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おいてけぼり~9060家族~ 35年間ひきこもる女性 支えた父の突然死 抜け出せない“疎外感” ”難しい問題ですがもっと政府は取り組んで欲しい”

2022-05-04 18:58:18 | 社会
https://news.yahoo.co.jp/articles/2e44e5470f09065758aa51f7132a5b54b50616ee 5/4(水) 16:03 中京テレビNEWSおいてけぼり~9060家族~

2019年、家族が高齢化し80代の親が子を支える「ひきこもり家族の高齢化問題」、いわゆる「8050問題」がクローズアップされました。「ひきこもり」は家からまったく出ない人のことだけではありません。内閣府などによりますと、ひきこもりの定義には、たとえ家から出ても、家族以外との交流がほとんどない状態やコンビニや趣味以外に外出しない状態が半年以上続くことも含まれます。中高年(40~64歳)のひきこもり当事者数は約61万人。若年層(15~39歳)の約54万人を上回ります。

「人と社会が怖い…」自宅に引きこもって35年の女性が言いました。
抜け出したくても抜け出せない、「まだまだ自分はおいてけぼり…」ひきこもる中高年の苦しみの告白でした。

本記事では、あるひきこもり女性と家族の記録を通じ、社会が放っておけば8050問題では済まずにいつか“9060問題”になりかねない現実に警鐘をならし、8050問題をどうやったら解決できうるのかを考えます。

■唯一の生きる支えだった“父の死”
91歳の父と暮らす52歳の娘・敬子さん

愛知県の市営団地で91歳の父、63歳の兄と暮らす敬子さん(52)は、4人兄弟の末っ子です。「人と社会が怖い」…昔から話すことが苦手でした。専門学校を中退し、パートで勤めていた工場も2年で辞めさせられ、18歳からひきこもっています。実はこの家にはもう1人のひきこもりが。63歳の長男も、ケガで仕事を辞めてから10年間、パチンコ店と家を往復するだけの日々が多くなっていました。

そんな敬子さんと長男の面倒を見るのは一緒に暮らす父。77歳のときに妻に先立たれ、掃除洗濯など家事全般を含め1人で家族を支えています。

父は、高齢になっても子供の面倒を見なければいけない生活に時々嫌気がさすこともあります。しかし、18万円ほどの年金で家族の生活費をまかない、自身の年金の一部を敬子さんの将来のために貯金するなど、1人で子供の生活を支え、子供の将来を案じつづけてきました。敬子さんは父なしでは絶対に生きていけない状況でした。

そんなある日、12月の寒い朝のことでした。2年にわたり取材を続けている記者に敬子さんから電話がありました。

敬子さん「病院におる。待合室におる。ひとり。(父が)おかしい。なんかいびきかいとって、全然、何言っても話しかけても、何も…」

前日まで普通に会話もでき、一緒に買い物にも行っていた父。しかし、脳腫瘍で突然亡くなったのです。敬子さんは唯一の生きる支えを失いました。

父の遺影を見つめる敬子さん

葬式の日、父の眠る棺に花を手向け、出棺を見送った敬子さん。心ここにあらずといった表情でした。父の死を悼んで泣いてくれる知人もいましたが、敬子さんは涙が出ません。

帰宅後、敬子さんは、父がいつも座っていた座椅子を見つめていました。「まだあまりピンと来てない。今はまだ、『ただいま』って言ってくれそうな気がして」。

突然見つかった父が残した手紙

葬儀の翌日、保険証を探すため引き出しをあけると、父の手紙が見つかりました。A4用紙あわせて6枚。家族ひとりひとりに宛てた文章もありました。

『色々お世話になりました。ありがとうございました。最後に御迷惑をおかけすることになりました。どうかお許しください。葬儀は一切不要です。誠にありがとうございました』『息子と娘は1人では生きていけないので連れて行きます』

手紙を読み、父の死後はじめて涙した敬子さん

ともに死ぬことさえ考えていたと書かれていた父の手紙に、敬子さんは涙が止まりませんでした。
「もう、なにも言えないよ…」。
震える声で敬子さんはそういうと、手紙を置き、再び保険証を探し始めました。敬子さんの目からは大粒の涙がこぼれます。これまで感情を出せなかった敬子さんが、父の死後、はじめて泣きました。

一方、長男は父の年金をギャンブルやタバコに使うなど、これまで負担をかけてきましたが、葬儀には出ませんでした。
記者は長男に「父にかける言葉はありますか?」と問いました。すると長男からは一言、「働けんでごめんなさい」の言葉が…。記者の問いかけから逃げるように、家を出ていきました。

■ひきこもりから脱することはできるか。初の一人暮らし
父の死からおよそ1か月後。敬子さんはひきこもっていた家を離れ、はじめての一人暮らしを始めていました。「兄の近くでは、敬子さんの生活保護費まで使われてしまう可能性がある」名古屋市内に住む次男・俊光さん(57)はこう考え、長男とは離れて暮らすことを提案しました。親族に度重なる金の無心もあった長男は、ひとり、家に置いていかれました。

一人暮らしを始めた敬子さんはまだ働くことができず、生活保護などを申請し、1か月13万円ほどで生活することになりました。「ひきこもり」に特化した行政の支援サービスは、日本ではまだ整っていないのが現状です。敬子さんは、うつ症状などで利用できる福祉サービスのヘルパーを利用することで、一人暮らしの生活に慣れていくことにしました。買い物や行政の手続きをサポートしてもらうほか、家事も手伝ってもらっています。

■“普通”が一番の幸せ。でもその“普通”が一番難しい。
一人暮らしになかなか慣れない敬子さん

ある日、1人の女性が敬子さんの部屋を訪ねてきました。敬子さんにとってはじめての“ゲスト”です。なかなか慣れることができず、友人もいない敬子さんを心配して、次男の俊光さんが紹介してくれた女性です。この女性も過去に1年半ほど家から出られなかった経験があり、人と交流するといった「普通の日常」がいかに難しいことか知っています。

まだ積極的に動けない敬子さんにとって、「自分と関わることが少しでも助けになれば」と彼女は考えていました。敬子さんの家を訪れては、何気ない会話をしながら、日用品の買い出しや、敬子さんの飼っているハムスターの世話など身の回りのことを手伝ってくれています。敬子さんにとって35年ぶりの友人になりました。

「けっこう上手にできた」。友人と一緒に焼きそばを作り、晴れやかな笑顔になる敬子さん。“○○をやりなさい”ではなく“一緒にやろう”とそばにいてくれる友人の存在が、「ありがたい」と敬子さんはいいます。

友人と一緒に焼きそばを作る敬子さん

友人「簡単だったでしょ?」
敬子さん「うん、見てたら簡単だった。これに肉が入るともっといいんだけど…」
さりげなくそばにいてくれる友人に、敬子さんは冗談も言えるようになっていました。

「いろんな人とつながってよかったよ。もっと前からしゃべっておけばよかった。小さいときから」
久しぶりに訪ねてきた俊光さんに、敬子さんは言いました。
一人で生活できていることを「奇跡」と感じていると、敬子さんはいいます。「もし父が生きていたら、一人暮らしをしている自分の姿は想像できないだろうね」とほほえみました。

■すぐには抜け出せない中高年のひきこもり
時折、疎外感を感じる敬子さん

「『退屈じゃない?』と世間の目が問うこともある。でも、外の世界が怖い。しんどい。外に出ないといけないのは自分自身が痛いほどわかっているが、社会の大きさに押しつぶされそうになる」。
長年ひきこもっていたという人たちは、こう話します。

一人暮らしを始めて2か月がたつ敬子さんも、人とのかかわりが増える一方で、時に疎外感も感じるようになっていました。

「朝がまた来ると思うとつらくなったり、夜間より昼間の方がさみしく感じる」。人とのつながりが増えたことで、昼間、外に出ないといけないのではないかと感じて自分を責めがちになっていたのです。敬子さんにとって、積極的に友達を誘ったり、一人で外に出て気を紛らわせることはまだ難しく、結局は家が一番良いと考えてしまいます。
まわりは社会でうまく生きているのに、自分は何もできずに変わっていない。敬子さんは、「まだまだ自分はおいてけぼりだ」と感じることもあるといいます。

一般社団法人「ひきこもりUX会議調べ」によると、ひきこもりの平均年数は20代で6.5年、50代で16年。ひきこもる状態が長年継続し、当事者が高齢化すればするほど、社会への復帰が難しくなり、ひきこもり生活が長引く傾向があります。中高年のひきこもりはすぐには抜け出せません。

厚生労働省によると、2021年3月時点で、自治体に設置されているひきこもりの相談窓口は、全国1741市町村のうち1053自治体と、全体の6割程度です。さらに、ひきこもり支援策の対象年齢が自治体ごとに異なるなど、国としての施策は曖昧な点が多く、ひきこもりに特化した支援が全国的に進んでいないのが現状です。

山根俊恵さん(NPO法人ふらっとコミュニティ 理事長)

ひきこもり問題に詳しい「NPO法人ふらっとコミュニティ」理事長の山根俊恵さんは、「ひきこもりの問題は当事者とその家族だけで解決するのではなく、第三者の介入が必要だ」と話します。親の一言によって子どもが心を閉ざし、動けなくなり、ひきこもりを長期化させることになります。また、怒りのコントロールができなくなり、その感情を親にぶつけ、家庭内暴力につながるケースも・・・。ひきこもりの原因は人それぞれのため、型にはまった支援では十分に支援できない場合があり、人それぞれに応じた支援が必要になります。

また、山根さんはコロナ禍の今だからこそ、ひきこもりが増加したり、長期化することを懸念しています。コロナ禍、親がリモートワークになり、一緒に過ごす時間が増加。“叱咤激励”だと思っていたことも、一緒にいることで家庭環境が悪化するケースもあれば、家族関係が回復するケースもあるといいます。この3年近く『人に会わない社会』『人とのつながりを途絶える社会』が生まれ、社会との関係性がますます希薄化しました。ひきこもるきっかけは人それぞれ、また要因もさまざまの中、“もうすぐ社会に出よう”と考えていた当事者もコロナによって外に出るきっかけを失ったり…。また、コロナ社会で人間関係が複雑になり、ひきこもりがちになる人も増えているといいます。

数年前から、中高年のひきこもり問題『8050』という言葉がクローズアップされています。しかし、もう8050では済まされず、日本社会はすでに、90歳の親が60歳のひきこもりの子を支える時代に足を踏み入れているという指摘もあります。この問題は他人事ではなく、自分事になり得る可能性があるのです。
コロナ禍のいま、“外出自粛”と“ひきこもり”は、遠いようで近い問題。いま一度、この問題について考えるべき時がきているのではないでしょうか。

「おいてけぼり~9060家族~」
この記事は、中京テレビとYahoo!ニュースの共同連携企画です。あるひきこもり女性とその家族を通じ、社会が放っておけば8050問題では済まずにいつか“9060問題”になりかねない現実に警鐘をならし、どうすれば8050問題を解決できうるのか取材しました。(登場人物の年齢は取材当時のものです)

感想
一人で生きていけるかどうか。
社会の支援を受けることができるか。

一人家に残された長男のことが気になりました。

敬子さんの暮らしも気になりますが、パチンコなどでお金を浪費するしかやってこなかった長男。
収入が閉ざされてどうしているのか?
社会の支援があるのかどうか。
民生委員の姿も見えてきません。

国が引きこもり対策に積極的とも思えません。
国がおかしくなります。
また引きこもっている人にも自立する手助けをして、少しでも良いようになるとよいのですが。

次男の人はどこかのアドバイスを受けて、敬子さんの支援をされているように感じました。
また敬子さんの扶養する余裕はないようです。

ロシア正教会司祭、ウクライナ侵攻を批判 投獄も覚悟 ”キリル総司祭はプーチン支持”

2022-05-04 13:13:28 | 社会
https://news.yahoo.co.jp/articles/84c320c1666be01f755a9079ed9dd18e95d59650 5/4(水) 12:14AFP=時事
ロシア正教会のゲオルギー・エデルシュタイン司祭。ロシア・コストロマ州ノボベールイカーメニ村の自宅で(2022年4月25日撮影)。【翻訳編集】 AFPBB News

【AFP=時事】ロシア正教会のゲオルギー・エデルシュタイン(Georgy Edelshtein)司祭(89)は、ウクライナでのロシアの軍事作戦に反対している。だが、異論を唱える人との議論は歓迎だ。自宅の居間の肘掛け椅子を指さし、「反対派の1人や2人はここに座っていてほしい」と話す。

【写真】抗議の書簡を公開したブルディン司祭

 ウクライナ侵攻に反対の声を上げたロシア正教会の聖職者は、一握りしかいない。白いひげをたくわえ、黒い祭服を着たエデルシュタイン司祭は震える声で、しかし、ためらうことなく主張する。「私は、悪い司祭なのだと思う。すべての戦争に反対してきたわけではないが、侵略戦争には常に反対してきた」

「(ウクライナは)独立国家だ。彼らが必要と考える国家を築かせればいい」。首都モスクワから車で6時間、コストロマ(Kostroma)州のボルガ川(River Volga)沿いにあるノボベールイカーメニ(Novo-Bely Kamen)村で、AFPの取材に語った。

 2月24日にロシアが軍事行動を開始して以来、ロシア正教会の最高指導者キリル総主教(Patriarch Kirill)は好戦的な説教を展開。ロシアとウクライナの歴史的な一体性を損なおうとする「敵」を制圧するため、当局を中心に「結集」するよう国民に呼び掛けている。

 ロシア正教会は、旧ソビエト連邦時代には国家保安委員会(KGB)の管理下で厳しい制限を受けていた。キリル総主教は2009年にモスクワ総主教に就任して以来、ウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領との関係緊密化に務め、西側の自由主義よりも保守的な価値観を重視してきた。

■血にぬれた手
 侵攻翌日の2月25日、エデルシュテイン司祭は、友人イオアン・ブルディン(Ioann Burdin)司祭(50)が記した書簡に署名した。そこにはこう書かれていた。

「ウクライナ住民の血は、ロシアの支配者や作戦命令を実行する兵士の手をぬらすだけではない。戦争を承認し、あるいは沈黙を守っている私たち一人ひとりの手をぬらしている」

書簡はコストロマ州カラバノボ(Karabanovo)村にあるブルディン司祭の教区教会ウェブサイトに掲載されたが、その後、削除された。コストロマの府主教は、ウクライナ軍事作戦に反対している司祭は160人中2人だけだとして、書簡を非難した。

 だが、ブルディン司祭は批判をやめなかった。

 3月6日の礼拝では、戦闘で命が失われていることについて説教した。

 その日のうちに捜査当局から呼び出しを受け、尋問された。3月10日には、ロシア軍の「信用を失墜させた」罪で3万5000ルーブル(約6万3000円)の罰金を科された。再犯すれば3年以下の禁錮刑が科される可能性がある。


■汝、殺すなかれ

 それでもブルディン司祭は軍事作戦を非難する。州都コストロマ近郊の自宅で「私にとって『汝、殺すなかれ』という聖書の戒めは、無条件のものだ」とAFPに話した。

 ブルディン司祭によれば、プロパガンダに影響されやすい聖職者も多く、制裁や訴追を恐れもあり、ウクライナ侵攻に反対する人はほとんどいない。メッセージアプリのテレグラム(Telegram)に自身のチャンネルを持つブルディン司祭も、警察に監視されている。

 エデルシュテイン司祭は、ブルディン司祭について「私より勇気がある。私はもう引退している」と語った。

 ただ、2人とも自身を反体制派だとは考えてはおらず、総主教に背くよう信者に呼び掛けているわけでもない。

「話すときに自己検閲し、罪が罪であること、流血は容認できないことについて沈黙するならば、たとえ教会に所属していたとしても、知らず知らずのうちに、徐々に司祭であることをやめることになるだろう」とブルディン司祭は語った。
【翻訳編集】 AFPBB News

感想
プーチン氏 ロシア正教会キリル総主教と目指すのは
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220329/k10013557301000.html NHK 2022年3月29日 15時20分

国際的な批判が強まるプーチン大統領ですが、その精神的盟友とも言われるロシア正教会のトップ、キリル総主教にも批判が集まっています。


キリスト教の教えより、プーチン大統領の方が優先なのでしょう。
ということは、プーチン大統領は神以上ということです。

聖教者が独立国の民間人の殺害/拷問/強姦/強盗を容認しているのですから、もうそれは聖教者以前にクリスチャンとして、神の前に居ることさえできないのではないでしょうか?

まさに自分にとって都合の良い神さまなのでしょう。
プーチン大統領の指示で、民間人を殺害/拷問/強姦/強盗する人は、凶悪犯罪者だということの認識ができないのでしょう。
指示に従わなければそのようなことは起きないのですから。
もちろん命を賭けての戦いですが。

「イチョウの自然誌と文化史」長田敏行著 ”平瀬作五郎 イチョウに精子発見”

2022-05-04 12:12:12 | 本の紹介
この本は1996年9月9日、東京大学安田講堂で、「イチョウ精子発見百周年記念市民国際フォーラム」の記念として出版されたようです。

・種子植物であるイチョウに例外的に精子が作られることが平瀬作五郎により1896年(明治29年)に発見され、同年にソテツでも精子をつくることが池野成一郎により発見された。
「イチョウ精子発見」の検証―平瀬作五郎の生涯: 本間 健彦著 "小石川植物園にその木があります”

・おそらく1000年ほど前に中国から日本にもたらされたイチョウは、日本各地に広がった。そして、17世紀末にオランダ東インド会社の意思として日本を訪れたエンゲルベルト・ケンベルは、この植物を記載し、その種子を長崎からヨーロッパへ持ち帰ったといわれている。ヨーロッパでは、イチョウは生きている化石として、また、東洋の不思議な気として人々に珍重され、ヨーロッパ各地に広がった。そして、新大陸へももたらされ、今や世界各地で栽培されている。中生代には世界に広がっていたが、その後生育地は中国に限られ、他では絶滅してしまった。
・医薬品としてのイチョウ
1) 白果 鎮咳去痰薬
2) イチョウ葉
・フラオノイド
・テルペノイド
・ドイツ
二つの処方が医薬品として挙げられる。
シュヴァーベ社とリヒトヴァー社
害作用をもたらすイチョウ葉酸は0.005%以下である。
・イチョウ葉エキスの薬理学的効果
血流の促進効果
認知症の予備段階に対して効果
・イチョウ葉エキスの抽出法
欧米;アセトンと水  日本;エタノール
・ゲーテの詩「イチョウ葉」
https://blog.goo.ne.jp/tanemakuhito1921/e/b7a4ee463483b9285a1a309765b49efc

感想
イチョウの精子発見は大発見でした。
日本より世界で評価されました。
そしてそれを受けて、論文報告から18年後に日本政府が池野成一郎氏に帝国学士院恩賜賞を与えようとしたら、池野氏が「平瀬が受けずに自分だけ賞を受けるのはおかしい」と言って拒否したので、政府は仕方なしに平瀬作五郎にも授与しました。
池野氏は研究者としてだけでなく、人としても素晴らしい人だったようです。
平瀬作五郎氏は正式な大学教育を受けていなかったので、無視していたようです。
実際、平瀬作五郎氏は東大で適切に処遇されなかったこともあり、彦根東高校に教員として転出しています。
池野氏が拒否していなかったら、平瀬氏は貰えませんでした。
池野氏のソテツでの精子の発見も素晴らしいですが、植物に精子があるということを最初に発見した平瀬氏の功績がもっと偉大だったのです。

この本は、東大の先生が書かれているので、東大にとってネガティブなことには触れておられません。

東大の植物で思い出すのは、海外の製品を日本で販売していたら、異物クレームがありました。
異物は植物の種のようです。
会社が小石川植物園の近くにあったので、担当者に植物園の先生(東大植物教室の教授)を尋ねてもらいました。
さすがです。
異物を見るなり、奥に行かれて図鑑を持ってこられました。
そしてそっくりな写真を見せてくれました。
プラタナスの種子でした。
プラタナスは外来種ですので、海外製造時に混入した可能性もあることがわかりました。

小学生の時は、伝記を読むのが好きでした。
その中でも、牧野富太郎氏の伝記に惹かれました。
小学校三年生の時の作文では、「自分も牧野富太郎博士のように植物学者になりたい」ことを書いていました。
それから、約50年経過してましたが、小石川植物園にある柴田記念館に寄った時、牧野富太郎展を行っていました。
まさに50年前の記憶が昨日のように蘇って来ました。
それから牧野富太郎博士の本を何冊か読みました。
上野の博物館で牧野富太郎展があることも知り、見に行きました。
牧野富太郎氏も大学を出ていませんが、東大の植物教室に出入りすることで研究を続け論文を報告し世界に評価されました。
牧野富太郎氏は東大の助手、講師を務めていますが、正式な学びがなく、それ以上(助教授/教授)にはなれませんでした。
追い出しも一部にあったようですが、東大に必要な人材とのことで、47年間東大に在籍しました。
でも功績により、65歳の時に博士号を授与されています。

平瀬作五郎氏の時は、大発見したという認識が東大にもなかったようです。
授与はかなり後になってからです。
大発見を海外の論文に投稿後、1年で彦根東高校に転出しています。
せっかく大発見しましたが、継続して研究することができなくなりました。
偉大な研究をしても、それをきちんと評価する人がいないとだめなのでしょう。

彦根東高校は滋賀県では西の膳所高校、東の彦根東高校と呼ばれ進学校でした。
母の里が彦根の近くにありよく実家に行きました。
当時、どこの大学出たかよりもどこの高校出たかを言っていました。
彦根東高校卒業生が会社にいたので、平瀬作五郎氏のことを話しましたがご存知なかったです。
大きなイチョウの木があったと本に出ていました。

悲鳴を上げて逃げた望月衣塑子記者 「取材続けて」と手を差し伸べる赤木雅子さんの声は届くか ”なぜ望月記者は会うことも拒否されているのでしょう?”

2022-05-04 11:06:06 | 社会
https://news.yahoo.co.jp/articles/6fede6c8c99a72ca0f7fe957238369efe1973c42?page=1 5/4(水) 6:12 文春オンライン
 黄色い服の小柄な女性が歩道の向こうから歩いてくる。その姿を見た瞬間、赤木雅子さんは私に小声で告げた。

「あっ、あの人、望月さんですよ!」

 東京新聞の望月衣塑子記者。1年8か月ぶりの偶然のめぐり逢いが生んだ出来事をご紹介する。

記者会見の最後に、雅子さんが「一言だけいいですか」
日本記者クラブでの会見 ©️相澤冬樹

 4月11日。財務省の公文書改ざん事件で近畿財務局の職員だった夫の赤木俊夫さんを亡くした雅子さんは、日本記者クラブで記者会見をした。夫の死を招いた真実を知りたいと国などを相手に提訴したが、国は“認諾”という異例の手続きを突然持ち出し、裁判を無理やり終わらせてしまった。国会でも問題になったこのいきさつについて、雅子さんと代理人の生越照幸弁護士に会見の要請が届いたのだ。

 日本記者クラブといえば全国の主だった新聞・放送・通信各社が加盟し、「日本マスコミ界の総本山のような存在」とも呼ばれる。役所などにある通常の記者クラブとは成り立ちがまったく異なり、会見に参加するのは報道界のベテランが多い。

 この日も改ざん事件や裁判、認諾などについて質問が相次いだ。1時間半に及んだ会見を司会者が締めくくろうとした時、雅子さんが「一言だけいいですか」と語り始めた。それが望月記者の件だった。内容を産経新聞が ウェブ版 で記事にしている。

〈雅子さんによると、望月氏とは改竄問題の取材を通じて知り合ったが、「今は一切、連絡しても電話も取ってくれない」と明らかにした。その上で、「もう取材しないなら、私が渡した素材は消してほしい。それを伝えたい」と訴えた〉

〈雅子さんは同日の記者会見に出席した記者団に対し、「ぜひ、望月さんにお会いする機会がありましたら、『赤木がぜひ直接、お話ししたい』ということを伝えていただければなと思っています」と語り、“音信不通”となってしまった望月氏と再び連絡が付くよう協力を呼び掛けた〉

 この記事は、Twitterでその日のトレンドニュースにランクインした。話題のドラマをめぐり、著名な望月記者が取材先に一方的に連絡を断ち切ったという内容が反響を呼んだのだろう。

「きゃあっ」と声を上げて社内へ駆け込んで
 会見に先立って雅子さんは、日本記者クラブが入る東京・内幸町の日本プレスセンタービルの前で、TBS『報道特集』の金平茂紀キャスターの取材を受けた。インタビューの後、会見まで時間があり、雅子さんが「少し散歩でもします」と言うので、私は近くにある財務省まで歩くことを提案した。

 歩道を歩き始めると、2つ先の建物が東京新聞の社屋だ(正確には中日新聞東京本社)。その前を通りかかった時、図ったようなタイミングで向かいから望月記者が歩いてきた。その姿に気づいた雅子さんはすーっと近づいていった。私はそばにいない方がいいだろうと考えて離れていた。玄関前の階段で雅子さんは「望月さん」と声をかけた。すると望月記者はさっとあたりを見回し「きゃあっ」と声を上げて、社内へ駆け込んでいった。

 表のガラス窓には、デジタルサイネージというディスプレイでドラマ「新聞記者」の広告が流れていた。「撮影協力:東京新聞」「(ドラマの舞台の)東都新聞のロケ地は東京新聞」という文字が映し出される。そのドラマの話を持ち掛けた望月記者は、雅子さんに声をかけられただけで走り去った。雅子さんは呆然とした顔つきでつぶやいた。

「私、悲鳴を上げて逃げられました……」

「取材をしないのなら渡した大量のデータを消してほしい」

 それまで雅子さんは、会見で望月記者のことに触れないつもりだった。そう聞いていたから望月さんの話を始めたのは意外だったが、直前の一件で考えを変えたのだと後で聞いた。だが、会見での語り口調は穏やかだった。

 まず東京新聞について、裁判の現場から遠い東京で記事を書いてくれるので「とても感謝しています」と謝意を述べた(この日の会見も、望月記者以外の内容を紙面で記事にしている)。その上で提訴の直後、望月記者がドラマ「新聞記者」の河村光庸プロデューサーの手紙を東京新聞の封筒に同封して届けてきたことを明かした。ドラマの撮影や芸能人に会えるという話を持ちかけられ、「そこにのこのこ出かけて、望月さんに取材してもらうことになったのは私も悪かったのかもしれないですけど」と振り返った。

 今は電話もとってくれず、連絡用アプリのアカウントも削除されて、一切連絡が取れなくなっている。これはおととし9月、ドラマの制作をめぐり望月記者や河村プロデューサーが雅子さんと意見の隔たりがあるのに構わず制作を推し進めていることを、週刊文春が記事にしたのがきっかけだ。雅子さんは、取材をしないのなら望月記者に渡した大量のデータを消してほしい、そのことを伝えたいだけなんですと訴えた。

ドラマ「新聞記者」に遺書や家族写真に基づくと思われる描写が
 望月記者は今年1月、ドラマをめぐるトラブルが再び週刊文春で記事になり、俊夫さんの遺書などを返していないと指摘された。これに対しツイッターで「遺書は元々お借りしていません」と書いている。

 だが事実上の遺書にあたる「手記」を含む多くの文書のデータと、家族のプライベートな写真を含む大量の画像データを、雅子さんから受け取っている。それは記事の参考にするためだが、望月記者はそのデータを雅子さんに無断で報道と無関係の第三者に渡したことを、後に雅子さんに明かしている。これは「報道目的で借りた資料の無断流用」にあたるだろう。

 そしてドラマ「新聞記者」にも、遺書や家族写真などを見たと思われる描写が出てくる。雅子さんがドラマ側に資料を渡していないのに、誰かが流用した疑いが出てくる。だから雅子さんは、取材をしないのならデータをすべて削除してほしいと求めているのだ。それでも最後まで望月記者を責めることはなかった。

「ただ会って、誤解を解いて、取材を続けてほしいって伝えたい。ただそれだけです」

 この言葉を受けて司会者が、「この会場にも東京新聞の方がいますので、伝わると思います」と引き取った。実際、複数の関係者が来ていて東京新聞の上層部に伝わったそうだ。だが会社からも望月記者からも雅子さんに連絡はない。社のある幹部は「内容証明付きの文書でも来ない限り対応するつもりはない」と語ったという。望月記者のトラブルを“なかったこと”にしたいのだろう。

最新作ドラマ「新聞記者」にだけ触れない望月記者
 実は望月記者も、自分が深く関わったドラマ「新聞記者」を“なかったこと”にしている。

 今年2月、大阪市内の2か所で相次いで講演を行った際、望月記者は自著「新聞記者」を原作とした映画「新聞記者」と自身が出演した森達也監督のドキュメンタリー「i―新聞記者―」、それに菅前首相を描いた「パンケーキを毒見する」と、いずれも河村プロデューサーが手がけた3つの作品を、映像も一部交えて解説した。ところが同じ河村氏の制作で映画の続編と位置付けられるネットフリックスのドラマ「新聞記者」だけは、最新作なのに一言も触れなかった。

 しかも、どちらも予定時間を大幅に超えて講演を行い、会場の質問を受け付けなかった。これに違和感を抱いた参加者もいたようで、SNSにこのような書き込みがあった。

〈Netflixの「新聞記者」も流して例の件について釈明があるかと期待したが最後まで言及なし。質問しようと思ったが講演時間超過で質問時間カットされ残念。モヤモヤ感が拭えない〉

ここで「例の件」とあるのは、 週刊文春が1月に報じた記事 のことだ。記事では、フィクションとはいえ現実に起きた事件を描きながら、当事者である赤木雅子さんの意向を無視して制作されたことを伝え、そこに介在した東京新聞の望月記者にも責任があると指摘している。

 この記事を補足する形で、私は日刊SPA!に 「ドラマ『新聞記者』で『東京新聞』望月記者を“舞い上がらせた”私たちの責任」 という記事を出した。

 こういう指摘に望月記者がどのように釈明、あるいは反論するのだろうという講演の参加者の期待は肩透かしに終わった。まるでドラマなど“なかった”かのように。

事実より「政権に不利になるかどうか」が判断基準に…
 今回の騒動で以下のような2つのご意見が寄せられている。

(1)望月記者は政権を追及してきた人だから、こんな争いは政権側を喜ばせるだけなのでやめるべきだ=「敵を利する」論

 確かに安倍政権を支持していた人々を喜ばせるかもしれない。だが「こんな話は安倍氏らを利するからやめるべきだ」というのは、「こんな文書は野党を利するから改ざんすべきだ」と考えた財務省と同じではないか。問題は指摘された事実が「敵を利するかどうか」ではなく「事実かどうか」であり、今回の場合は事実だ。

(2)ドラマ自体は内容がいいから評価していいではないか=反フェアトレード論

 ドラマ「新聞記者」の作品としての評価は様々だが、仮に内容が素晴らしいならば制作過程に問題があってもいいのだろうか?

 フェアトレードという考え方がある。どんなにいい商品であっても、それが発展途上国で地元の人々を搾取し踏みつけにして作られたものならば、それはフェア(公正)なトレード(取引)ではないから買わないという考え方だ。制作過程はともかく内容はいいのだからとドラマを支持するのは、途上国の人々を踏みつけにした商品だと知りながら「これ、いいじゃない」と言って買うようなものだ。

「敵を利する論」も「反フェアトレード論」も共通する根っこがある。政権を批判したいあまり、事実かどうかより政権に不利になるかどうかで考えている。そして、そういうものは実は政権にとって大して怖くはない。だって、事実じゃないのだから。権力が恐れるのは事実、「権力にとって不都合な事実」を恐れる。それを調べ報じるのが真の記者だと、私は考える。

“なかったこと”にしようとする安倍政権を厳しく追及したのに
 東京新聞も望月衣塑子記者も、森友事件で国有地の不当値引きや公文書の改ざんを“なかったこと”にしようとする安倍政権を厳しく追及した。ところが今や自らが不都合な事実を“なかったこと”にしようとしている。新聞社、新聞記者としてのありようが問われる。

 赤木雅子さんの会見最後の言葉をもう一度振り返ってほしい。

「ただ会って、誤解を解いて、取材を続けてほしいって伝えたい。ただそれだけです」

 これは、手を差し伸べているのだろう。ラストチャンスではないか? 東京新聞と望月記者は、雅子さんが差し伸べた手を握り返すだろうか? それとも、振りほどくのだろうか?

感想
なぜ望月記者は拒否されているのでしょうか?
自分が取材したいときは積極的に、嫌な時は拒否では、今後望月記者が取材に行かれても、また自分にも同じ態度を取られると思ってしまわれます。

問題を問題として明るみにだすのではなく、自分にとってどうなのかの判断なのでしょうか?
あるいは東京新聞の上から指示されているのでしょうか?

数十年朝日新聞購読していましたが朝日新聞の最近の報道姿勢にがっかりして、東京新聞に切り替えました。
もし、東京新聞の意向であるなら、また拒否を容認されるなら、東京新聞の購読を考え直さないといけないです。

何があっても話し合いを拒否は無視と同じで、それはしてはいけないことです。
考え方の相違があるのは当たり前で、それは問題ではなく、拒否が問題なのです。
政治を変えるのは選挙、新聞社の姿勢を変えるのは購読です。
何をしても支持されると傲慢や驕りが生じ、国民の視線がなくなり自分の利益優先になるのです。
プーチン大統領がまさにその典型です。
マスコミまでコントロールしています。

「弱者は生きていてはダメなんでしょうか」コロナ禍で進む貧困と、追いつめられる家族【報道特集】 ”弱者を支援する政策より、利権の政策を優先する政権!”

2022-05-04 10:38:18 | 新型コロナウイルス
https://news.yahoo.co.jp/articles/046f02eff608c02d30ee126caca5f38094a0304d 1/22(土) 9:06 TBS系(JNN)

■「毎日、もう終わりだと感じます」コロナで拡大した貧困

新型コロナウイルスが猛威を振るう中で迎える、2度目の年末となった昨年12月。東京・新宿駅に集まっていたのは、「あしなが育英会」から奨学金を受けている大学生たちだ。コロナで一昨年から募金活動を行うことができなかったが、この日、2年ぶりに再開した。

「あしなが育英会」は、50年に渡り親を亡くした遺児や親に重度の障害がある子どもへ奨学金を出すなどして教育支援を続けてきた団体だ。

大学4年生の外山詢さんは4歳の時に父親を亡くしてからずっと母とともに生活してきた。大学1年生からは奨学金を受け、不足分は飲食店のアルバイトで補い、勉強を続けてきた。しかし、コロナで家計は一層苦しくなったという。

大学4年生 外山詢さん
「(アルバイトの)シフトが減ってしまって、アルバイト代から今まで母に生活費を渡していたのですが、それも厳しくなったし、母の仕事自体も少なくなってしまった。私だけ家族の中でひとりだけ呑気に勉強してていいのか、大学に通ってていいのかってすごく考えました」

あしなが育英会が募金活動を再開を決意したのは、最新の調査で明らかになった困窮の実態を受けてだ。奨学金を受けている高校生の保護者、約4000人に昨年10月から11月にかけてアンケート調査を行ったところ、昨年9月の収入に関して「収入がない」と答えた人が27%もいた。コロナ前に比べて7ポイント増えている。

平均の収入は、手取りで10万6000円余り、コロナ前から1万円以上減っていた。
また5人に1人が、コロナが原因で離職や転職をしていて、そのうち半数が雇止めで仕事を失っていた。

子どもの生活も変化した。26%がアルバイトをし、進学を諦めたり、進路を変更したりした子どもが7%もいた。

調査票の記述欄には、保護者の悲痛な叫びが綴られていた。

「毎日、もう終わりだと感じます」
「もう頑張れないのはお金です。もう頑張れないのは笑顔です」
「弱者は生きていてはダメなんでしょうか」


あしなが育英会の創設者、玉井義臣会長はこの状況に衝撃を受けていた。

あしなが育英会 玉井義臣会長
「自殺自死、それの隣り合わせの言葉で今まで調査にそういう言葉で答えてきた人はいなかった。ここまで追い詰められているお母さんが増えつつあるんだと思いました」

コロナ後、奨学金を求める学生が急増。19年度は6500人だったが、昨年度は8300人と2000人近くも増えた。
一方で、奨学金の原資となる寄付金は減少。コロナ前は46億円だったが、今年度は11月時点で28億円しか集まっていない。運営は危機的な状況だ。

あしなが育英会 玉井義臣会長
「手持ち資金はほぼ底をつきましたし、貧困化は日に日に深まっておりますから…」
(どうやって寄付を募って増やしていく?)
「ありません。そらないですよ。世の中みんな貧乏になっているときに、金出してやってくれと言ったって…」

■「子どもの夢を諦めさせたら私は一生後悔する」失業した母親の決意

中国地方に住む、あしなが育英会の奨学金を受けている高校生の保護者が取材に応じた。母親は11年前に夫をがんで亡くし、以来、宅配のドライバーや老人ホームで受付の仕事をして2人の娘を育ててきた。

しかし、コロナが最初に流行した一昨年4月、老人ホームが面会を中止したことなどから受付の仕事を失った。長女は社会人になっていたが、次女はまだ高校2年生だった。
それから正社員の仕事を求めてハローワークに通っているが、2年近く経った今も見つかっていない。

奨学金を受ける高校生の母親
「20件は断られました。資格が何もないんで、パソコンも全然できませんし…」

家賃7万5000円の部屋で暮らす一家の収入は、夫の遺族年金とパートで働く長女からの援助を合わせても月15万円ほど。次女が高1のときから受けているあしなが育英会の奨学金5万円も生活費に充てざるをえないという。
電気代を削るため、家族3人がリビングだけで過ごし、寝起きするのも同じ場所だ。

家賃の補助など、コロナ関連の給付金を受給しているが、それでも生活費には足りず…。緊急の貸付制度も利用したが、これまで借りた金額は約200万円にもなった。

高校生の娘の子どもの頃からの夢は、教師になることだった。コロナ前から塾には通わず、自力で勉強を続けてきた。
しかし、母親が失業し生活がさらに苦しくなったため、娘は進学を諦めて就職を考えたという。そんな娘に対して、母親はある決意を語る。

奨学金を受ける高校生の母親
「就職も考えたみたいなんですけど、どうしても私は夢を叶えてもらいたい。お金は借金してでも返します、私が。子どもの夢を諦めさせたら私は一生後悔すると思うし、子どもも後悔するし…」

昨年12月、娘は志望していた私立大学の教育学部に推薦で合格。2月には、授業料が免除される特待生の試験を受ける。特待生に選ばれなければ、通常の学費がかかる。事前に納める費用だけでも100万円以上。母親は、あしなが育英会や他の団体の支援金をかき集めてでも工面する覚悟だ。

奨学金を受ける高校生の母親
「私立であろうが国立であろうが無料にしてほしい。貧乏だったら大学も行けない、貧乏だから貧乏だからって、ずーっと、それはやめてほしい。みんながそこまでは平等である日がいつかくればいいかなと思います」

■「国はほかに何をすることが…」 現場を見続けた会長の言葉

あしなが育英会の玉井会長は、生活が困窮していても奨学金を求めない家庭、そんな表に現れない子どものことを危惧していた。

中でも、貧困のために、自ら進学をあきらめる選択をする子どもたちのことを気にかけている。

あしなが育英会 玉井義臣会長
「進学しないという選択も増えていると思いますね。そちらの方が深刻だと思います。進学しないために一生、貧困から脱出できない。(国は)こういう貧しい子どもたちを見捨てずに教育をすること以外に他に何をすることがあるんだと…」


玉井会長は50年にわたる支援の経験から、「最底辺まで落ちてしまうと、そこから立ち直るのはきわめて難しい」と話す。そうさせないために、日本という国が生き続けるために。今こそ国の支援が求められる時ではないだろうか。
(報道特集1月15日放送より抜粋・編集)

感想
若者は日本の未来です。
若者の夢を叶えられない日本、それは日本の未来を暗くするだけです。

アベノマスクに400億円。
この400億円を若者支援に向けていたら、将来10倍以上になって戻ってきます。
アベノマスクに未来はあったでしょうか?
なにかおいしい利権があったのかもしれません。
目に見えたのは追加で何十億円かの支出(保管料と配送費)です。
そんなおかしな政治を支援している自民党と公明党、そして国民が日本をダメにしているのです。
自分の税金を使っているアベノマスクに、「ありがたい」と思っている人がいました。
税金を将来のために使って欲しいものです。