・ブッダの教説は「経」、戒律は「律蔵」として編集された。
これらは「原始経典」と呼ばれ、南方上座部に伝わる経典は、パーリ語で書かれた「長部」「中部」「相応部」「増支部」「小部」の五部、漢訳された経典は「阿含経」と呼ばれ、「長阿含」「中阿含」「増一阿含」「増阿含」の四阿含です。
これに対して、大乗経典はその成立の歴史から初期・中期・後期に分けられ、その数の多いことと、「私はこのように聞いている」(如是我聞)ではじまってブッダによって説かれたいう形式をとりながらも、それぞれの経典が独自の主題を持っていることが、原始仏教と異なる点です。
例えば、大乗仏教運動の最初期に成立した「般若経」は「智慧の完成(般若波羅蜜)」「六つの知恵の完成行(六波羅密)」「一切皆空」などを主題とし、「法華経」はブッダの永遠性(久遠実成の仏)、ブッダの一乗だけが真実であること、観世音菩薩の信仰などを主なテーマとして掲げ、「浄土三部経」(「阿弥陀仏」「無量寿経」「観無量寿経」)は阿弥陀仏による極楽往生を主題としています。
また、中期大乗仏教は如来像や仏性、唯識思想などをテーマとし、後期大乗経典は密教思想を主なテーマとしています。
これらの大乗経典のテーマのなかには、すでに原始経典のなかに「芽生え」として説かれているものも少なく、それらを大乗経典は「大きな、偉大な乗り物」の立場から発展させました。
例えば、「般若経」の主張する「一切は空である」という教えも、原始仏教ですでに「四法印」の一つとして説かれていますが、「般若経」では「智慧の完成」というテーマのもとで、「六つの智慧の完成行」などと関連して新しい意味と目的をもって説かれるようになったのです。
・ヒンドゥー教といいますのは、身分差別を前提として成り立つ宗教です。インドの身分差別は、いわゆるカースト制というものです。「カースト」に相当するインドの言葉には、「色」を意味する「ヴァルナ」と「生まれ」を意味する「ジャーティ」とがあります。ヴァルナ制でいいますと、上から、祭管を固有の職業とするバラモン階級、政治を固有の職業とするクシャットリヤ階級、商業・工業・農業に従事する庶民であるヴァイシャ階級、これらの三階級に奉仕する隷民であるシュードラ階級とがあります。これは四姓といわれます。そして、それよりもさらに下に、ヴァルナに属さない階級、いわゆるアウト・カーストがいます。
ヒンドゥー教では、男女の差別もうるさくいわれます。しかし、仏教の開祖のゴーダマ・ブッダは、階級の違いも男女の違いも意に介せず、万人に平等に教えを説きました。
・ジャイナ教では、出家修行者が守るべき五大誓戒を説いている。
①生き物を殺すなかれ(植物も)
②真実の言葉を語れ
③盗むなかれ
④淫事をおこなうなかれ
⑤なにものも所有するなかれ
・仏教では五戒
①不殺生(植物は生き物と考えていない)
②不妄語
③不偸盗
④不邪淫
⑤不飲酒
・「華厳経」を所依の経典として華厳宗が成立、「大日経」に依って真言宗が、「法華経」に依って日蓮宗が、「浄土三部経」に依って浄土宗や浄土真宗が成立し、不立文字を建前とする禅宗でも「金剛般若経」や「観音経」が日常的に読誦されています。
・三心(至誠心/深心/廻向発願心)と三信
「観経」の三心は定散二機の心なり。定散二善を回して、「大経」の三信をえんとねがう方便の深心と至誠心としるべし(唯信鈔文意)
感想;
宗教を信じている人と話をしていると、その宗教に縁があり、それを信じている人が多いです。
多くの宗教の中からその宗教を選んだという人はほとんどいらっしゃいませんでした。
中には最初の宗教が合わなかったので、次に縁があった宗教を信じているという方はいらっしゃいましたが。
統一教会が問題になった時、当時の私の上司が「統一教会とはキリスト教の一派だろう」と発言されていました。
大学の同じ研究室の同級生が「小説など読んで何に役立つの? 科学の本を読まなければ」と言っていました。それが、就職した会社を辞め幸福の科学の熱心な信者になり選挙にも立候補していました。
自分の信じている宗教がどのような背景があり、社会的にどのように認知されているのかを知っておられたらと思います。
その宗教を判断する時、社会的な認知だけでなく、信じている人がどのような行動をされているかを見るようにしています。
周りの人のことを思い、社会に貢献される働きをされている人が多い宗教は信じるに値する宗教ではないでしょうか?
これらは「原始経典」と呼ばれ、南方上座部に伝わる経典は、パーリ語で書かれた「長部」「中部」「相応部」「増支部」「小部」の五部、漢訳された経典は「阿含経」と呼ばれ、「長阿含」「中阿含」「増一阿含」「増阿含」の四阿含です。
これに対して、大乗経典はその成立の歴史から初期・中期・後期に分けられ、その数の多いことと、「私はこのように聞いている」(如是我聞)ではじまってブッダによって説かれたいう形式をとりながらも、それぞれの経典が独自の主題を持っていることが、原始仏教と異なる点です。
例えば、大乗仏教運動の最初期に成立した「般若経」は「智慧の完成(般若波羅蜜)」「六つの知恵の完成行(六波羅密)」「一切皆空」などを主題とし、「法華経」はブッダの永遠性(久遠実成の仏)、ブッダの一乗だけが真実であること、観世音菩薩の信仰などを主なテーマとして掲げ、「浄土三部経」(「阿弥陀仏」「無量寿経」「観無量寿経」)は阿弥陀仏による極楽往生を主題としています。
また、中期大乗仏教は如来像や仏性、唯識思想などをテーマとし、後期大乗経典は密教思想を主なテーマとしています。
これらの大乗経典のテーマのなかには、すでに原始経典のなかに「芽生え」として説かれているものも少なく、それらを大乗経典は「大きな、偉大な乗り物」の立場から発展させました。
例えば、「般若経」の主張する「一切は空である」という教えも、原始仏教ですでに「四法印」の一つとして説かれていますが、「般若経」では「智慧の完成」というテーマのもとで、「六つの智慧の完成行」などと関連して新しい意味と目的をもって説かれるようになったのです。
・ヒンドゥー教といいますのは、身分差別を前提として成り立つ宗教です。インドの身分差別は、いわゆるカースト制というものです。「カースト」に相当するインドの言葉には、「色」を意味する「ヴァルナ」と「生まれ」を意味する「ジャーティ」とがあります。ヴァルナ制でいいますと、上から、祭管を固有の職業とするバラモン階級、政治を固有の職業とするクシャットリヤ階級、商業・工業・農業に従事する庶民であるヴァイシャ階級、これらの三階級に奉仕する隷民であるシュードラ階級とがあります。これは四姓といわれます。そして、それよりもさらに下に、ヴァルナに属さない階級、いわゆるアウト・カーストがいます。
ヒンドゥー教では、男女の差別もうるさくいわれます。しかし、仏教の開祖のゴーダマ・ブッダは、階級の違いも男女の違いも意に介せず、万人に平等に教えを説きました。
・ジャイナ教では、出家修行者が守るべき五大誓戒を説いている。
①生き物を殺すなかれ(植物も)
②真実の言葉を語れ
③盗むなかれ
④淫事をおこなうなかれ
⑤なにものも所有するなかれ
・仏教では五戒
①不殺生(植物は生き物と考えていない)
②不妄語
③不偸盗
④不邪淫
⑤不飲酒
・「華厳経」を所依の経典として華厳宗が成立、「大日経」に依って真言宗が、「法華経」に依って日蓮宗が、「浄土三部経」に依って浄土宗や浄土真宗が成立し、不立文字を建前とする禅宗でも「金剛般若経」や「観音経」が日常的に読誦されています。
・三心(至誠心/深心/廻向発願心)と三信
「観経」の三心は定散二機の心なり。定散二善を回して、「大経」の三信をえんとねがう方便の深心と至誠心としるべし(唯信鈔文意)
感想;
宗教を信じている人と話をしていると、その宗教に縁があり、それを信じている人が多いです。
多くの宗教の中からその宗教を選んだという人はほとんどいらっしゃいませんでした。
中には最初の宗教が合わなかったので、次に縁があった宗教を信じているという方はいらっしゃいましたが。
統一教会が問題になった時、当時の私の上司が「統一教会とはキリスト教の一派だろう」と発言されていました。
大学の同じ研究室の同級生が「小説など読んで何に役立つの? 科学の本を読まなければ」と言っていました。それが、就職した会社を辞め幸福の科学の熱心な信者になり選挙にも立候補していました。
自分の信じている宗教がどのような背景があり、社会的にどのように認知されているのかを知っておられたらと思います。
その宗教を判断する時、社会的な認知だけでなく、信じている人がどのような行動をされているかを見るようにしています。
周りの人のことを思い、社会に貢献される働きをされている人が多い宗教は信じるに値する宗教ではないでしょうか?