来年デビュー40年。59~60kgの体重がだったのが63kgに。
毎年かかさず全国ツアーとディナーショーをずっとやっている。これまでの70数曲の内65曲は踊っている。ファンからそろそろMCを増やしたらと言われる。終わった後に湿布を貼りまくっている。
1曲目はこの世界を目指すきっかけになった曲。山梨県の甲府に住んでいた。12歳で初めてジャニーズに入った。そこで音楽のレッスンを受け、そこで見たJACKSON5「I Whant You Back」を、これはなんだ!と思った。
姉2人と妹1人。親父は早く亡くなった。女性向けの雑誌やマンガなどあり、そこにアイドルが載っていて、楽しそうだなと思った。
山梨から一人でジャニーズ事務所を訪ねた。なかなか会えなかった。事務所の前をうろうろしていた。そうしたら事務所の人が声をかけてくれた。ジャニーズさんが東京の日劇にいるから逢いに行きなさいと。会ったら、「レッスンに来なさい」と。母子家庭だったので、自分で働いてお金を稼いだ。それから甲府から毎週通った。交通費はジャニーさんが出してくれた。それがなかったらやっていけなかった。高校卒業してから、金八先生にでた。そしてたのきんトリオができた。よっちゃんはとても優しくて、性格が一番良い。でもこの世界は良すぎてもよくない。踏み倒していくぐらいでないと。
19080年はアイドルとして休みまったくなし。朝8時から写真、お昼ドラマやって、そしてTVドラマ、夜ラジオ番組。夜はゾンビみたい。気持ちは出してはいけないくらい。当時は若い男のアイドルが他にいなかった。
トップテンは奇抜な企画を行っていた。聖子ちゃんとテニスをやりながら歌ったり。楽しかったけど。将来について、忙しすぎて考えることはなかった。合宿所に着いたら寝るだけだった。田原俊彦として使命感が、10年はしっかりやるぞ、そして結婚するぞ!と。結婚は33歳で結婚した。
親父が小学校入ったらなくなったので、幸せな家族そろっている家庭を築きたいと思った。子どもができた。その時の時の問題発言「僕ぐらいビッグになると隠密にはできない」と。週刊誌でそのビッグの箇所だけ切り取られた。それから仕事が来なくなった。マスコミにすごく追いかけられていたので、マスコミをやっつけたやろうと思ったのかもしれない。それから干された。それを人のせいにするのではなく、自分に力がないからでしょうと思った。その間もコンサートもやっていた。会場は小さくなったし、お客さんも離れたのを感じた。その秋くらいにジャニーズ事務所を辞めた。一人でやっていくべきかと思った。その当時は自由が欲しかった。仕事が減ったことでなおさら思った。田原俊彦だから、やれるところまで行こうと。2011年爆笑問題と一緒の番組で出た。二人とは同世代で、楽しい。田中さんは僕の曲なら全部歌える。太田光さんから「俺も空気読めないが、お前も読めない」と言われる。
2曲目 サタデーナイトフィーバー「How Deep Is Your Love」。サワコさんとダンス。踊りをずっと続けているのが田原俊彦さん。
やはりわかい時に比べるとやはり落ちる。実際に足を上げた。
感想;
華やかな世界。しかし、その裏にも様々な苦労があるようです。
とても忙しかった時、「何も考えないようにした」とのこと。
あれこれ考えるから、不安が出てきて、その不安に押しつぶされることがあります。
時には、何も考えずに目の前のことをやることだけするというのもよいのだなと思いました。
毎年かかさず全国ツアーとディナーショーをずっとやっている。これまでの70数曲の内65曲は踊っている。ファンからそろそろMCを増やしたらと言われる。終わった後に湿布を貼りまくっている。
1曲目はこの世界を目指すきっかけになった曲。山梨県の甲府に住んでいた。12歳で初めてジャニーズに入った。そこで音楽のレッスンを受け、そこで見たJACKSON5「I Whant You Back」を、これはなんだ!と思った。
姉2人と妹1人。親父は早く亡くなった。女性向けの雑誌やマンガなどあり、そこにアイドルが載っていて、楽しそうだなと思った。
山梨から一人でジャニーズ事務所を訪ねた。なかなか会えなかった。事務所の前をうろうろしていた。そうしたら事務所の人が声をかけてくれた。ジャニーズさんが東京の日劇にいるから逢いに行きなさいと。会ったら、「レッスンに来なさい」と。母子家庭だったので、自分で働いてお金を稼いだ。それから甲府から毎週通った。交通費はジャニーさんが出してくれた。それがなかったらやっていけなかった。高校卒業してから、金八先生にでた。そしてたのきんトリオができた。よっちゃんはとても優しくて、性格が一番良い。でもこの世界は良すぎてもよくない。踏み倒していくぐらいでないと。
19080年はアイドルとして休みまったくなし。朝8時から写真、お昼ドラマやって、そしてTVドラマ、夜ラジオ番組。夜はゾンビみたい。気持ちは出してはいけないくらい。当時は若い男のアイドルが他にいなかった。
トップテンは奇抜な企画を行っていた。聖子ちゃんとテニスをやりながら歌ったり。楽しかったけど。将来について、忙しすぎて考えることはなかった。合宿所に着いたら寝るだけだった。田原俊彦として使命感が、10年はしっかりやるぞ、そして結婚するぞ!と。結婚は33歳で結婚した。
親父が小学校入ったらなくなったので、幸せな家族そろっている家庭を築きたいと思った。子どもができた。その時の時の問題発言「僕ぐらいビッグになると隠密にはできない」と。週刊誌でそのビッグの箇所だけ切り取られた。それから仕事が来なくなった。マスコミにすごく追いかけられていたので、マスコミをやっつけたやろうと思ったのかもしれない。それから干された。それを人のせいにするのではなく、自分に力がないからでしょうと思った。その間もコンサートもやっていた。会場は小さくなったし、お客さんも離れたのを感じた。その秋くらいにジャニーズ事務所を辞めた。一人でやっていくべきかと思った。その当時は自由が欲しかった。仕事が減ったことでなおさら思った。田原俊彦だから、やれるところまで行こうと。2011年爆笑問題と一緒の番組で出た。二人とは同世代で、楽しい。田中さんは僕の曲なら全部歌える。太田光さんから「俺も空気読めないが、お前も読めない」と言われる。
2曲目 サタデーナイトフィーバー「How Deep Is Your Love」。サワコさんとダンス。踊りをずっと続けているのが田原俊彦さん。
やはりわかい時に比べるとやはり落ちる。実際に足を上げた。
感想;
華やかな世界。しかし、その裏にも様々な苦労があるようです。
とても忙しかった時、「何も考えないようにした」とのこと。
あれこれ考えるから、不安が出てきて、その不安に押しつぶされることがあります。
時には、何も考えずに目の前のことをやることだけするというのもよいのだなと思いました。