・「私はいった、何のために生まれてきたのか。・・・この世に生まれてきたからには、やはり、何かやるべきことが、生まれて来たことの意味のようなものがあるはずだ。では、私がこの世に生まれて来たことの意味、私の”ほんとうの生きる意味”とは何なのか。それを知りたい」
これらの問いは、人生を真剣に生きようとする人ならば、避けることのできない問いです。それは、一言で言えば、目の前の現実にとらわれない”ほんとう”への問い。人生の問題への”究極の問い”と言ってもいいと思います。
そして、数ある心理学の中でこの”ほんとう”への問い、人生の究極の問いにはじめて正面から向き合おうとした心理学が、トランスパーソナル心理学なのです。
というのもこうした問いは、これまで一般に、心理学ではなく、哲学や宗教の問いと考えられてきました。究極の問いを抱いた人は、その答えを哲学や宗教に求めてきたのです。
・誰もが「私を癒して」と心のどこかで叫んでいる。そんあ時代になってしまったのです。では次に、なぜこんなふうになってしまうのか、その原因を4点ほどあげておきます。
①”自分”がない。”自分”を出せない。”自分”がわからない。
”自分”を実感することができない。”自分”が何をしたいのか、何を感じているのかわからない、と多くの人は言います。
それはなぜかと言えば、一つにはやはり、まわりに合わせ過ぎるからです。・・・
つまり、私たちには、人からどう見られるか、人からどう思われるかを絶えず気にかけているところがある。「どう思われたってかまわない」と開き直ればラクになれるのですが、やはり周囲の人から変な目で見られて浮いてしまうと、この世の中では、なかなかツライ。だから、まわりの人に合わせようとかなりのエネルギーを使うのです。
・さらなる心の成長が展開されて行くのですが、その道しるべとなるのがトランスパーソナル心理学、そしてその母体である人間性心理学なのです。
・人間性心理学には、欲求の階層論を説いたアブラハム・マズロー、カウンセリングの神様カール・ロジャーズ、フォーカシングの創始者ユージン・ジェンドリン、ゲシャルト療法を始めたフリッツ・パールズなどが含まれます。
一方トランスパーソナル心理学には、壮大な思想家ケン・ウイルバー、ホロトロピッグブレスワークという呼吸法の創始者スタニスラフ・グロフ、人生の一切を自然の流れ(プロセス)と捉えて気づきを得ていくプロセス指向心理学のアーノルド・ミンデル。そして魂の声を聴くジェイムズ・ヒルマンやトーマス・ムーアの心理学などがあります。
両者は、心の病の治療というより”さらなる心の成長”、人生における大切な何かへの”気づき”
を目指している点で共通していますが、もちろん、若干の違いもあります。
人間性心理学では、いわゆる”自己実現”、すなわち、自分が本来持っている可能性を存分に発揮して、イキイキと輝きながら生きていくことを目指します。
・ウイルバーの”いのち”のライフサイクル
死
↑ ↓
人生 バルド
↑ ↓
再生・誕生(Uターン)
この考えは、仏教思想の『四有』という考えにつながってきます。
・トランスパーソナル心理学から見た自己探求・自己成長の三段階
第Ⅰ段階 個としての”自分”を確立する
周囲との人間関係のしがらみを断ち切る。他者の期待に応え、喜ばせる”偽の自分”を演じるのをやめる。
うちなる心の像へのとらわれや執着から解放されて、個としての”自分”を確立していく。
”自分が生きている”と実感できる自分、自己決定・自己決断できる自分の確立。”自分の人生の主人公”になる。
”プレパーソナルからパーソナルへ”の段階
第Ⅱ段階 自分を超えた”いのちの働き”に目覚める
個を確立し、自分の主人公になった人が、しかし、つながりから切り離された個であるがゆえに襲ってくる実存的不安に駆られ、ただひたすら心理を、人間として”ほんとうの生き方”をどこまでも問い求めていく。
この問いの極限において、もはやいかんともし難い限界に直面し、その問いそのものが破れる時、人は究極の真理(⇔この世界の一切は空である)に目覚める。
”パーソナルからトランスパーソナルへ”の段階
第Ⅲ段階 日常の中で、自分を超えた”向こうからの呼び声”を聴く
いったん究極の真理を体験した人は、この世界の万物、この人生の一切の出来事が、そのままの姿で審理の完全な現れであることを知っている。したがって、この世界、この自分のあるがままの姿を、そのままで肯定し、受け入れ、悦ぶことができる。毎日の何気ない出来事の一つ一つ、ものごとの一つ一つに魂を砕き、心を込めながら生きることができる。地に足のついた、ごく普通の日常生活をしっかりと送りながら、まさにそのただなかに自分を越えた向こうからの”叫び声”を聴きつつ生きていく。
外的な現実よりも内的な体験にリアリティを感じる。間の取れた姿勢で、遊び心を楽しみ、濃密な時間を享受する中で、たましいが豊かに育っていく。
”トランスパーソナルからパーソナルへ”の段階
・トランスパーソナル心理学のエッセンスを伝えるいくつかの言葉
”私のしあわせ”や”自己実現”。それはもちろん、大切なこと。
でも、頑張りに頑張って”しあわせが手に入った””自己実現できた”と思えた途端、なぜか”むなしさ”が襲ってくる。
”私のしあわせ”や”自己実現”に執着し、それを追い求めているうちは、決してほんとうのしあわせは手に入らない、という心の法則。幸福のパラドックス、
豊かになったはずなのに、なぜか心が満たされないのは、そのため。
今、私たちに求められているのは、”自分”への執着、”自分のしあわせ”へのこだわりを捨てること。
自分を越えた何かに、自分を明け渡すこと。自分を委ねること。
自分を越えた何かに、自分を明け渡すこと。自分を委ねること。
私を越えた向こうから届けられてくる”人生の呼び声”に耳を委ねること。
自分のしたいこと、自分の希望や願望を実現するのでなく、”自分がこの世に生まれてきたことの意味と使命”を、”この人生であなたが果たすよう求められている何かを実現しながら生きること。
これがトランスパーソナル心理学の説くほんとうの幸せへの道。心の充実への道。
・私が大好きな、オーストラリアの精神科医ヴィクトール・フランクルの心理学のエッセンスを私なりの言葉で掴み直したものです。
どんな時も、人生には意味がある。
なすべきこと、満たすべき意味が与えられている。
あなたを必要とする”何か”があり、あなたを必要とする”誰か”がいる。
そして、あなたに発見されるのを待っている。
私たちは、常にこの何か、誰かによって必要とされ、それを発見し実現するのを待たれている存在なのだ。
・フランクルの言葉には、私たちの魂を揺さぶる何かがあります。彼ほど、多くの人々の魂を鼓舞し、生きる勇気とエネルギーを与え続けた人もいないでしょう。
・『<生きる意味>を求めて』ヴィクトール・フランクル著より
はかなく過ぎ去っていくのは、実現されていない可能性だけである。逆に、実現された可能性、生き抜かれた過去の時間は、永遠に保存され続けるのだ、と。
・ジェイムズ・ヒルマン『魂のコード』の冒頭の言葉
人生は理論では説明しきれない。
何かが、遅かれ早かれ私たちを、ある一つの道へと呼びこんでゆく。
その”何か”は、子ども時代に突然やってくることもある。
ふってわいたような衝動、抗いたい魅惑。思いがけない曲折-
そんな一瞬がまるで啓示のように、あなたにこう訴えかける。
これこそ私がやらなければならないこと、これこそ私が手にしなければならないもの、そしてこれこそ、私が私であるために必要なものなのだ、と。
・この人生、この世界で怒るすべてのことには意味がある。
健康や幸運ばかりではない。病気や不運といった、一見、否定的なものにも、私たちに何かたいせつなことを教えてくれるメッセージが含まれている。
慢性の病気、障害、死、不幸、争い、衝突、離婚、別離、憂鬱・・・。こうした否定的な出来事にも何か大切な意味があり、それとしっかりかかわることで、私たちの魂は耕され、人生が豊かになっていくのである。
だから、この人生、この世界で起こるすべての事にしっかりと目を向けよ。
すべてのことに開かれた態度をとれ。
目覚めよ。目覚めたまま生きよ。
それが、プロセル指向性心理学の教えである。
・あれも自分。これも自分。
私のうちにはたくさんの”うちなる自分”が住んでいる。
そして、いろいろなことを私に、聴いてもらいたがっている。
できる範囲でかまわないから、じっくりと時間をとって”うちなる自分”の声に耳を傾けてあげよう。
何も聴こえてこなかったら、”誰か、私に聴いてもらいたがっている人、いない?”と、こちらからやさしく、問いかけてみよう。
”うちなる自分”はみんな、とても臆病で恥ずかしがり屋。だからくれぐれも、御用心。大きな声で話しかけると、すぐに逃げて消えていってしまうから。
・人間の心というのは不思議なもので、「私は傷ついている」「私は癒されたい」と「私の癒し」にこだわっているうちは、いつまでたっても本当には癒されないものです。そして、皮肉なことに、ひょんなことから「他人の癒し」「世界の癒し」「地球の癒し」に熱中して「自分の癒し」のことなど忘れてしまっていると、その結果いつの間にか自分も癒されていた、といったことがしばしば起こります。
感想;
トランスパーソナル心理学の目指すところは、瀬戸内寂聴さんがよく言われていた、”亡己利他”の実践ではないでしょうか。
ヴィクトール・フランクルはユダヤ人の精神科医でした。ナチスのために一般に診察することが禁じられ、ユダヤ人だけの診察に制限されていました。
ナチスにより、ユダヤ人の行動や仕事が制限され、働けないユダヤ人も多くなりました。そのためユダヤ人の若者の中に、「生きていても意味がない。死にたい」と訴える若者がフランクルの診察に来ていました。
なかなか良い薬、良いカウンセリングがありません。
そこでフランクルは、その若者に、老人の介護施設でのボランティアを提案してやってもらうことにしました。
なんと、死ぬことを考えていた若者が生きようと思うようになったのです。
こんな自分でも老人介護施設で役に立ち、また施設の老人から頼りにされたのです。
薬は手助けです。眠らなければ眠れるようにする。
躁状態であれば落ち着かせる。
うつ状態であればセロトニンの分泌を良くしたりして考えを前向きにさせてくれる。
しかし、それだけではなかなか良くならないのです。
そこで生まれたのがトランスパーソナル心理学のように思いました。
ロゴセラピーでは人生に意味があるのではなく、人生の方から尋ねてくると考えます。その人生からの問いかけに精一杯応えていくことで自分の自分だけの意味が生まれると考えます。
その問いかけに応えるとき、自分だけに限定せずに自分の周りや社会に目を向けることでその意味が価値が生じるのでしょう。