幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「2人の食費が1日300円…人生で一番苦しい」コロナ第6波がひとり親世帯を直撃 平均月収13万円余に ”国は支援より、より苦しめた政策(一斉休校)や意味のない政策(アベノマスク)を行っている”

2022-05-06 12:15:55 | 新型コロナウイルス
https://www.tokyo-np.co.jp/article/175643 東京新聞2022年5月6日 06時00分
 新型コロナウイルスの流行「第6波」で感染者が急増した2月、ひとり親世帯の平均月収が13万円余だったことが、支援団体による全国調査で分かった。学校休校の影響で休職や時短勤務を余儀なくされ、収入が減ったとの回答が4分の1に上った。収入減で生活が苦しくなった上、最近では物価高騰が追い打ちをかけており、関係者は「公的支援の拡充を急ぐべきだ」と訴えている。

 調査は認定NPO法人「しんぐるまざあず・ふぉーらむ」などが3月中旬から下旬にかけて、支援している約2400人を対象にオンラインで実施し、約1540人が回答。第6波が仕事や家計などに及ぼした影響を聞いた。

◆全体の25%が「減少した」と回答
 結果によると、全体の就業率は81.4%だった。そのうち、派遣社員やアルバイトなどの非正規雇用は67.7%だった。2月の平均収入は全体で13万6000円。正規雇用に限ると19万2000円だった一方、非正規は11万7000円にとどまった。
 第6波では感染力の強いオミクロン株が子どもにも広がり、休校や学級閉鎖が相次いだ。調査では、子どもの面倒を見るために休職したり、時短勤務したりして2月の月収が「減少した」と答えた人が全体の25%ほどいた。
◆早い段階での公的支援が急務
 自由記述では「(保育所の)休園で働けず給料が下がった」「子どもの預け先がなくて仕事を休んだため、昇給や昇格のチャンスも遠のいた」といった意見のほか、「食費は子どもと2人で1日300円。人生で今が一番苦しい」「物価高で食費を切り詰めても追いつかない」という切実な訴えも寄せられた。

 調査に携わった立教大の湯沢直美教授(社会福祉学)は「生存にかかわる状態に陥る前の支援が急務だ」と指摘。しんぐるまざあず・ふぉーらむの赤石千衣子理事長は、公的な雇用支援策や生活資金の貸付制度が不十分な上、コロナ禍も長引いているとして「貸し付け中心の制度対応には限界がある」。ひとり親を対象にした児童扶養手当の増額や、児童手当の支給を中学卒業までから、高校卒業までに引き上げるよう求めた。

感想
日本全体の平均世帯年収は552.3万円
日本全体の平均世帯年収における中央値は437万円となっています。


小中高の一斉休校で仕事を失くした人も多かったようです。
学校給食もなくなったので、そのため食費も上がりました。

第六波では、保育所の閉鎖が多く、仕事が出来なかった人も増えたのでしょう。

一斉休校というコロナ対策にならない、逆に苦しめる政策を実施しました。
アベノマスクの400億円を支援にまわしていたら、どれだか価値のあるお金の使い道になったことでしょう。

政治家はシングルマザーは票にならないからと思って、考慮していないのかもしれません。

日本維新の会の岬麻紀衆院議員に経歴詐称の疑い 刑事告発で名古屋市の河村市長「情けない」 ”維新がどう対処するかで維新の姿勢がわかる”

2022-05-06 11:51:28 | 社会
5/6(金) 7:00 AERA dot.

「また、大変な難題を抱えることになったな」とAERA dot.の記者の取材に、表情をゆがめたのは名古屋市の河村たかし市長。というのも、2019年7月の参院選で、河村氏が代表を務める地域政党の減税日本と日本維新の会が公認した岬麻紀氏(現衆院議員)が、そのときの選挙公報に、虚偽の経歴を記した公職選挙法違反の疑いがあるとして、東京都の男性から名古屋地検に刑事告発されたのだ。

【2019年参院選の岬麻紀氏の選挙公報はこちら】

 告発状の日付は5月1日。内容は、岬氏は19年7月の参院選で愛知選挙区から出馬し、公示後に愛知県選挙管理委員会が配布した選挙公報に、「プロフィール」として「亜細亜大学非常勤講師」との経歴を掲載させたが、同大学で非常勤講師を務めたことはなく、当選を得ようと虚偽の経歴を掲載した、というもの。

 岬氏は、19年の参院選では落選したが、昨年10月の衆院選では、日本維新の会の公認で愛知5区から出馬し、比例復活当選した。この時の選挙公報には、非常勤講師の経歴はなかった。

 選挙公報は、国政や都道府県知事の選挙の際に、自治体の選管が発行し、有権者に配布されることが公職選挙法によって定められている。候補者の氏名や所属政党、経歴などが掲載されている。

 19年の参院選で、愛知県選管が発行した選挙公報の岬氏の「プロフィール欄」には、生年月日や出身地などの後に、会社代表やフリーアナウンサー、亜細亜大学非常勤講師といった経歴が書かれている。このとき、減税日本の愛知県支部長も務めていた。

 AERAdotでは、岬氏が19年6月1日付で、減税日本に提出した経歴などが書かれた書面のコピーを入手した。

 パソコンで打たれた経歴が並ぶ中、最下段に手書きで、

<亜細亜大学非常勤講師>
と書かれている。
 それとともに、岬氏が残している手書きのメモには、亜細亜大学の非常勤講師の後に、
<2013、2015、2016>
 とあった。

 当時、岬氏を面接し、選挙公報の作成にかかわった、減税日本の党幹部はこう振り返る。

「減税日本では最初、別の候補者を検討していたがダメになり、急きょ、他県の元知事の推薦もあって岬氏を擁立する話になりました。選挙公報の作成も必要なので、面接の際には履歴書などを持参するよう伝えました。面接している時に、亜細亜大学の非常勤講師をしていたとの話があり、岬氏自身がペンで履歴書に書き込んだんです。『2013年』など具体的に務めていた年度を話し、メモにすらすらと書いていきました。選挙に出馬しようとする人物がウソをつくこともないだろうと……」

 この点について、亜細亜大学に取材を申し込んだが、「個人情報なのでお答えできません」との回答だった。

 しかし、AERAdotが入手した、亜細亜大学が3月に作成した内部資料には、「岬麻紀」「岬まき」、そして本名の「小出麻紀」という名前の人に、非常勤講師を委嘱した記録はない、と書かれていた。

 岬氏は「株式会社ポリッシュ」という会社の社長であることも、選挙公報に記されている。その法人登記簿では「小出麻紀」となっており、15年10月に社長に就任している。

 河村市長にも詳細を確認すると、

「減税日本の中でも、岬氏の経歴を確認すべきだとの話があり、19年参院選の履歴書なども含めて調査した。亜細亜大学から、岬氏が非常勤講師だったことはないという内容の回答を文書で得たので、岬氏に事情説明を求めようと、4月終わりに電話を入れたが応答がなく、折り返しもない。党としては岬氏と連絡がとれないのでこれ以上、調査のしようがない」

 と話した。その上で、

「弁護士と協議して、刑事告発するかどうか最終的に決めようと考えていた段階だ。疑いを持たれる時点で候補者として失格だ。減税日本公認としたことに対して、有権者におわびしなければならない。情けないことだ」

 との考えを述べた。

 昨年の衆院選は、日本維新の会単独の公認だった。選挙区の愛知5区は、大村秀章・愛知県知事へのリコール署名偽造事件で逮捕・起訴された、田中孝博被告(公判中)が当初、日本維新の会から立候補する予定だった。事件が発覚し田中被告が出馬を撤回。その後、岬氏が候補者となった。

詳細な経緯について、日本維新の会の愛知県総支部代表、杉本和巳衆院議員に聞くと、

「田中被告の事件後、岬氏から愛知5区で出馬したいとの申し出があり、昨年8月に総支部の幹部と2人で面談しました。実は、当時から岬氏の経歴にまつわる疑念がありました。私はそこを指摘して、『大丈夫ですか』と岬氏に確認をとり、問題ないという答えでした。それでも私には腑に落ちないところがあり、党本部に上申書を出し、岬氏が候補者の公認にふさわしいか、そちらで判断してほしいと依頼し、最終的に決まったんです」

 と説明し、こう続けた。

「河村市長からの連絡もあり、『亜細亜大学非常勤講師』が虚偽の可能性があると聞かされた。事実なら大変申し訳なく思う。経歴詐称は絶対に許されない。岬氏は疑念についてきちんと答えるべきだ」

 愛知県では、過去にも経歴が大きな問題となったことがあった。

 1992年の参院選で、ラジオパーソナリティーで知られた新間正次氏が、当時の愛知選挙区から出馬(旧民社党)して当選した。しかし、選挙公報に書かれた<明治大学中退>が、虚偽であることが判明。公職選挙法違反(虚偽事項公表)の罪に問われ、94年に有罪が確定し、当選は無効となった。

 岬氏に事実関係を確認するため、携帯電話に連絡すると、

「岬先生ですか?」
 との問いかけに、
「はい、そうですが」
と答えた。こちらが名乗ると、
「マスコミですか」
 と慌てた様子で言い、突然、秘書という人物に電話をかわり、
「他からもそういう(経歴についての)問い合わせがありました。今の段階で、コメントすることはありません」
 との回答があった。
(AERAdot.編集部・今西憲之)

感想
日本維新の会がきちんと対応をされるかどうかで、維新の姿勢が分かるかと思います。

衆議院の時は、講師は削除しているので、当選には関係ない。
参議院は落選であり、その時はなに手続きの不備があったようですと、言い逃れを書面で出すことがベターな選択肢のように思うのですが。
あるいは秘書が間違えて書いたようで、確認不備でしたと。
逃げていると逃げているのは意図的にしていたということを証明していることになるのですが。

「リアスの海辺から」畠山重篤著 ”「森は海の恋人」森に広葉樹の植林が海の牡蛎を育てる”

2022-05-06 00:22:00 | 本の紹介
・名づけて「森は海の恋人」運動である。
それは私が、昭和59(1984)年、フランスのブルターニの海辺に、牡蛎の養殖事情を視察にいったことがきっかけだった。・・・
川の源は森。私はロワール川上流に足を運んでみた。そこには、思った通り、山毛欅(ブナ)、水楢(ミズナラ)、胡桃、栗などの、広葉樹の大森林地帯が広がっていたのである。それは、杉山に変わる前の三陸の森の原風景であった。
広葉樹の森は海をも支配している。そのとき私はそう確信した。

・植林は1998年で十年目を迎え、その地は「牡蛎の森」と命名されている。漁民のよる植林が橋渡しとなり、上流の森の民と下流の海の民との交流も深まっていった。

・体験学習に訪れた子供たちからも手紙が届いた。「朝シャンで使うシャンプーの量を半分にしました。給食の後の歯磨きのとき、歯磨き粉の量まで注意しています。下流の海の人たちに迷惑はかけられません」というのである。

・村当局も、なるべく農薬を使わない、環境保全型農薬を推進している。もちろん、漁民みずから、海を汚さないよう注意するようになってきた。工場排水の規制強化や、下水道の整備とあいまって、大川流域に暮す人々の環境に対する意識は高まっていった。
その結果、嬉しいことが起こった。
二十年以上も姿を消していた鰻が川を戻りはじめ、海には目張、竜の落とし子などが姿を現してきたのである。
こうして、氣仙沼は確実によみがえりつつある。
「森は海の恋人」という呼びかけに呼応するように、運動は全国に広がっていった。現在、全国三十団体の漁民が、森づくりに励んでいる。

・我が家は小さな牡蛎の養殖場を経営していて、父は私を子供の頃から「牡蛎屋」にしようと決めていたらしい。機会があるごとに、三陸リアスの海辺を連れて歩いていた。

・万石浦は、世界に冠たる下記の種苗、宮城種の産地だからだ。北海道、岩手、新潟佐渡、石川能登、三重、岡山、大分などの国内の産地はもとより、アメリカ、フランスの同業者も「マンゴウラ」の名を知らぬ者はない。

・牡蛎の種は、野菜や花などの種と違って、保存がきかない、

・「仕事は、段取り八分だからな。帆立は特に弱いから、油断すっと殺すぞ」
工藤さん(牡蛎種業者)からくどくいわれたこの言葉を、私も息子に繰り返している。ちょっとの油断で、トラック一台分を全滅させた経験を何度もしているからである。

・「ムール貝」という名前が一般的になったのはせいぜいこの15,16年だろう(2002年出版)。もともとこの貝は、三陸では「しゅうり貝」と呼ばれていた。今から30年ほど前から、フランスに料理の修行に行く人が増え、やがて帰ってきた人々がフランスでも使っている素材である、しゅうり貝を使いだしたのだ。名前も、フランス語の呼び名ムールにめをつけて「ムール貝」になった。名づけ親は築地仲卸の山静さんらしい。

・帆立貝がサンチャゴのしるしとなったのも、それが豊富に取れていたからである。なぜ魚介類がそんなに豊富なのか、それはリアス式海岸だからだ。リアス式海岸とは、森・川・海のバランスのいい海岸、つまり「森は海の恋人」の世界だったのである。

・「森は海のおふくろ」(スペイン)

・この湾を取り囲む緑の森と青黒いビスケー湾を望みながら安どの胸をなでおろすと同時に、十年間苦労を共にしてきた三陸リアスの仲間にも、「やっぱり、間違っていなかたったぞ」と大声で叫びたい衝動に駆られたひとときであった。

・18世紀、200年前、サルバドル・チャビンという宣教師が、オーストリアからユーカリの苗を持ち込んだ。教会の庭に植えておいたら、たちまち大木になることがわかり、ユーカリの植林がはじまったという。ユーカリは十年でパルプ材になるし、切り株からまたひこばえが生えるので、三回の伐採が可能だという。ロブレ(堅くて強靭な木)は、木材になるのに最低五十年はかかるし手入れも必要だ。
そんなことで、たちまちユーカリは、ガリシアの海岸地方に広まっていったという。
「仕方がなかったのだろうね」・・・
ユーカリの葉にはある種の毒(青酸カリ)があり、ほかの植物を映えさせないという性質を持つため、単一林になってしまう。成長がいちじるしく早いということは、土の養分をどんどん吸ってしまうため将来は不毛の山になってしまう恐れがあり、心配だという。さらに、揮発性の成分が含まれていて燃えやすい木のなので、山林火事が頻繁に起きている。
「ロブレだったら湿り気があるから燃えないよ」

感想
三陸の湾で帆立の養殖を初めて行ったのも著者です。

行動力が素晴らしいです。
行って専門家の意見を聴く。
牡蛎が育たなくなり、ずーっとその原因を考えていたそうです。
そして森が海に関係していることを気づかれたようです。

リアスの言葉はスペイン語だと知るとスペインの海岸辺りについて書かれた本を集めて読む。
そしてスペインまで行く。

リアス式とは川が海に注いでいる辺りの湾のことをいうそうです。
なので、川が注いでいないとリアス式の海岸とは言わないとのこと。
海が大地を削ったのではなく、川が大地を削ったそうです。

今は京都大学社会連携教授として森と海の関係などを学生に話をされているそうです。
講演活動もされています。
先日、畠山さんのお話を聴く機会があり、本を読んでみたくなり読みました。

NPO法人 森は海の恋人
自然環境の汚染と影響
昭和40年~50代にかけて気仙沼湾の環境が悪化してきました。赤潮が発生し湾内はまるで醤油を流したような茶色の海となったのです。

1個のカキは呼吸のため1日200リットルもの海水を吸っています。水と一緒に吸い込んだプランクトンがカキの餌なのです。 プロロセントラルミカンスという赤潮プランクトンを吸ったカキの身が赤くなり血カキと名付けられたのです。全く売り物にならず廃棄処分されました。