幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

阿川佐和子さん「サワコの朝 立川談春さん」 ”守破離"

2020-01-18 08:22:44 | 生き方/考え方
CM,ドラマなどにも大活躍の落語家。
いまもっともチケットが取れない落語家。独演会を開くと長蛇の列。
師匠は立川談志さん。「俺よりも上手い」と師匠から紹介の場で言われた。
うけなかった特に誰一人落語家は反省していない。

さだまさしさんの食事会で初対面。目の前に阿川佐和子さん。最後にデザートが出て、笑わそうと思って、「阿川佐和子さんの半分いただきたい」と言ったら、ゴマ団子をきれいに半分に切ってくださった。ゴマ団子の形が崩れないようにされたのがとても印象的だった。

テレビを見せてくれない親だった。9時になったら寝なさいと。
1曲目 さだまさしさん「道化師のソネット」。それで動物の番組をやっていた。すごいなと思った。
談志、たけし、さだまさしが3種の“し”。さだまさしさんに会いたいと思った。そのためには自分が売れないといけない。

落語家は役者にならない。演じていない。落語家はせりふを言うと歌みたい。だからできるとは思えなかった。
「ルーズヴェルト」が初めて。唐沢寿明さん、檀れいさんなどの早々たる方々。その前でできるわけがない。そうしたら、プロデューサーさんが飛んできて、出来なければ監督が言うから。
総合芸術だと思った。「さあどうぞ」と言われてすぐにできない。
俳優をやって学んだ。落語は一人芸で、反省しない。うけなかったら、「客が悪い」と客のせいにする。俳優はそうでなかった。
「だったら言わないのですか?」(サワコ)。「言いますよ。そうしないとかっこ悪いから」。

デビュー35周年(今年くらいまで35年)。志の輔、談春、志らく。17歳で落語家へ。
立川談志師匠、古今亭志ん朝師匠のどちらかの弟子になろうと思った。迷った末に、お客さんの反応を見て判断しようとした。
志ん朝師匠の場合はお客さんが「うまかったね。よかったね」とお客さんが帰る。談志師匠の場合はお客さんが直ぐに席を立たずに俯いて考えている。それで談志師匠にした。
“カバン持ち”として初めて現場に言ったら、師匠が来ない。「いつ来ますかね」。1本目来ずに2本目の収録の時に来た。こんな世界があるかと。今思うとこんな人はいない。

褒めるタイミングが絶妙だった談志師匠。めったに褒めないが、もう駄目だという時に、褒めた。師匠は落語協会脱退していたので寄席で見せる場所がなかった。自分たちでその場所を作った。ビールケースの上に座って落語を飲み屋でやった。
結婚式の司会をやって何とか食べることができた。
落語で食べていけるとは思わない。しかし他のしごとでは落語口調が嫌われた。
初めて書いた「赤めだか」で講談社エッセン賞をもらった。
講談社から電話かかった。いたずらだと思った。切ったらまたかかって来た。
「なにくれるのか?」
楯を差し上げます。「いらねえよ」
副賞として100万円。「ありがたい」
電話切ってからネットで講談社エッセン賞を調べたらすごい賞だと思った。
「文学は簡単だな!」
古典落語「芝浜」
働かない夫と働かそうとする妻の人情噺。
茫然自失。師匠は立つことができない。
「守破離」
守;古典落語を忠実に演じる。
破;それを面白くする。
離;独自の境地に達する。
離に到達していた談志師匠。
談志の芝浜はこれ以上ないと思ってもさらに進化していた。
尊敬はできない。尊敬すると泣かないといけない。
亡くなって2日後に弟子が知った。
通夜、火葬、納骨が終わってから連絡がきた。
それを見なかったから良かったのかもしれない。

2曲目 aikoさん「月が溶ける」
アイコさんとつながりができた。35周年でやった。その時にaikoさんに来てもらった。
「月が溶ける」に合わせて古典落語をやった。惚れ込んでいた曲。
憧れていた人が年上だった。それが亡くなって来た。今は年下の人達と。
ひた向きに(下向きに?)やる。
それが自分に一番欠けている。

感想
サワコの朝に出演されたゲストは、サワコさんの質問に応えながら自分のことを話されています。
談春さんは、それを見ている人に面白く感じさせようと、常に笑いを考えながら応えておられるのを強く感じました。

自分に合った師匠をどう決めるか。
上手いだけでなく、落語を聞いて、それを自分の人生に落とし込んで考えさせていた談志師匠が自分の目指したい道だと思われたのでした。
まさに自分がしたいことをしていく。
それがいろいろな分野にも挑戦され、花が開いているのでしょう。
それだけの下積みと努力があったのだと思います。