幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「心臓に毛が生えている理由」米原万里著 ”発想が素晴らしい!”

2018-06-03 03:43:08 | 本の紹介
・オホーツクの町の郵便局で切手を買おうとして窓口を除いていると、係員の座席は空いている。隣の窓口のヒマそうな職員が怒鳴る。
「そきにいつまで立ってても無駄よ。この人は病気なの」
「それじゃ、代わりに切手を売ってくださいませんか」
「あなた、何てことをおっしゃるの」
職員は呆れ返った顔をして、こちらをにらみつける。
「そんなこと、できるはずないでしょ! わたしには、この人の職場を侵す権利はないのよ」
郵便局内を見回すと、ヒマを持て余し気味の職員がアチコチで、おしゃべりしたり、チェスを売ったりしている。

・ロシアは、「格子無き牢獄」とと呼ばれる広大なシベリアの大地を擁していた故に、死刑を習慣化せずに済んだのかも知れない。四方を海に囲まれた日本に、島流しの伝統があったように。もっとも、ロシアのこの素晴らしい伝統は、レーニンとその後を継いだスターリンによって台無しにされてしまった。自分が処刑されずに流刑だったおかげで革命を成し遂げたレーニンは、皇帝一家全員を銃殺してしまう。その後、スターリンが、数百万の自国民を処刑したのは、ご存知の通り。

・通訳者を紹介して欲しいという顧客が、次のような条件を口にすることがしばしばある。
「なるべく若くて美人の人を」
しかし、こんなとき、
「若くて美人だけど、通訳としての腕はあまり高くない人と、さほど若くも美人でもないけれど、達人の通訳者とどちらがよろしいですか?」
と尋ね返すと、必ずと言っていいほど、全社を諦めて後者を所望する。理想は「花も団子も」なのだろう。が、最終的には「団子」に落ち着くのだ。

・おとぎ話には、別なメッセージも込められている。働かず、甘やかされた継母の実の娘たちは、わがままでバカで薄情で意地悪で傲慢なのに対して、働き者のシンデレラも、白雪姫も、『森は生きている』の継娘も、優しくて賢くて皆に愛されている。だからこそ、社会的に成功もする。これは偶然などではなくて、労働こそが人を真っ当にすることに、人類は古くから気付いていたのではないだろうか。というわけで、賢明な母親だったら、伝て王的な継子いじめの方法を逆転させることだろう。自分の産んだ娘たちの方をさんざん働かせ、尻をたたいて家事と学問を身につけさせる一方で、継子はお客様扱いで、掃除洗濯何でもしてあげる。もちろん、欲しいものは何でも買ってあげる。そうやって、全く誰の役にも立たない、誰からもあいされず尊敬もされないおバカなエゴイストに育てるのだ。

・毒薬リストにももちろん毒茸は含まれていた。
「先生、どの茸も食べられますか」
「もちろん、どの茸も食べられますよ。ただ、茸によっては、一度だけしか食べられないものもあります」

・ある一家で、年老いた母親の手元がおぼつかなくなってきたということで、家族みんなは陶器の食器を使っていたのだが、老母だけ木の食器をあてがうようにした。そのうちに食べ方が汚いというので、当然のように同じ食卓にも座らせずに独り離れて食事させるようになった。ある日のこと、一家の五歳になる息子がどこからか木の切れ端を見つけてきて一生懸命細工している。息子が怪我をしないか心配になって両親が尋ねた。
「ノミなんか使って危ないじゃないか! いったい何を造ってるんだい」
「パパやママが年取ったときのための食器さ。祖母ちゃんのと同じのだよ」
いたいけな息子の言葉にハッと胸を突かれた親たちは、老婆に対する自分たちの仕打ちの酷さに気付き、以後心改めて老母にもお暗示陶器の食器をあてがい同じ食卓を囲んで食事するようになった。めでたし、めでたし。

・日本の学校の問題
次に列挙する文章の内、正しいものには〇を、間違ったものには×を記せ。
( )刀狩りを実施したのは、源頼朝である。
( )鎌倉幕府を開いたのは、源頼朝である。
( )「源氏物語」の主人公は、源頼朝である。
チェコの学校の問題は論文提出か口頭試問という形での知識の試され方しかしていなかった。
「鎌倉幕府が成立した経済的背景について述べよ」

・通訳で50回以上は「ゴルバチョフ」という語を発した。
ところが、原発預言者であるロシア人スピーカーは、発言の中で二、三回ほどしか「ゴルバチョフ」と言っていないのである。ロシア人はふつう名前と父称をセットにして人を呼ぶ習わしがあるから、ゴルバチョフもミハイル・セルゲイェヴィッチと言われることの方が多いが、それだって二回しか使っていない。では、スピーカーは、何ということばでゴルバチョフを指し示したか。それが、実に多種多様なんである。「彼」なんていう代名詞など、数回しか使っていない。「幼いミーシャ(ミハイルの愛称)」「スタプローポリ州の若き党第一書記」「ライサの夫」「チェルネンコの葬儀委員長」「新しい党書記長」「ペレストロイカの開拓者」「グラースノスチの父」「核軍縮の立役者」「クレムリンの王」「ソ米会談の主人公」「ソ連最初の大統領」等々、とにかく、絶対に同じ単語を使うものか、という美意識に貫かれている。

・あるテストランで、三組のカップルが同じ食卓を囲んでいた。
アメリカ人の夫が妻に呼びかけた。
“Give me the honey, my honey!”蜂蜜を取ってくれないか、僕の蜂蜜ちゃん
イギリス人の夫が妻に呼びかけた。
“Give me the sugar, my sugar!”砂糖を取ってくれないか、僕の蜂蜜ちゃん
日本人の夫も妻に向かって、「ハムを取ってくれないか・・・」といいかけたものの、口をつぐんでしばらく考え込み、それから付け足した。「僕の仔豚ちゃん」

・エライ人が自分の名前を正確に呼んでくれたときの感動はひとしおで、人心掌握が事業の成否を決する政治家や宗教団体の指導者にとっては、名前を覚えることが仕事とも言われるではないか。ちなみに、スターリンは二万人もの同志たちの名前と顔を正確無比に覚えていたらしい。もっとも、そのほとんどを抹殺してしまったが。
というわけで、わたしの人名記憶力が衰えているのは、そんな野心も下心も無い証拠なのだ。

感想
米原万里さんの本をかなり読みました。
とても発想が素晴らしくて、面白くて、なるほどと思います。
もっともっと、お元気で執筆していただきたかったです。