日の生きる具体的な目標を自覚して、全力投球すること。
3)人のためになることをすること。
・末期がんに侵され、看護の仕事ができなくなって絶望している看護婦との対話を記している。その中でフランクルは、病人たちを看護できなくなった自分を無意味な存在だと考えるとしたら、それはこれまで身を捧げてきた数多くの病人たちの人生の意味を全否定することになるのではないかと語り、さらに「まだあなたの役割は残されている」として、寝たきりになっても精神的に気高い生き方を示すならば、多くの病人にゃ重度の障害者の生きる意味を実証することになるのだと言ったという。
・河合隼雄先生が、アメリカ先住民ナホバのメディスンマンを尋ねる旅に出て、「ナホバへの旅、たましいの風景」だ。クライエントの心を見つめるだけでなく、今なお自らの内面を耕すための探索の努力をひたむきに続けているのだ。
・人間が賢く生きるために必要な深い知恵は、実は大昔の神話や昔話という形で語り伝えられている。それが「神話の知」だ。河合隼雄先生がずっと以前から、昔話や童話の世界を独特の視点で読み解いてきたのは、そういう問題意識を背景にしてのことだった。
・神奈川県綾瀬市の金子寿さん(1960生まれ)は高校二年生の時、体操部の練習中に鉄棒から転落して首を骨折、救急車で国立病院に運ばれた。医師による懸命の治療で一命を取りとめることがことができた。しかし、頚髄損傷で方から下は全く動かすことができなくなっていた。一年間の入院にもかかわらず、車椅子にのることさえできず、リハビリ専門の病院に転院した。生きる意欲もわからずに、二年間も家に閉じこもって、テレビばかり見ている日々を過ごした。そんなある日、欧米で自分より重度で人工呼吸器まで使っている障害者が、しっかりと自立生活を送っている姿を、テレビで見て、<何かしなければいけない!>と思うようなった。口に筆をくわえて、好きだった絵を描くことを始めた。それは生きる励みになったが、そのうちに<もっと違うこと、誰もやっていないことに挑戦しよう>と思うようになり、障害者が差別されることなく主体性をもって地域で自立して生きられる社会づくりを目指して、同じ障害者の仲間たちとグループ活動を立ち上げた。活動は着実に進展し、障害者同士の相互扶助(ピアサポート)や途上国への車椅子寄贈を行っている。車椅子寄贈は、新聞や口コミで呼びかかけて不要になった中古のものを集めて贈るもので、十年間十五か国に約二百九十台を贈ってきた。金子さんは、そうした活動のなかで知り合ったヘルパーをしていた女性と結婚した。金子さんの人生観はこうだ。
<障害を負ったことは不運なことだが、それは決して不幸なことではない! 本当に不幸なことは障害を負ったことによって生きる希望を失い、これからの可能性がいっぱい残された自分の人生を放棄してしまうことだ!>
・人間が生きるのを支える言葉や人との出会いというものは不思議なものだと思う。そこには科学的な因果律は全くはたらいていない。奇蹟と言わずして何と言おうか。そんなところにこそ、人間とは何かの本質が秘められている。
・河合隼雄著「ユング心理学と仏教」
カウンセラーと患者との間における心の動きの転位・逆転移の関係をシンボリックに示すものとして、夏目漱石の次の句を読むことから始めた。
<底の石 動いて見ゆる 清水哉>
心理療法ではたましいのレベルでの理解が重要であり、たましいのレベルでの心の動きの転位・逆転移は、人間と、石、木、川、風などとの関係をモデルとして考えることができる、と述べた。
・読むことは生きる営み
・最近、小・中・高校で「朝の読書」をするところが多くなり、その実践校は全国で一万校を超えたという。その児童生徒数は四百万になる。毎朝、授業開始前のホームルームの十分間から十五分間、自分の好きな本を持参するか図書室から借りるかして読むだけなのだが、この「朝の読書」が軌道に乗ってくると、子どもたちの授業に対する集中力が増し、先生の話を聞く力がついてきたばかりか、遅刻、不登校、いじめが激減した学校が多いという。
・人生の最大の不思議は、出会いだと思う。
・癒し人は言葉が美しい
・医師もまた言葉を使う人である(ギリシャの哲学者ソクラテス)
・看護者たる者は、いまだ経験していないことであっても、それを感知する資質を持たなければならない(日野原重明先生)
・死についてはよく知らぬのだから、それを悪しきものとして怖れる必要はなく、むしろ善いことかもしれない(ソクラテス)
65歳で「月に二冊」という読書生活を創めるとする。九十歳までに実に六百冊の本を読むことになるのだ。何とすばらしい知的人生ではないか!
・デーケンス先生の古希を祝う会で、日野原重明先生が祝辞を述べた。
「私は若いころからいろいろの本を書いてきましたが、本当に売れるようになったのは、八十八歳になって『葉っぱのフレディ』のミュージカル脚本を書いた頃からです(会場の人々が笑う)。昨年暮れに九十歳記念に出した『生き方上手』はおかげでよく売れています。私はあとふた月で九十一歳になります。その日までに九十一万部に達するのは確実です(爆笑と拍手)」みな<参った>という表情になる。祝辞は続く。
「デーケン先生もこれまにたくさんの本をお書きになりましたが、これからです。私の年になるまであと二十年というのは長いですよ(再び爆笑)。これからは売れる本を書いてください(拍手)」
・私は自分に対しいつも<書くことも読むことも生きること>と言い聞かせている。書くにせよ読むにせよ、脳を活発に働かせる作業だ。執筆、読書、演奏、演技、絵画などの表現活動に毎日脳を働かせていいる人は、いつまでも心の持ち方が若々しい。
・いくつになっても創めることを忘れない(日野原重明先生)
・細谷亮太先生
子どもを見る眼の奥深いあたたかさ、子どもに絵本でいのちや死について語りかけるすばらしさは、どこから来るのだろうということだった。
・木の葉髪 といふにはかなし 病棟児
・よられても 患児の軽し 初時雨
・みとること なりはひとして 冬の虹
初冬、抗がん剤治療で髪が抜け、体重も減って、人形のように軽くなってしまった幼い子、なつかれ頼られていたのに、命を救ってあげられなかった。窓の外には初時雨が通り抜け、その後に虹が立ち上がった。この子はあの虹の橋を渡って天国へ行ったのだろうか・・・。患児の死亡診断をして医局に去ってしまうのではない、窓の外の情景まで視野の中に入れている。当然、悲嘆にくれる母親、父親の姿も、しっかりと視野のなかにとらえていよう。疾患だけでなく、人間の悲しみの全体を見据える視野の広さ、細谷先生のあたたかさの原点は、この視野の広さにあったのだ。これこそが医療者に求められているものだと、その後幾度となく、私は医師や看護師向けの講演でこれらの三句を紹介してきた。そして、それは作家としての自分にも求められている視点なのだと受けとめて『桜桃』(細谷亮太作)を座右の書架に並べている。
・いつもそばに本が
・不生不滅は色即是空と表裏一体なのだと、私は思った。気がつけば、少年期における次兄や父との別れや「色即是空」の意味を探し求める気持ちが、いつしか、「生と死」をテーマに作品を書くようになった私の原点になっていたのだった。
感想;
人生、どう生きるか。
それが問われているように思いました。
そのためには、読むこと、書くこと(語ること)が必要なのでしょう。
どうこうどうするか。
笑顔を選択するかどうか。
愛語を放すかどうか。
まさに選択肢であり、自分の人生の選択肢であり、その結果が自分の未来なのでしょう。
今の自分ではなく、未来の自分の姿を見つめて今を大切にすることなのでしょう。
「あなたが、いま、一番してほしいことは何ですか」と
ジェーンは、しばらく考えると、「お父さんかお母さんに、ずっとそばにいてほしい」と言った。「それは簡単なことです。この部屋にもう一つベッドを入れれば、二十四時間付き添うことができますよ」。医師はそう言うと、両親のほうに顔を向けた。ビクター(父)はすかさず答えた。「私が泊まることにしよう。心配はいらないよ」「でも」と、今度はジェーンのほうがためらった。「お父さんがずっとここにいたら、仕事ができなくなるわ」。医師がすぐに言葉をはさんだ。「向こうの部屋に机を置きますから、お父様は必要があれば、どうぞそちらで執筆してください。ジェーン、心配しなくても大丈夫」
そんな会話が交わされるうちに、夫妻がふと気がつけば、絶叫するほどの痛みにもだえていたジェーンが、痛みを訴えないばかりか、穏やかそうな表情を取り戻していたのだ。痛みとは、時として精神的な不安や恐怖の、形を変えた表現であることが少なくない。医学的な対処にしか目を向けない医療者は、そのことに気づかないのだ。
・作家 高山文彦氏の渾身の作と言うべき「火花 北条民雄の生涯」
読み返すほどに、随所に新しい発見や感動があったが、一貫して伝わってくるのは<言葉は凄い>ということだった。
・人がいったん厳しい病気に襲われたり、重大な怪我によって重い障害を背負ったり、死が避けられない状態に陥ったりすると、書く動機が極めて緊迫感に満ちたものになってくる。
・逆境こそが、人間の密度の濃い真の「生」を生きる条件と言おうか。このパラドックスを生きているのが人間の業なのかもしれない。そして、そのパラドックスの究極が、人間は死を前にしてはじめて本当の「生」に気づき、それゆえに死を前にした言葉がいのちの叫びとも言うべき緊迫感に満ちたものになってくるということなのではないか。
・人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。
・人間をつなぎ合わせているものは、「人間関係」つまり信頼と愛である
(河野医師、ユング派心理学者の門をたたいた)
・一人の人間の精神的ないのちというものは、死では終わらない。旅立つことによって鈍化されたその人の永続的ないのち(それは魂と呼ぶにふさわしい)は、家族や友人たちの心の中で生き続けるのだ。しかも、愛する人の生きた証しを心の中に抱擁した人々は、その永遠のいのちの止むことなき語りかけによって、逆にあたたかい生のエネルギーをもらうという不思議が生じる。
・ハンセン病患者の隔離施設で、非人道的に疎外され未来も奪われた状況の中で、患者たちは身も心も崩れていったのだが、数少ない人達は文芸や宗教などの精神的な生きがいを持つことによって、いきいきした人間らしいものを保ち続けた。神谷美恵子さんは、そのこと「精神化」と名づけた。
・がんのために亡くなった精神科医 西川喜作氏が、死を前にした自らの心理の動きを精神科医ならではの心の眼で克明に記録した「輝やけ我が命の日々よ ガンを宣告された精神科医の10000日」
・10年ほど前のこと、私は次男を亡くしてからしばらくの間、離人症的な精神状態に陥っていた。仕事をする意欲が湧いてこないだけでなく、街に出ても、風景が無機質なモノクロかせいぜいセピア色一色の静止画像のようにしか見えない。混雑する駅頭で談笑する若者たちを見ても、活気や温もりなどはまるで感じられない。その時、私の中に二つの異質な時間が流れていたのだ。一つは、私だけが個人的に直面している現実と結びついた「一人称的な時間」。そして、もう一つは、主観的な感覚や意識に関係なく、誰の上にも共通に流れている客観性を持った「三人称的な時間」である。同時に学んだのは、人間が生きるうえで決定的に重要なのは、「一人称的な時間」の中で、「生きられた瞬間」を持てたかどうかということだった。
・生きがい療法の基本方針五項目の中で特に注目したいのは次の三つだ。
1)今日一日の生きる具体的な目標を自覚して、全力投球すること。
2)今日一日の生きる具体的な目標を自覚して、全力投球すること。
3)人のためになることをすること。
・末期がんに侵され、看護の仕事ができなくなって絶望している看護婦との対話を記している。その中でフランクルは、病人たちを看護できなくなった自分を無意味な存在だと考えるとしたら、それはこれまで身を捧げてきた数多くの病人たちの人生の意味を全否定することになるのではないかと語り、さらに「まだあなたの役割は残されている」として、寝たきりになっても精神的に気高い生き方を示すならば、多くの病人にゃ重度の障害者の生きる意味を実証することになるのだと言ったという。
・河合隼雄先生が、アメリカ先住民ナホバのメディスンマンを尋ねる旅に出て、「ナホバへの旅、たましいの風景」だ。クライエントの心を見つめるだけでなく、今なお自らの内面を耕すための探索の努力をひたむきに続けているのだ。
・人間が賢く生きるために必要な深い知恵は、実は大昔の神話や昔話という形で語り伝えられている。それが「神話の知」だ。河合隼雄先生がずっと以前から、昔話や童話の世界を独特の視点で読み解いてきたのは、そういう問題意識を背景にしてのことだった。
・神奈川県綾瀬市の金子寿さん(1960生まれ)は高校二年生の時、体操部の練習中に鉄棒から転落して首を骨折、救急車で国立病院に運ばれた。医師による懸命の治療で一命を取りとめることがことができた。しかし、頚髄損傷で方から下は全く動かすことができなくなっていた。一年間の入院にもかかわらず、車椅子にのることさえできず、リハビリ専門の病院に転院した。生きる意欲もわからずに、二年間も家に閉じこもって、テレビばかり見ている日々を過ごした。そんなある日、欧米で自分より重度で人工呼吸器まで使っている障害者が、しっかりと自立生活を送っている姿を、テレビで見て、<何かしなければいけない!>と思うようなった。口に筆をくわえて、好きだった絵を描くことを始めた。それは生きる励みになったが、そのうちに<もっと違うこと、誰もやっていないことに挑戦しよう>と思うようになり、障害者が差別されることなく主体性をもって地域で自立して生きられる社会づくりを目指して、同じ障害者の仲間たちとグループ活動を立ち上げた。活動は着実に進展し、障害者同士の相互扶助(ピアサポート)や途上国への車椅子寄贈を行っている。車椅子寄贈は、新聞や口コミで呼びかかけて不要になった中古のものを集めて贈るもので、十年間十五か国に約二百九十台を贈ってきた。金子さんは、そうした活動のなかで知り合ったヘルパーをしていた女性と結婚した。金子さんの人生観はこうだ。
<障害を負ったことは不運なことだが、それは決して不幸なことではない! 本当に不幸なことは障害を負ったことによって生きる希望を失い、これからの可能性がいっぱい残された自分の人生を放棄してしまうことだ!>
・人間が生きるのを支える言葉や人との出会いというものは不思議なものだと思う。そこには科学的な因果律は全くはたらいていない。奇蹟と言わずして何と言おうか。そんなところにこそ、人間とは何かの本質が秘められている。
・河合隼雄著「ユング心理学と仏教」
カウンセラーと患者との間における心の動きの転位・逆転移の関係をシンボリックに示すものとして、夏目漱石の次の句を読むことから始めた。
<底の石 動いて見ゆる 清水哉>
心理療法ではたましいのレベルでの理解が重要であり、たましいのレベルでの心の動きの転位・逆転移は、人間と、石、木、川、風などとの関係をモデルとして考えることができる、と述べた。
・読むことは生きる営み
・最近、小・中・高校で「朝の読書」をするところが多くなり、その実践校は全国で一万校を超えたという。その児童生徒数は四百万になる。毎朝、授業開始前のホームルームの十分間から十五分間、自分の好きな本を持参するか図書室から借りるかして読むだけなのだが、この「朝の読書」が軌道に乗ってくると、子どもたちの授業に対する集中力が増し、先生の話を聞く力がついてきたばかりか、遅刻、不登校、いじめが激減した学校が多いという。
・人生の最大の不思議は、出会いだと思う。
・癒し人は言葉が美しい
・医師もまた言葉を使う人である(ギリシャの哲学者ソクラテス)
・看護者たる者は、いまだ経験していないことであっても、それを感知する資質を持たなければならない(日野原重明先生)
・死についてはよく知らぬのだから、それを悪しきものとして怖れる必要はなく、むしろ善いことかもしれない(ソクラテス)
65歳で「月に二冊」という読書生活を創めるとする。九十歳までに実に六百冊の本を読むことになるのだ。何とすばらしい知的人生ではないか!
・デーケンス先生の古希を祝う会で、日野原重明先生が祝辞を述べた。
「私は若いころからいろいろの本を書いてきましたが、本当に売れるようになったのは、八十八歳になって『葉っぱのフレディ』のミュージカル脚本を書いた頃からです(会場の人々が笑う)。昨年暮れに九十歳記念に出した『生き方上手』はおかげでよく売れています。私はあとふた月で九十一歳になります。その日までに九十一万部に達するのは確実です(爆笑と拍手)」みな<参った>という表情になる。祝辞は続く。
「デーケン先生もこれまにたくさんの本をお書きになりましたが、これからです。私の年になるまであと二十年というのは長いですよ(再び爆笑)。これからは売れる本を書いてください(拍手)」
・私は自分に対しいつも<書くことも読むことも生きること>と言い聞かせている。書くにせよ読むにせよ、脳を活発に働かせる作業だ。執筆、読書、演奏、演技、絵画などの表現活動に毎日脳を働かせていいる人は、いつまでも心の持ち方が若々しい。
・いくつになっても創めることを忘れない(日野原重明先生)
・細谷亮太先生
子どもを見る眼の奥深いあたたかさ、子どもに絵本でいのちや死について語りかけるすばらしさは、どこから来るのだろうということだった。
・木の葉髪 といふにはかなし 病棟児
・よられても 患児の軽し 初時雨
・みとること なりはひとして 冬の虹
初冬、抗がん剤治療で髪が抜け、体重も減って、人形のように軽くなってしまった幼い子、なつかれ頼られていたのに、命を救ってあげられなかった。窓の外には初時雨が通り抜け、その後に虹が立ち上がった。この子はあの虹の橋を渡って天国へ行ったのだろうか・・・。患児の死亡診断をして医局に去ってしまうのではない、窓の外の情景まで視野の中に入れている。当然、悲嘆にくれる母親、父親の姿も、しっかりと視野のなかにとらえていよう。疾患だけでなく、人間の悲しみの全体を見据える視野の広さ、細谷先生のあたたかさの原点は、この視野の広さにあったのだ。これこそが医療者に求められているものだと、その後幾度となく、私は医師や看護師向けの講演でこれらの三句を紹介してきた。そして、それは作家としての自分にも求められている視点なのだと受けとめて『桜桃』(細谷亮太作)を座右の書架に並べている。
・いつもそばに本が
・不生不滅は色即是空と表裏一体なのだと、私は思った。気がつけば、少年期における次兄や父との別れや「色即是空」の意味を探し求める気持ちが、いつしか、「生と死」をテーマに作品を書くようになった私の原点になっていたのだった。
感想;
人生、どう生きるか。
それが問われているように思いました。
そのためには、読むこと、書くこと(語ること)が必要なのでしょう。
どうこうどうするか。
笑顔を選択するかどうか。
愛語を放すかどうか。
まさに選択肢であり、自分の人生の選択肢であり、その結果が自分の未来なのでしょう。
今の自分ではなく、未来の自分の姿を見つめて今を大切にすることなのでしょう。