幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

阿川佐和子さん「サワコの朝 後藤久美子さん」 ”しっかり自分の人生を選択する”

2020-01-11 08:18:08 | 生き方/考え方
1974年生まれ。23年ぶり女優復帰。
ジュネーブに住んでいる。2回/年日本に帰っている。
日本にいても私が歩いているとは思わない。電車にも乗っている。パスモも持っている。
12歳の時に大河ドラマ出演。美少女旋風が巻き起こる。21歳の時にレーサー ジャン・アレジと結婚。3児の母。
「男はつらいよ。お帰りなさい寅さん」で復帰。

娘エレナはモデルに。女優をしたいみたい。そしてエレナは日本に住みたいと。
20歳の長男がレーサーをしている。ジャンは息子のレースを熱心に見ている。エレナは私の女優に出ていたのを知っている。ネットで私がでたものなど見つけているようだ。

1曲目はプリンス「Little Red Corvette」
小学校3年生の時。姉がいたので。これを聞いて日本にいたらだめなんだと思った。
いまでも聞いている。
小3の頃に子どもモデルをやっていた。母がオスカープロモーションの子どもモデル募集を見つけて応募して事務所に入った(小4)。
空前の“ゴクミブーム”。普通の学校に通っていたので、忙しかった。自分を見失ってはいけないと思っていた。嫌なこともたくさんあった。嫌なことを忘れるようにできている。思い出せない。顔見たりすると思い出すのかも(サワコ)。

夫を信頼した。家族に会ってステキな人だと思い、この人と家族を創れるなと。第一印象だった。“第一印象”で決まる。この人はこれだけかなと。キャパが狭いのかもしれない。その感覚が自分に合っているのかも。オスカープロモーションの社長に話したら、「まさか?」と。でもその後笑い飛ばして、「任せとけ」と。
渡仏は父に内緒で行った。その後、家族同士会って「おじいちゃんになるのよ」と伝えた。既にお腹には子供がいた。

子どもは、私をゴミ箱扱い。ゴミがでると「はいママ」と。上が7歳くらいになった時に、さすが怒った。「私ゴミ箱ではないのよ」と言った。
TV見てて、私の居場所はないなと感じていた。もともと出たがりではなかった。何か他の仕事があるのではと思った。
日本に帰りたいとは思わない。親兄弟とはいっしょにいたいと思う。親兄弟、友人、食べ物は恋しくなく。なかなか食べられないのはふぐ。冬した食べられない。ふぐ食べる時間はとっていなかったな。

「男はつらいよ お帰り寅さん」に42、43、44、45,48作で泉役で出ていた。山田監督からのお手紙。とても押しが強い方。その前に共通の友だちを通してお電話を貰った。これまで撮ったのをまとめたら面白い。良い返事を待っている。吉岡秀隆君に電話した。大変大変と。日本に来た時に時々食事をする関係だった。
これは私が引き受ける引き受けないものではないと思った。ただ、台詞が覚えることができるかな。家族を追い出してやらないとできないなと。日本に来て2か月ほどいた。下の子は小学高学年。ジャンにママ役もやってくれるように頼んだ。お手伝いしてくれる人にお願いした。学校の先生にもしばらく留守にしますと伝えた。
私にできることはジャンにできる。時々連絡を取っていた。1か月経って、ビデオコールしていたら下の子に泣かれた。ビデオコールはもうしないと。ジャンから下の子は風邪ひいて気弱になっていたんだと。

仕事に戻りたい気持ちは? いろいろやりたい。勉強してみたい。大学に行ってないので。末っ子の服を見ていて、小さくなったから捨てるかなと言ったら、末っ子が次の子にと。いえいえもう子育てはいい。子育てするなら大学に行きたい。下の子は弟か妹を欲しいようだけど。

感想
カーレーサーと結婚して海外に住む。なかなか決断できないことだったと思うのですが。
第一印象の感覚を大切にしている方のようです。
しっかり三人の子育てをされて来られたのでしょう。
また映画への復帰は大変だったと思います。
これからの生き方、どうされるか興味がわきました。